SSブログ

【土用波】(どようなみ) [日刊☆こよみのページ]

【土用波】(どようなみ)
 大きな台風が南方洋上にある時に寄せてくる波のうねり。特に夏の土用の頃に見られるので、この名がある。夏の季語。《広辞苑・第六版》

 海の波は、海の上を吹き過ぎる風によって生まれる波、「風浪(ふうろう)」とその場の風のあるなしにかかわらずに寄せてくる「うねり」が有ります。風浪は風が吹く毎に風上から風下に向かって扇形に拡がりながら寄せる波で、概して小さく、よほど風が強いとき以外は可愛らしい波です。これに対してうねりはその名の通り、風もないのに海の上にうねうねと続く幅が広くてなだらかで、大きな波です。うねりは沖合ではなだらかな波なのですが、これが海岸に近づいてくると次第に急峻となって高さを増し、最後には巻き波となって白く砕けます。砂浜の波打ち際で寄せる波の先端と追いかけっこをした経験はどなたにもあるのではないでしょうか(逃げ遅れて服を濡らしたことも)。この追いかけっこをした寄せては返る大きな波の元がうねりです。夏の土用の頃になると海にはこの大きな波の仲間であるうねりの内でも特に大物の大波が現れることが多くなります。この大物のうねりを指して土用波と呼びます。土用波は特別な波ではなく、見慣れたうねりのなかの大物の呼び名なのでした。さて、風浪が風で作り出されるのは見れば分かるとおりですが、うねりはいったいどうやって出来ているのでしょうか。実はうねりも元は風によって生み出された風浪なのでした。長い距離、一定の方向に風が吹き続けるような場合に、生まれた風浪が次第に一つに集まって出来たものがうねりです。しかし風の「か」の字も見えないような海にもうねりがあり、大物の土用波が現れます。いったいどこで風が吹いているのでしょうか?それは日本の遙か沖合。1000キロメートルも離れた洋上を吹いています。遙か彼方で吹く風で生まれた波がうねりとなって、風が消えた後も一人、海を旅して日本にたどり着くのです。このうねりの中でも特に大きな土用波が夏のこの時期に現れる理由は、この時期には日本の遙か南方洋上に嵐、則ち台風が発生することです。台風の暴風雨圏の大風で生み出された大きな風浪が、大きなうねりとなって日本に届きます。波はその波長が長いほどその進む速度は速くなります。海のうねりの波長は100メートルも200メートルもあるため、小さな風浪などとは比べものにならないほど早く進み、土用波もそれを生み出した台風自身を遙か沖合に残したまま日本に到達するのです。この大きな波は、サーフィンを行うには絶好の波となるのでしょうが、予想以上の大波になって事故となることもしばしば。土用の時期の海は穏やかなようでも、恐いところも有ります。長閑に寄せてくるようなゆったりしたうねりの外見に騙されないように、この時期に海で遊ぶ際は特に気をつけましょう。(「2019/07/31 号 (No.4687) 」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0) 

桐始めて花を結ぶ [日刊☆こよみのページ]

□桐始めて花を結ぶ
 本日から大暑の期間に入ります。二十四節気をさらに細分化した七十二候では大暑の初候、七十二候全体では三十四番目にあたる 桐始めて花を結ぶ (きりはじめて はなをむすぶ)の季節となりました。

◇桐の花?
 「桐始めて花を結ぶ」と有ります。桐の花と言えば、薄紫色のきれいな花で 5月頃に咲くものです。ああ、薄紫の桐の花とその背後に広がる 5月のすがすがしい青空が目に浮かびますね・・・あれ? 季節が違うような気がする。なぜいま「桐始めて花を結ぶ」なの?七十二候は元々は中国で生まれたもので、それが輸入されたものですから中には日本の風土に合わないものもあって、そのため日本に入ってから何度か日本風の七十二候が作られており、こうしたものを「本朝七十二候」などと呼びます。日本生まれの七十二候という意味ですね。今回採り上げた「桐始めて花を結ぶ」も本朝七十二候の一つ。江戸時代の初期に作られた貞享暦(じょうきょうれき)から採用されています。中国直輸入の七十二候であれば、中国と日本の風土の違いで説明をつけることも出来ますが、日本で生まれた本朝七十二候と言うことならそういうわけには行きません。もしかしたら江戸時代とでは気候が違う?なんだか変なこの言葉の謎は、何のことはない「桐」の違いでした。桐は桐でもこの桐は梧桐(あおぎり)。桐と梧桐は名前は似ていますが、まったく違う植物なのでした。

