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【一粒万倍】(いちりゅう まんばい) [日刊☆こよみのページ]

【一粒万倍】(いちりゅう まんばい)
 [報恩経 4「世間求利、莫先耕田者、種一万倍」]
 1. 1粒の種子もまけば万倍の粒となるの意で、少しのものもふえて多くの数になるたとえ。
  少しだとて粗末にはできぬの意にも。
 2.稲の異称。〈日葡辞書〉
    《広辞苑・第六版》

 暦の暦注の一つに「一粒万倍日」というものがあります(今日も)。その日行ったことは万倍の結果となって返ってくる日とされ、商売を始める場合などにはよい日だと考えられるようです。ただし、「結果が万倍になって返ってくる」ということは、借金などしたらこれは大変な日でもあります。また「一粒万倍」には稲という意味もあります(語釈 2の意味)。秋と言えば稲が実る季節。「一粒万倍」の異称を持つ稲が、自然の恵みと人の手を経て万倍になって帰ってくる季節です。春から八十八の手間を掛けて育ててきた人々のご苦労が報われますように。(「2019/08/31 号 (No.4718) 」の抜粋文)
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【処暑】(しょしょ) [日刊☆こよみのページ]

【処暑】(しょしょ)
(暑さがおさまる意)二十四節気の一つ。太陽の黄経が150度の時で、暑さが止み、新涼が間近い日。7月の中(ちゅう)。太陽暦の8月23日頃に当たる。《広辞苑・第六版》

 「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」

 これは天明七年(1787)に出版された暦の解説書『暦便覧』の処暑の説明です。簡潔にして明瞭に処暑という言葉を説明してくれています。ここ数日、朝夕はすっかり涼しくなりましたが、もう処暑の時節となっていたのですね。この頃には萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃。ただし、処暑の頃から秋分の頃までは台風のシーズンでもありますので、「心地よい」とばかりは言っていられませんが。現在の二十四節気は、広辞苑の説明にあるとおり、太陽(の中心)の黄経で区切る定気法(ていきほう)という方式によっており、処暑の始まる位置はこの黄経が 150度と定められています。今年(2019年)に太陽中心がこの位置を通過するのは8/23の午前10時(日本時)頃ですから、処暑の期間は8/23から始まりまました。こうした定気法による二十四節気は、現在の旧暦の基となっている天保暦から採用されたものです。天保暦の施行は西暦1844年ですから、案外にその使用の歴史は浅いものです。定気法以前の二十四節気はどのような方式によっていたかというと、これは平気法(へいきほう)と呼ばれるものでした。平気法の原理は冬至と次の冬至の瞬間を求め(当時の瞬間については、定気法と同じ)、二つの冬至の間の時間の長さを24等分するという方式です。どちらの方式で求めたものでも、二十四節気そのものの時期は大きく異なることはなく、ずれの大きな所でもその差は精々2~3日程度のものですから、平安の昔も今も、処暑の時期は変わらないと考えてもよいでしょう。もちろん、1787年に刊行された前出の暦便覧が書かれた時代も同じこと。暦便覧の言葉のように、暑さが止んで、涼しさが近づく季節となったはずです。さてさて、本当にそうでしょうか?ここから先は、皆さんの感覚にゆだねることにいたします。(「2019/08/27 号 (No.4714)」の抜粋文)
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【蝉時雨】 (せみしぐれ) [日刊☆こよみのページ]

【蝉時雨】 (せみしぐれ)
 蝉が多く鳴きたてるさまを、時雨の音にたとえていう語。夏の季語。《広辞苑・第六版》

 深閑としているはずの林の中が、夏の一時期だけは喧噪の場と化します。騒ぎの元は蝉の声。林の中だけでなく、お寺や神社、街中でも樹木の多い公園などでは、やかましいほどの蝉の声が聞こえてきます。蝉たちの声は一斉に始まったかと思えば、一斉に止みます。まるで突然降りだす時雨のように。蝉時雨とは言い得て妙な言葉です。やかましい蝉時雨に包まれると、夏らしさを強く感じるためか周囲の気温が2℃、上がったように感じてしまいます。暑い夏をますます暑くしてくれる蝉時雨です。今年は、夏の間もほとんど東京を離れることなく過ごしていたため、本格的な蝉時雨に包まれることもなかったのですが、夏も終わりに近づいた日曜日、久々に猛暑日となったその日の昼下がりに、下町の一角で突然に降り出した、蝉の声に包まれました。そこは住宅街の小さな公園。公園を取り囲む木々から一斉に鳴く蝉の声が聞こえ、公園の中に入ると蝉の声に取り囲まれている感じでした。蝉の命は儚いもの。日曜の公園で耳にした蝉時雨に加わっていた蝉の何割か既にこの世を去っていることでしょう。騒がしく暑苦しい蝉時雨ですが、蝉たちにとっては、生きた証の騒がしさなのですね。蝉時雨の大合唱は合唱団を構成する蝉を替え、蝉の種類を替えながら続いて行きます。間もなく蝉時雨の喧噪も一段落し、鳴く蝉が寒蝉(つくつくぼうし)や蜩(ひぐらし)へと変わると暑い夏も終わります。今年の蝉時雨の季節も、もうすぐ終わりとなりそうです。(「2019/08/23 号 (No.4710)」の抜粋文)
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稲葉の猿子 [日刊☆こよみのページ]

