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明日の雨は「虎が雨」 [日刊☆こよみのページ]

■明日の雨は「虎が雨」
 【虎が雨】(とらが あめ)
 陰暦 5月28日に降る雨。この日、曾我十郎が死に、それを悲しんだ愛人の遊女虎御前の涙が雨となって降ると伝える。虎が涙。曾我の雨。夏の季語。 《広辞苑・第六版》

 暦のこぼれ話ならぬコトノハ風のスタートです。コトノハに書こうかと迷いましたが、言葉の意味というより時候の話題ということで、暦のこぼれ話での登場となりました。広辞苑の説明では「陰暦 5月28日に降る雨」とありますから、今年で言えば明日、7/7 がその日となります。本来であれば明日書くべきかもしれませんが、明日は七夕の日と言うことで、きっと「暦の話」が色々ありそうなので前倒しいたしました。

◇曾我兄弟の仇討ち
 虎御前が涙を流す元となった曾我十郎はその弟曾我五郎と共に父親の仇を討った「曾我兄弟の仇討ち」の主役です。曾我兄弟の仇討ちは建久 4年 5月28日(1193年)。現在使われるグレゴリウス暦に換算すると 7/4となります(ユリウス暦では6/28)。仇討ちというと「江戸時代」とつい思ってしまいそうになりますが、曾我兄弟の仇討ちは鎌倉時代も初期の頃。大分古い時代の仇討ちです。曾我十郎の父親の河津祐泰は他人の所領争いのとばっちりを受けて死んでしまいました。その時、十郎はまだ 5歳。弟五郎は 3歳だったとか。曾我兄弟が仇討ちを実行したのはその17年後のことでした(十郎22歳、五郎20歳)。仇自体は討てましたが、その後二人は取り押さえられ、十郎は斬り死に、五郎は捕縛され後に処刑されています。この曾我兄弟の仇討ちは後に「曽我物語」として物語として描かれ、広く知られるようになりました(日本三大仇討ちの一つとされています)。

◇虎御前と虎の雨
 虎御前は大磯の遊女で、曾我十郎の内妻(十郎は仇討ちを実行して死ぬつもりだったので正式な嫁取りをしなかったとか)。十郎が念願かなって仇討ちを成し遂げ、そして亡くなったこの日に降る雨は、十郎の死を悲しむ虎御前の涙だとされています。ただ、考えればわかるとおりこの時期は梅雨時。ほとんど毎日のように雨が降る時期ですから、雨が当たり前。三年に二度は雨が降るとか。江戸時代に書かれた本などにはわざわざ、虎の雨の史実に拘はる事なかれと注意していますが、わざわざ言うまでもないですね。明日、雨が降ったら「ああ虎が雨だ」と思っていたって悪いことはないでしょうね。ただし、明日「虎が雨」が降ってしまうと、織女と牽牛とに恨まれてしまいそうなので、降ってもらっちゃ困るのかな?ま、いずれにせよ、降るも降らぬもお空の事情で、人間の事情ではいかんとも出来ませんけれどね。(「2021/07/06 号 (No.5393) 」の抜粋文)

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