◇梧桐(あおぎり)
 梧桐は青桐とも書きます。その名の由来は若い木は大きくなってもその幹が緑色をしていることからだと言われます。その大きな葉っぱは確かにどことなく桐の葉っぱに似ていなくもありませんので、梧桐と呼ばれるようになったようですが、植物学的な分類では全く別の植物で、桐の仲間ではありません。肝心の花の咲く時期ですが、現在はだいたい 6~ 7月頃。これもちょっとずれているようにも思えますが、まあ誤差の範囲内でしょう。梧桐は生命力旺盛で、伐られても切り株から蘖(ひこばえ)となってすぐに成長を始めるほどで、庭木や街路樹に使われることがありますので、皆さんも周囲を見回せばこの木を見つけることが出来るのでは?今は「桐始めて花を結ぶ」時期なので花も見えるはずですが、花は白くて小さく、あんまり花という感じの花では有りません。その上背の高い木では大きな葉っぱが邪魔をして、梧桐の花はますます目立ちません。「気になる、梧桐ってどんな木なんだろう?」そう思ったあなたは、「アオギリ」でインターネット検索をしてください。手抜きの対応ですみません。

◇それでも気になる季節のずれ?
 桐始めて花を結ぶの桐が、梧桐だと言うことでひとまずは問題解決ですが、それでもちょっと気になります。梧桐の花の咲く時期は現在はだいたい 6~ 7月頃。「始めて花を結ぶ」と言うには今の時期は遅すぎるような気がしませんか? (それは、新暦と旧暦の差では・・・なんて言わないでくださいね。二十四節気や七十二候は、太陽の位置に基づいているので、新暦も旧暦も関係ありません)もしかしてと思うことは、この言葉が採用された貞享暦が生まれた時期は、天文学上ではマウンダーの極小期と呼ばれる時期に一致することです。マウンダーの極小期とは、AD1645~1715年の太陽黒点数が極度に少なかった時代のことで、この期間は地球全体の気温が低下した時代だとされています(「マウンダーの小氷期」と呼ばれることもあります)。もしかして、今より寒かったこの時代、本当に梧桐の花の咲き始める時期は今頃だったのかもしれませんね。あくまでも私の想像ですが。(「2019/07/23 号 (No.4679) 」の抜粋文)

nice!(0)  コメント(0) 

暦の上の梅雨明けの日付 [日刊☆こよみのページ]

■暦の上の梅雨明けの日付
 明日はもう、二十四節気の大暑の節入り日ですが、大暑という割には、一向に暑さを感じません。東京ではまだ梅雨が明けず、梅雨寒の日が続いているからです。そろそろ、梅雨明けないかな?そんなことを考えていたら、今朝の天気予報で、東京も今週中には梅雨明けになりそうとのこと。人様には迷惑かと思いますが、「暑い」季節が好きな私としては、早く梅雨が明けて夏の日差しが現れることを期待しています。

◇暦の上の梅雨明け?
 現在の梅雨明けは、気象庁が「○○地方は××に梅雨明けした模様」といった具合に発表してくれる日付によりますが、気象庁なんていう有難いものがなかった時代は、これに代わって暦の上に「出梅(しゅつばい)」という日があって、これが梅雨明けの時期の目安とされていました。暦の上には暦と季節の動きを結びつける季節点が幾つもあります。有名なところは、二十四節気がそれです。今回の出梅やこれと対となる入梅などもまたそうした暦と季節をつなぐ季節点の一つ。こうした季節点の多くは、現在は太陽の黄道上の位置で決められています。「入梅は太陽の視黄経が80度となる日」といった具合です。昔は、二十四節気との関係で表すことが多く、「入梅は『芒種』以後の最初の壬(みずのえ)の日」のように決められていました。二十四節気は太陽の位置に基づいて決定されているものですので、二十四節気を基準にするということは、間接的にやはり太陽の位置から求めているということが出来ます。「最初の壬(水の兄)の日」辺りには、梅雨だから水の気と関係が有るに違いないという、五行説の考えが垣間見えます。さて、「出梅の話」なのに入梅の話ばかりしておりますが、その理由は出梅は入梅に比べるとあまりぱっとせず、定義もはっきりしないからです。入梅は太陽視黄経が80度の日とされているのですが、出梅はというと、はっきりした定義は無さそうです。入梅があって出梅がないというのもバランスの悪い話ですので、何か手がかりはないかというと、昔の出梅の定義が有りました。それは、「出梅は『小暑』以後の最初の壬の日」というものです。入梅が芒種以後の最初の壬の日でしたから、出梅が小暑以後の最初の壬の日というのは、なかなか判りやすい。後半の「最初の壬の日」のために年ごとの入梅や出梅の日の太陽視黄経は同じ値にはならなくなってしまいますが、それでも平均すると入梅はだいたい現在の定義である太陽視黄経80度あたりとなります。出梅もこれと同じ規則だと考えれば、「小暑以後の最初の壬の日」の太陽視黄経は平均すると 110度程になります。これを現代の暦の上の出梅の定義だと考えて、この日を計算してみると、