稲葉の猿子
 月遅れの盆が過ぎると、夏も終わりだなという思いをひしひしと感じずにはいられません。私が生まれ育った福島県の真ん中辺りの小学校の夏休みは7/21~8/20の1ヶ月間でした(私が愛らしい小学生だった頃はね。今はどうかな?)から、月遅れの盆が終わると、嬉し恥ずかし(?)、そして楽しい夏休みの終わりが目前。小学生の頃の私にとって、夏休みとは夏そのものとも言えるものでした。その夏休みも月遅れの盆が終わる頃に終焉を迎える。始まるときには無限に続くかと思えた夏そのものといえる夏休みがもうすぐ終わってしまうという恐怖、絶望感。子供の頃のその強烈な思いが今も色濃く私の記憶の中に残っているため、この時期になると「夏が終わる」と思えるようになってしまったのでしょう。「稲葉の猿子」とは稲葉についた露が下から上へとのぼる現象を指す言葉です。夏の終わりを感じてやるせない思いのまま目覚めた8月終わりのある朝に、そんなやるせない思いの私を慰めてくれたのが「稲葉の猿子」でした。私の生まれ育ったところは田舎で、周囲には一面の田圃が拡がっていましたから、夜明け前に雨が降ったような日や朝露が残っているような日には、猿子の着いた稲葉は無数にありました。そんな無数にあった稲の葉についた露を眺めていると不思議なことに、その露の水滴が、ツツッと上方に動いて行くことがあることに気が付きました。葉の下方へではなく、上方に向かって動いて行くのです。本当に、稲葉を昇っているかのように。昔の人はこの稲葉を登ってゆく水滴を猿の子に見立てて「稲葉の猿子」と呼んだのでしょう。この子猿たちが稲の葉を登るのは、稲の葉が有るか無しかの風に揺れた直後のこと。葉についた沢山の露が、スルスルというか、ツツーッと見事に登って行くのでした。面白いので人工的に登らせてみようとそれらしい状況を作り出して見てもうまく登ってくれません。案外に気むずかしい猿たちです。実は、この現象に「稲葉の猿子」と呼ばれていることを知ったのは大人になってからでした。気象学者の倉嶋厚さんの本の中で、この現象が紹介されていたのでした。倉嶋博士の説明によれば、露と露が合体する際、稲葉は上向きのキザキザがあるため、合体が上へ上へと向かって進むのがこの現象なのだそうです。なるほど、まだピカピカの少年だった私が見たあの現象は、こんな原理で起こっていたのですね。夏休みの終わりを感じて絶望感に浸っていた私でしたが、そんな私も稲葉の猿子の不思議な動きに目を奪われた一時は、絶望感すら忘れることが出来ました。大人になってしまい、周囲に見渡す限りの田圃のある環境でもなくなった現在、相変わらず盆が過ぎると夏の終わりの絶望感だけは思い出してしまう私を、あの頃の猿子の様に救ってくれるものは、何か無いかな・・・(「2019/08/17 号 (No.4704) 」の抜粋文)


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【含羞草】(おじぎそう) [日刊☆こよみのページ]

【含羞草】(おじぎそう)
 マメ科の小低木で、園芸上は一年草。ブラジル原産。日本には天保年間に渡来。茎は直立。高さ約30センチメートル。細毛ととげをもつ。葉に触れると閉じて葉柄を垂れ、暫くして開く。また温度・光・電気などの刺激にも敏感に反応する。夏、葉腋に花柄を出し、淡紅色の小花を球状に付ける。花後に莢さやを生ずる。知羞草。ネムリグサ。ミモザ。夏の季語。《広辞苑 第六版》

 その葉に触ると葉を閉じ、続けて葉柄もうなだれる。この様子がまるでお辞儀をしているようだということで「おじぎそう」というながついたのでしょう。ただ、読みは「おじぎそう」ながらその文字は「御辞儀草」ではなくて「含羞草」。含羞草のお辞儀は、お辞儀はお辞儀でも、見事なお辞儀というより、幼い子が初めてお辞儀したように、お辞儀の途中ではずかしがってお母さんの陰に隠れてしまったようなお辞儀。はずかしそうなお辞儀をするこの草の名に「御辞儀草」ではなくて「含羞草」の文字を選んだ先人は偉い。この草は日が暮れると早々に葉を閉じて眠りにつきます。このため付いた別名が「眠草」。宵の口から眠りについてしまうあたりも、幼い子供の風情です。さてさて、触れるとお辞儀をするその葉の動きばかりに目がいきがちなこの草ですが、夏の頃から秋の初めにかけて枝先に咲く花もお忘れなく。美しいというより、可愛らしいという表現がぴったりの薄紫色の球形の小花が枝の先に一つずつ咲きます。この花を付けるときだけは、含羞草もなんだかちょっと誇らしげ。買ってもらった新しい鞠を、「見て、見て」と差し出しているようです。今は含羞草が花を付ける頃。きっとどこかの庭に「見て見て」っと、嬉しそうに鞠を差し出している含羞草があることでしょう。(「2019/08/14 号 (No.4701)」の抜粋文)

