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木枯らし一号が吹かない年? [日刊☆こよみのページ]

□木枯らし一号が吹かない年?
 「今年(2019年)は、東京に木枯らし一号が吹かない年になるかも」11月も最後の日となりました。東京の街は秋の気配がほぼ消え去って、初冬の趣となってきています。そんな東京ですが、今年はどうやら「木枯らし一号」が吹かない可能性が濃厚になってきています。

◇「木枯らし」と「木枯らし一号」
 まずは、「そもそも木枯らしとは」から説明します。木枯らしは、晩秋から初冬にかけて吹く強い北よりの風のことです。その冷たい風で「木を吹き枯らす」ことから木枯らしと呼ばれるようになりました。また、木枯らしには一文字でこれを表す「凩」という文字もあります。「木枯らし一号」とは、その年(そのシーズン?)最初に吹いた木枯らしを表す言葉で、気象庁はいくつか条件を設けてその条件をクリアした最初の風をこう呼んでいます。木枯らし一号と認められるための条件とは

  1.10月半ばから11月末日までに吹く風であること。
  2.西高東低の冬型の気圧配置の状況下で吹く風であること。
  3.風向は西北西から北までの間の風であること。
  4.概ね風速8m/sを超える、強い風であること。

 だそうです。もちろん、この冬、一度も2~4の条件をそろえた冷たい風が吹くことは間違いないと思いますが、問題は1に規定されている10月半ばから11月末日までに吹く風という条件です。近畿地方では今年は11/4に「近畿地方で木枯らし一号が吹きました」という発表が大阪管区気象台からありましたから、全国的に木枯らし一号が吹かない年というわけではありません。あくまで東京に限った話です(現在私が住んでいる場所ということで、勝手ながら「東京」の話題)。実は、東京でも11/20にそれらしい風が吹いたのですが、残念ながら風速が規定の風速8m/s に達しなかったので、東京の「木枯らし一号発表」は見送られたようです。このままだと、「11月末日まで」という1の条件を満たす期間は、今日1日だけしかありませんので、これはかなり難しそうですね。こうなると、今年最初に木枯らしが吹いても、それは最初の木枯らしであっても、「木枯らし一号」という特別な名前を与えられない、ただの「最初の木枯らし」でしかないと云うことです。なんだか、出場選手の誰一人も制限時間内にゴールできないマラソン大会みたい。1位でゴールしても制限時間を超えて失格となった・・・みたいな。なんか、気の抜けた話ですね。

◇いよいよ冬到来
 木枯らし一号という特別な名前の風が吹かなかったとしてもいずれは最初の木枯らしが吹く日がやってきて、いよいよ季節は冬へと変わるはず。木枯らし一号がなかったからと言って、冬が来ないわけじゃないんですね。ああ、寒くならないで欲しいのにな・・・。(「2019/11/30 号 (No.4809)」の抜粋文)


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色づいたレモン収穫! [菜園便り]

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庭に2本植えています。沢山採れましたが、疵が入ったものが多い(´・ω・`)


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【時雨】(しぐれ) [日刊☆こよみのページ]

【時雨】(しぐれ)
 (「過ぐる」から出た語で、通り雨の意)
 1.秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨。冬の季語。
  万葉集8「時待ちてふりし時雨の雨止みぬ」
 2.比喩的に、涙を流すこと。「袖の時雨」
 3.一しきり続くもののたとえ。「蝉時雨」
 4.小督局(こごうのつぼね)の用いた琴の名。
 5.本阿弥光悦作の名物茶碗の名。
 6.時雨羹(しぐれかん)の略。
 7.時雨饅頭(しぐれまんじゅう)の略。
  《広辞苑・第六版》

 晩秋から初冬にかけて、晴れた空が急に雲が広がり、降りだす雨です。急に降り出したかと思うと急に止むのもこの雨の特徴。降っては止み、止んではまた降る雨脚の軽い通り雨です。雲の動きにあわせて行き過ぎる雨は、秋から冬へと変わって行く季節の姿のようです。晩秋から初冬に降る雨ですから、時雨は冷たい雨。気温が更に下がって行くと時雨はやがて霙(みぞれ)となり、更に寒さがつのれば、雪へと変わって行きます。時雨が去った後に残された濡れた枯れ草の色は、彩り豊かな秋を締めくくる色なのかもしれません。(「2019/11/19 号 (No.4798) 」の抜粋文)

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【時雨の色】(しぐれの いろ) [日刊☆こよみのページ]

【時雨の色】(しぐれの いろ)
 時雨のために色づいた草木の葉色。《広辞苑・第六版》

 春と秋は様々な点で比較されることの多い季節です。野山の鮮やかな彩りという点で、春と秋はどちらも艶やかな季節。その点でも比較の対象となる季節のように思います。野山の彩りという点で言えば、春と秋の間にある夏や冬はというと、夏は強い陽射しの下で、その陽射しを満喫するかのように茂る木々の葉、草々の葉緑一色、冬は葉を落とした裸木に幹の黒と霜や雪の白のツートンカラー。どちらも様々な色の溢れる季節という印象は薄いです。春と秋はと言えば、木々も草々もそれぞれ異なった、様々な色を見せます。まるで、それぞれの木々が草々が、自分の存在を顕示したいかのように。様々な色を見せる春と秋ですが、それぞれの彩りの主役はと云うと二つの季節では春は花の色、秋は葉の色と異なっています。「時雨の色」は秋の色の主役となる草木の葉の色を言い表した言葉です。時雨は晩秋から初冬に降る雨の名です。時雨そのものに色を見つけることは難しいですが、その時雨の降る野山に目を向けるとそこには色とりどりの草木の葉。まるで時雨が降ることによって草木の葉が様々な色に塗り分けられて行くかのようです。今、季節は初冬から仲冬へと移る頃。野山の色も時雨の色から、黒白二色の冬の色へと間もなく変わる頃です。(「2019/11/14 号 (No.4793)」の抜粋文)