  2019年の太陽視黄経が 110度となる日 → 7/13

 となります。ちなみに、古式ゆかしく「小暑以後の最初の壬の日」を計算すると、7/14となります。角度方式でも古式ゆかしい方式でも、暦の上ではもう梅雨は明けていてもいいはずなんですが。近頃は気候の温暖化などで昔ながらの暦の上の出梅では上手く季節を表せないのかな?もっとも、今週中に梅雨が明けるとしたら暦の上の出梅の日付との差は10日あまり。これくらいの変動は年によってはあり得ることと、あまり目くじらを立てないでもいいのかな?ああ、とにかく早く梅雨、明けないかな?(「2019/07/22 号 (No.4678) 」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0) 

【草木塔】(そうもくとう) [日刊☆こよみのページ]

【草木塔】(そうもくとう)
 切り倒した草や木の霊を鎮めるために立てた塔。草木供養塔。 《広辞苑・第六版》

 自然石に「草木塔」「草木供養塔」「山川草木悉皆成仏」などの文字が刻まれた供養塔が草木供養塔です。山形県の米沢市を中心に約 170基の草木塔が見つかっているそうです。おそらく未発見のものもあるでしょうから、実際の草木塔の数はもう少し多いかもしれません。人間はいろいろなものを利用し、またいろいろなものの命を奪って生きていかざるを得ません。動きもせず、切り払っても悲鳴もあげない草木にも命があります。草木塔は、人間が生きてゆくために刈り取ってしまった草や切り倒してしまった木への感謝や、そうした草木を生み育てる自然への畏怖から建立された供養塔なのでしょう。現在確認されている最古の草木塔は、安永 9年(1780)に米沢市大字入田沢に建立されたものだそうです。安永 9年といえば、上杉家中興の名君、鷹山公が藩主の時代です。鷹山公は武士だけでなく、領内の民衆すべての教育に熱心に取り組んだことで知られていますから、草木搭建立にも何かかかわりがあるのかもしれません。草木塔の建立が鷹山公の教化の結果なのか否か、人々がどんな思いから草木塔を残したのか、今となってははっきりしたことはわかりませんが、草木塔を残した人たちがいたことを思い出すことによって、草や木への感謝や畏敬の心を今一度、思い出すきっかけとしたいものです。(「2019/07/18 号 (No.4674)」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0) 

金属も融けるほど暑い「三伏の候」 [日刊☆こよみのページ]

□金属も融けるほど暑い「三伏の候」
 日本の多くの地域ではまだ梅雨。そんな梅雨も明けないうちにですが、厳しい暑さの時期を表す、「三伏(さんぷく)の候」の期間が近づいてきました。三伏とは「初伏・中伏・末伏」の三つをまとめて言う言葉です。それぞれの日付は

  初伏 ・・・ 夏至以後、三度目の庚の日
  中伏 ・・・ 夏至以後、四度目の庚の日
  末伏 ・・・ 立秋以後、最初の 庚の日

 として計算するのが一般的です(こよみのページではこの方法で計算しています)。計算方法についてはこの方法の他に、次のような方式も在ります。

 ・別法1
  初伏 ・・・ 夏至以後、三度目の庚の日
  中伏 ・・・  〃  、四度目の庚の日
  末伏 ・・・  〃  、五度目の庚の日

 ・別法2
  初伏 ・・・ 小暑以後、一度目の庚の日
  中伏 ・・・  〃  、二度目の庚の日
  末伏 ・・・  〃  、三度目の庚の日

 それぞれの方式で今年(2019年)のそれぞれの日付を計算すると

 ・標準方式: 初伏 7/12 , 中伏 7/22 , 末伏 8/11
 ・別法1 : 初伏 7/12 , 中伏 7/22 , 末伏 8/01
 ・別法2 : 初伏 7/12 , 中伏 7/22 , 末伏 7/29

