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麦秋至る [日刊☆こよみのページ]

□麦秋至る
 昨日、5/31~6/4(2021年)は七十二候の一つ「麦秋至る」の時候。「麦秋至る」で、「むぎのとき いたる」とか「ばくしゅう いたる」と読みます。麦秋の頃とは陰暦の 4月頃、現在の 5月~ 6月にあたります。麦秋至るという言葉は「礼記」の「月令」に既に見えている言葉で、二千年以上も昔から、使われてきたものです。季語としては「夏」に分類されます。日本でも立春から数えて 120日目辺り(6/4頃)が麦刈りの目安だそうですから、麦秋至るは二千数百年の時を超えて、また中国と日本という地域の違いも超えて生き続ける息の長い言葉です。「秋」という言葉が入っていますが、秋は百穀物・百果実の実る季節です。麦秋の「秋」はこの「収穫の時」を意味する言葉として使われています。四季で言うところの季節では初夏ですが、この時期は麦の実る時期ですから収穫の時を表す秋という言葉と麦を組み合わせて「麦秋」と言い表したわけです。麦秋はまた「麦の秋(むぎのあき)」とも読みます。意味としては同じですが、「ばくしゅう」と読むと麦を収穫するのどかな風景を想像するのに対して、「むぎのあき」と読むと、なんだか物淋しい感じがします(私だけ?)。木々の葉が落ち冬に向かう季節という意味を「秋」に感じるためでしょうか。

◇麦の秋さびしき貌の狂女かな
 蕪村に

  麦の秋さびしき貌(かお)の狂女かな

 という句があります。麦秋至るの頃は普通の年であれば梅雨入りの少し前。麦を育てる農家にとっては梅雨に入る前に麦の刈り入れを済ませてしまいたいところでしょうから、この頃は大忙し。猫の手も借りたいくらい忙しく、狂女をからかう者もなくなく、誰からも相手にされない狂女の様子を詠んだものなのでしょうか。初夏の陽射しの下の一面の麦の実りの風景と、その風景の中に立つ、寂しげな狂女の姿が浮かんできます。

◇今年は?
 今年は梅雨入りは記録的に早く、もう既に関東あたりまで梅雨入りした模様とのこと。早すぎる梅雨入りで、梅雨入り前の麦刈りの予定が狂ってしまったかも知れませんね。今は一面の麦畑という光景を目にすることは希になりましたから麦秋至るという言葉には「のどかさ」も「物淋しさ」も感じることが無くなってしまったかもしれません。いつかなぜこの時期に、「秋」なんだ?という不思議な思いだけが残る言葉になってしまうかも知れません。そうなってしまったら、それもなんだか淋しい話ですね。(「2021/06/01 号 (No.5358)」の抜粋文)
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