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【探梅】(たんばい) [日刊☆こよみのページ]

【探梅】(たんばい)
 (早咲きの)梅の花を探して見あるくこと。冬の季語。 《広辞苑・第六判》

 まだ冬のうちに早咲きの梅を野山に探すことを「探梅」といいます。これを冬の季語としたのは芭蕉だとか。「探梅」の語は、元々は中国で生まれた言葉で、漢詩にもたびたび現れる言葉です。南宋(12~13世紀頃)の詩人、陸游(りくゆう)にも探梅という題の歌がありますから、この言葉が大分古くからあったことが判ります。中国では、庭や梅園の花を愛でる場合を「観梅」といい、山野に咲く梅を探す場合を「探梅」と使ったようで、必ずしも冬の時期と限ってはいなかったようです。日本においては、梅は中国から輸入された植物で、基本的に「野生の梅」がありませんでしたから、中国風に言えばみんな「観梅」になってしまうわけです。そのため、梅を探すという先が、梅の生える場所から、梅の花の咲く時期に変化したのではないでしょうか。現在では庭や梅園にしかなかったはずの梅が、少しずつ山野に広がって野生の梅となっているので、山野に探すと云う使い方も出来ると思います。まあ、庭に咲こうが、山野に咲こうが、梅は美しく香りも高い花ですので、少しでも早くその花を見つけたいという気持ちは同じでしょう。立春も近づき、梅の花も咲く季節となってきました。昼休みにでも、散歩しながら梅の花を探してみようかな?(「2020/01/27 号 (No.4867) 」の抜粋文)
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【玄冬】(げんとう) [日刊☆こよみのページ]

【玄冬】(げんとう)
 (古くはケントウ。「玄」は黒、五行説では冬にあてる)冬の異称。冬の季語。
 平家物語灌頂「玄冬素雪のさむき夜は褄を重ねて」 《広辞苑・第六版》

 広辞苑の説明にあるとおり、「玄」は黒を現す文字です。五行説では四季にはそれぞれ次のように色が配されています。

  春は青 (青春)  夏は赤 (朱夏)  秋は白 (白秋) 冬は黒 (玄冬)

 ()内は、この色と組み合わせて季節を表現した呼び名です。ちなみに五行なのでもう一色(黄)あるはずですが、こちらは四季に当てはめることが出来ないので、四季それぞれのお終いにある土用の期間にこの色が割り当てられることになっています。五行説の「玄」は、方位では北を表します。北の方角には玄武という胴体は亀で頭と尻尾は蛇の姿をした神獣がいて、この方向を守護していると考えられています。冬はこの北の玄武の気が強い季節ですから、北から寒気が押し寄せて寒い季節となると考えたのでしょう。ただ、玄武の気が強い季節はただ寒いだけの季節ではありません。新たな四季の巡りの準備をする季節でもあります。方向では北を季節では冬を司る神獣、玄武はまた水を司る神でもあります。水はすべての生き物が生きていくために無くてはならないものです。冬の草木は地上では枯れはてて、まるで死んでしまったようですが地中ではこの水の気の力を吸収し、冬に続く季節、春には新しい緑の葉を延ばして行くと考えられます。寒く辛いだけの季節と思われがちな冬ですが、目に見えないところで様々なことが行われる大切な季節です。目に見えないところで重要な働きをするとは、さすが玄人の玄の文字を冠した季節、玄人好み(?)の季節ですね。(「2020/01/13 号 (No.4853) 」の抜粋文)

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