 となります。上記の日付からすると明日7/12は、どの方式で計算しても初伏の日となります。

◇三伏の日の意味
 三伏の日というのは中国古代の五行説(ごぎょうせつ)から生まれた暦注の一つで、この日は季節の性質と日の性質が合わず、ギクシャクした日だと考えられている日です。季節の性質と日の性質とはなにかですが、季節はといえば言わずと知れた夏。夏は五行説では「火」の性質を持つ季節です(大変分かりやすい解釈)。次に日の性質ですが、これは上記三伏の日付計算に「○○の庚の日」と書いた「庚(かのえ:金の兄)」がそれを表します。

  庚の日 = 金の兄の日

 「兄」は陰陽説で陰陽を表す「兄」「弟」の「兄」で、強いとかはっきりしたということを意味します。つまり「金の兄」といえば、「金」の気が強くはっきりした日と言うことになります。五行説ではそれぞれの気の間に仲のよくない関係を示す「相剋(そうこく)」という考えがあります。「剋」は「かつ」とも読まれます。例えば、水と火は仲が悪く、水は火を消す作用があるから

  水剋火(すいこくか) = 水は火に剋(かつ)

 という具合です。三伏の日は季節は「火」で日は「金」。これは

  火剋金(かこくきん) = 火は金に剋(かつ)

 です。「金」は金属を表す言葉ですが、金属は火に当たると溶けてしまうから火は金より強い、金の気からすると火の気は苦手な相手なのです。「金」は季節では「秋」を示す気とされています。つまり三伏の日は秋の気を表す「金」の気を胎蔵した日であるにも拘わらず、その気が夏の「火」の気に圧倒されてしまう日と云うことになります。三伏の時期は金属も溶けてしまうのではないかと云うくらい暑い季節というわけですね。この「金気」を融かすほど暑い時期であることから、「三伏の候」といえば暑中の候の意味で使われるようになりました。さて、今のところ雨雲に覆われていて、それほどの暑さは感じませんが、梅雨が明けたら一気に金属も融けるほどの暑さになるのでしょうかね?どちらかというと「暑い日」も嫌いではない私なので、そんな暑い日が来ることを、ちょっぴり待ち望んではいるのですが、皆さんはいかがでしょう。(「2019/07/11 号 (No.4667) 」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0) 

カボチャの収穫! [菜園便り]

<カボチャの収穫>
カボチャ畑の草刈りをしたついでにカボチャを穫る
今年は三種類(ミニカボチャ、クリカボチャ、白カボチャ)を植えたが、病気が入り、不作です
白カボチャの収穫なし!(>_<。)

190706no1.JPG
nice!(0)  コメント(0) 

七夕と雨 [日刊☆こよみのページ]

□七夕と雨
 明日は七夕。七夕の夜は牽牛と織女が一年に一度、逢うことを許された夜。晴れた空には、彦星(牽牛)と織姫星が天の川の両岸で輝いています。しかし、星が輝く夜空を隠してしまうのが雲、そして雨。星祭りの性格をもつ七夕の時期には、星の輝きを邪魔する雨に特別な名前がつけられています。

◇洗車雨(せんしゃう)
 七月六日に降る雨です。七月七日に降る雨だとされることもあります。一年に一度、織女と会うために牽牛がせっせとその牛車を洗う水が雨となって降り注ぐのがこの雨の元です。一年一度の逢瀬のためにせっせと車を洗うとは。今も昔も、天上の世界も地上の世界も、人のやることは変わらないようです。ちなみにこれを書いているのは7/6。窓の外は雨。牽牛は朝からせっせと牛車を洗っているようです。

◇洒涙雨(さいるいう)
 七月七日に降る雨。催涙雨(さいるいう)とか七夕雨(たなばたあめ)ともいいます。牽牛と織女が一年一度の逢瀬の後で、再び別れ別れとなる際に流す惜別の涙が雨となって地上に達するのが、洒涙雨だと云われます。一説には、七夕の夜に雲のため逢瀬が適わない二人が流す悲しみの涙とも云われます。気になって、明日の天気予報を見てみてみました。私の住む街の明日の天気は曇り時々雨。出来ることならその「時々」の雨は昼の間に降って、夜まで続くことがないことを、織女と牽牛のために祈ります。