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白虎の季節到来 [日刊☆こよみのページ]

□白虎の季節到来
 皆さん次のような言葉をどこかで見たり聞いたりしたことがありませんか?

   青春(せいしゅん)・朱夏(しゅか)
   白秋(はくしゅう)・玄冬(げんとう)

 とペアになった文字がそれぞれの季節の色を表しています。このうち、もっともよく目にする言葉は「青春」。本日のタイトルに用いた「白秋」はその次でしょうか。ここに掲げた 4つの言葉は元々は季節を表す言葉に過ぎなかったのですが、後には一年を人の一生になぞらえて、季節によって人生のある段階を示すようになりました。「青春」といえば、人生の春ということです。確か、私にもそんな時代がありました(気のせいかな?)。現在はというと「白秋」の時代、人生も秋の頃ですね。なぜ季節にはこのような色があるのかというと、暦のこぼれ話をお読みの皆さんにはお馴染みになりつつある五行説によります。五行説では、五行(木火土金水)それぞれが次のようなものと対応します。

   季節: 木→春 火→夏 金→秋 水→冬 土→土用
   色 : 木→青 火→朱 金→白 水→玄 土→黄

 ご覧の通りで

   春は木性、木性は青。よって春の色は青 ⇒ 青春
   夏は火性、火性は朱。よって夏の色は朱 ⇒ 朱夏
   秋は金性、金性は白。よって秋の色は白 ⇒ 白秋
   冬は水性、水性は玄。よって冬の色は玄 ⇒ 玄冬

 と言うわけです。ちなみに五行それぞれの色を指して「五色(ごしき)」と言います。ついでに季節の神獣はというと、これまた五行説では

   神獣: 木→蒼龍 火→朱鳥 金→白虎 水→玄武 土→黄龍

 もちろんこれから「秋の神獣は白虎」という具合。これなんかは色からそれに対応する神獣を作り出したものなのかもしれません。今日は立秋、秋の始めですから白虎に守られた季節、白虎の季節の始まりの日ということになります。ついでですが、五行は方位にも割り振られており、秋の神獣、白虎は西方の守護神獣でもあります。ああ、白虎様、あなたの守る西方から押し寄せる台風から秋の日本を守って下さい。昨年はちょっと、守りが疎かだったようですので、今年は是非頑張って!(「2019/08/08 号 (No.4695) 」の抜粋文)


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【入道雲】 [日刊☆こよみのページ]

【入道雲】
 (高く盛り上がり雲頂が丸く大入道のように見えることから)積乱雲の通称。くものみね。夏の季語。 《広辞苑・第六版》

 梅雨が明けて、やっと夏らしくなってきました。日本の大部分の方は「暑くてたまらん」と思っていらっしゃるようですが、私はというと、暑い夏は好き。暑さもあまり苦になりませんので、ここ数日は幸せな日々を過ごしております(かなり少数派である自覚はあります)。

  閑話休題

 暑い夏の日、空の低い領域に出来た積雲が激しい上昇気流によって急速に上方に成長した雲が入道雲です。夏の海や山の上にこの大入道のような雲がむくむくと伸びている様は、本当に夏らしい風景です。夏空にすっくと立った入道雲は男性的な雲という印象があるためでしょうかこの雲を男性の名前で呼ぶ地方があります。

  坂東太郎(ばんどうたろう) ・・・ 関東地方
  筑紫二郎(つくしじろう)、比古太郎(ひこたろう) ・・・ 九州地方
  丹波太郎(たんばたろう) ・・・ 京阪地方
  四国三郎(しこくさぶろう) ・・・ 四国地方

 などなど。頭の丸いこの入道雲の背がさらに伸びて、その頂が成層圏まで達するようになると丸い頭が平たくなって、鉄床雲(かなとこぐも)などと呼ばれるようになることもあります。夏の空に強い陽射しを浴びた真っ白な入道雲が成長してゆく様子は、なかなか雄大な眺めではありますが、この雲の下では強い雨が降り、雷が発生することもしばしば。入道雲の姿を楽しむのは結構ですが、その際にも雲の動きには注意を払う必要があります。急な土砂降りにやられないように注意しながら、夏の入道雲の姿を楽しみましょう。(「2019/08/05 号 (No.4692)」の抜粋文)
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