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【団栗の背競べ】(どんぐりのせいくらべ) [日刊☆こよみのページ]

【団栗の背競べ】(どんぐりのせいくらべ)
 どれもこれも似たようなもので、大したものではないこと。また、大きなちがいはないこと。《広辞苑・第六版》

 恥ずかしながら、結構な年になるまで「ドングリの木」という種類の木があると思っていました。その「ドングリ」という種類の木に生る実がドングリの実だと思っていたのです。「ドングリの木」と思っていた木がクヌギと呼ばれる木だと知ったときにもドングリはクヌギの異称くらいに思っていました。でもクヌギ以外の木、例えばカシやナラの木に生る実も、「ドングリ」だというのを知って、驚いたことを覚えています。私からすると、形は似ていても小振りのカシの木の実などはドングリの仲間には入らないと思っていたからです。そして知ったのが、ドングリ(団栗)はクヌギやカシやナラといった木に生る実の俗称だったということです。つまりドングリという種類の木があるわけではなかったのです。こんなあたりまえのことを知るまで、私は20年くらいかかってしまいました。ぼんやり暮らしているんですね。

◇ドングリ独楽(こま)
 形状やその質感から考えると、私がドングリとは思わなかったカシの木の実も確かにドングリなのですが、どうしてもそう思えないのは形ではなくて大きさの違いによるものです。私にとっては、ドングリの価値はその大きさにあったからです。子供の頃に学校の行き帰りに拾って帰るドングリは、大きくてずんぐりしたものが多かったように思います。理由は簡単。そうしたドングリがドングリ独楽にするのに適していたからです。大きなドングリを集めては、家に帰って錐でドングリに穴を開け、その穴に爪楊枝や竹ひごを刺して独楽にし、これを回して遊ぶのが好きでした。私にとってのドングリの価値が大きさにあり、ずんぐりしたものを好んだのも、少しでも長く回り続けるドングリ独楽を作ることが出来るものこそよい「ドングリ」だったからでしょう。ドングリの価値は、よいドングリ独楽が出来ることで決まるとすると、小さなカシの木のドングリはドングリじゃなかったわけです。

◇「同じようなもの」じゃないけど?
 よいドングリ独楽を作るために、いろいろなドングリを見比べていた子供の私には、「団栗の背競べ」という言葉の意味は分からなかったと思います。だって、ドングリの実はどれ一つとして同じではなく、同じ木の同じ枝に生ったドングリでさえ、一つ一つ違っていて、似てなんかいなかったのですから。千差万別といえるほど様々な形や大きさのあるドングリを「どれもこれも似たようなもの」だの、「大したことのないもの」だというのは、それをいう者に見る目の無いことを物語っているだけだと思います。いくつものドングリを並べて背競べをさせたら、「どれもこれも同じようなもの」なんて簡単にいうことはできないことに気づくはずです。私達だって、多分団栗の背競べ。でも、人それぞれに違いがあって、それぞれに特徴があります。それに気が付くかどうかは、どれくらい真剣にそれを見ているかという見る側の問題なのでしょう。そういえば、家の近くにカシの木が生えていました。子供の頃には小さすぎて独楽にするには今ひとつと、ドングリの数に入れなかったカシの木のドングリですが、今日は拾ってきて並べて眺めてみようかな? 独楽としての価値以外の尺度でもって見直したら、カシの木のドングリも立派なドングリの一つだと、理解できるかも。「歳五十にしてドングリを知る」なんてね?(「2019/11/11 号 (No.4790) 」の抜粋文)

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【山茶花】(さざんか) [日刊☆こよみのページ]

【山茶花】(さざんか)
 (字音サンサクヮの転)ツバキ科の常緑小高木。四国・九州の暖地に自生。高さ約 3メートル。葉は厚い。秋から冬にかけて白花を開く。八重咲・一重咲、淡紅・濃紅など園芸品種が多く、庭園・生垣などに植栽。種子は大きく油を採る。材は細工物にする。ヒメツバキ。漢名、茶梅。冬の季語。《広辞苑・第六版》

 山茶花は晩秋から初冬に咲き始める花です。この文字で「さざんか」と読むのはなかなか難しいですが、元はその文字のとおり「さんちゃか」のように呼ばれていたものが変化して現在の読みになったようです。山茶花は椿とよく似ています。専門的に見ればいろいろと違いがあるのでしょうが、素人目にはなかなか解りません。それがはっきりするのは花が散るときでしょうか。椿は花が枝に付いたままの状態でぽとりと落ち、山茶花は花びらが一枚一枚わかれてはらはらと落ちます。山茶花の古名に「こかたし」というのがあるそうですが、この名前は「小さいかたし」の意味。して「かたし」は何かといえば椿を指す言葉だというので、昔の人も山茶花は小型の椿くらいに思っていたようです。さてこの山茶花ですが、この木は日本原産ということです。木そのものは日本原産ですが、「山茶花」という言葉は中国から渡来したものです。こうした場合、往々にして物と名前の取り違いが起こるのです。中国では「山茶」は椿の漢名だそうで椿の花を「山茶花」と書くのだとか。山茶花の漢名はというと「茶梅」だそうです。なんだかややこしい。山茶花は冬の初めに咲く花。もうそろそろその時期ですね。と。まだその花を見ることは出来ます。山茶花と山茶花によく似た中国の山茶花(椿)。花を見掛けたらどっちがどっちか、よく見て確かめてみて下さい。(「2019/11/09 号 (No.4788)」の抜粋文)
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