◇七夕流し(たなばた ながし)
 七夕の夜を台無しにしてしまう長雨のことを、七夕流しといいます。旧暦の七夕(今年の旧暦の七月七日は新暦の 8/7)は、梅雨明け後の晩夏から初秋の行事でしたから、晴れることが多かったと思われますが、七夕の節供の日取りが新暦の日付で行われるようになると、七夕の時期は雨の季節、梅雨のまっただ中。「七夕流し」の長雨が降り続いている可能性が高いですね。

  雨降りて願いの糸のあはれなり (村上鬼城)

 明日の夜はこの句のような雨降りにならないことを祈ります。牽牛と織姫の願いが叶いますように。
(「2019/07/06 号 (No.4662) 」の抜粋文)
nice!(1)  コメント(0) 

半夏生(はんげしょう) [日刊☆こよみのページ]

□半夏生(はんげしょう)
 半夏生は、七十二候の「半夏生ず」からでて、今は雑節としても暦に取り入れられています。七十二候の半夏生は中国から伝えられたものですが、雑節は日本の生活に必要なものとして日本で暦に取り入れられていったものです。他にも七十二候は沢山ある(あたりまえですが、七十二候というくらいですから72ある)のですが、他の候が俳句の季語やこの日刊☆こよみのページくらいでしか見かけなくなっているのに、この半夏生は一人だけ出世した感じですね。(雑節だって、日刊☆こよみのページくらいでしか見掛けないかな?)

◇天地に毒気が満ちる日
 「半夏生」は半夏という植物が生える日。この日は天から毒気が降り、地上に毒が満ちる日とされています。このためこの日に採った山菜や野菜は食べてはならないとか、井戸から水を汲んではいけないなどの言い伝えが有りました。「半夏」とは烏柄杓(カラスビシャク)という植物の異称です。烏柄杓は浦島草(ウラシマソウ)や蝮草(マグシグサ)などの仲間で、何となくおどろおどろしい感じのする植物。このおどろおどろしさが「天地に毒気が満ちる日」なんて連想を生んだのかもしれません。この植物は山と接した畑の端などに今でも見かけることが有ります。日当たりが良くて、柔らかい土が好みのようです。漢方薬では生薬としても利用されます。どんな植物か気になる方は、ウキペディアに写真入りで紹介されていますから、そちらをご利用ください。

◇田植えの終わりの日
 暦の雑節は、日本の生活に密着して無くてはならないものが取り入れられたものなのですが、半夏生にはどんな意味があったかというと、田植えの終わりの日という意味がそれにあたります。半夏半作という言葉が、古い農民の諺に有ります。天候不順で田植えが遅れていても、半夏生までに田植えが済めば平年の半分程度の収穫は望めるというもの。逆の言い方をすれば、半夏生を過ぎて田植えをするようではその半作すらも望めないと言うことです。こうした諺が出来たことからも、半夏生が農民にとって稲作の上での重要な節目になる日だったということが判ります。この稲作上の節目の日という意味から、数多の七十二候の中から、「雑節」へと昇格したものだと思われます。

※これは、稲の早生化が進む前の話。現在は稲の品種改良が進んでしているので、ここまで田植えが遅くなることはないと思います。

◇半夏と半夏生
 元々の七十二候は「半夏生ず」で、半夏という植物が生えるという意味ですが、迷惑なことに「半夏生(はんげしょう)」というそのままの名の植物も有ります。この植物は夏が近付くと、葉っぱの一部が「白化」して半分だけ白粉を塗ったかのような様相を呈するため、「半化粧」と呼ばれるようになったとか、半夏生の時期に花を咲かせる(花と言っても大変地味で、花という感じではありませんけれど)からこの名が付いたのだとも言われます。名前は似ていますが、半夏(烏柄杓)とは全く別の種類の植物です。これまた気になる方は、ウキペディアに写真入りの説明が有りますのでご確認ください。さ、「天地に毒気が満ちる日」なんてちょっと不吉な感じのする日ですが、実際に毒気が満ちるわけではありません。気にせず、今日も元気な一日を過ごしましょうね。(「2019/07/02 号 (No.4658)」の抜粋文)


nice!(0)  コメント(0)