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【雨水】(うすい) [日刊☆こよみのページ]

【雨水】(うすい)
 1.あまみず。
 2.二十四節気の一つ。太陽の黄経が330度の時で、正月の中(ちゅう)。
  太陽暦の 2月19日頃に当たる。 《広辞苑・第六版》

 今回、日刊☆こよみのページのコトノハでわざわざこの言葉を取り上げたことを考えると、私の狙いは広辞苑の説明の 1を期待してのこととは思われないと思います。そのとおり、期待している説明は 2です。期待した広辞苑の 2の説明でしたが、私の期待の割にはその説明は思いの外「あっさり」でありましたので少々不満。それなのでもう一つの説明をひいてきました。

【雨水】旧暦正月寅(とら)の月の中気、新暦 2月19日頃。天文学的には、太陽が黄経 330度に達したときをいう。雨水とは、「雪が雨に変わる」「今まで降った雪や氷が解けて水となる」という意味で、この頃になると水もぬるみ、草木の発芽が促され、萌芽の兆(きざし)が見えてくる。しかしそのいっぽうで、春先の大雪が降ることもある。なお、昔から農耕の準備はこの雨水が目安とされてきた。春の季語。《暦ことば辞典》

 そう、これくらい書いてくれると助かりますね。どちらの説明にもありましたとおり、この「雨水」は旧暦の正月中気。旧暦の暦月の名前はその暦月の期間中に含まれる二十四節気の中気で決まりますから、この雨水が含まれる暦月が、旧暦においては「正月」と呼ばれることになります。今年(西暦2020年)の雨水は明日、2/19です。ご存じのとおり、太陰太陽暦である旧暦の暦月は新月の日に始まり次の新月の日の前日に終わります。この区切りで見ると今年の雨水の日を含む旧暦の暦月の期間は、新暦の日付では1/25~2/23の期間となります。この頃になれば寒かった冬もそろそろ終わり。その頃に登場する「雪が雨に変わる頃」である雨水を含む月が旧暦では正月であったことから、私たちの感じる四季の始まり(春の始まり)と旧暦の一年の始まりはほぼ同じ時期といえます。このためでしょう、「旧暦は季節の巡りとよくあう」と考えられています。「大体はね」という程度であればそれも正解です。ただ、「大体あっている」ことが「旧暦は正確に季節の巡りを表すように作られている暦」という誤解を生む結果ともなっていて、頭の痛いところでもありますけれど・・・。暦の上ではぼちぼち雪が雨に変わる頃。草木の目覚めを促す優しい春の雨が降る季節が巡ってきます。(「2020/02/18 号 (No.4889) 」の抜粋文)
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【大葉子・車前】(おおばこ) [日刊☆こよみのページ]

【大葉子・車前】(おおばこ)
 オオバコ科の多年草。アジア各地に広く分布。踏まれても強く、原野・路傍に普通の雑草。葉は根生。夏、花茎上に白色の小花を穂状につけ、さく(草冠に朔)果を結ぶ。葉は利尿剤・胃薬、種子は漢方生薬の車前子(しゃぜんし)で利尿・鎮咳剤。また、トウオオバコ、高山性のハクサンオオバコ、帰化植物のヘラオオバコなどの総称。カエルバ。オバコ。オンバコ。秋の季語。「車前草(おおばこ)の花」は夏の季語。 《広辞苑・第六版》

 「車前」という文字を見て、すぐに「おおばこ」と読める人はどれくらいいるでしょう。私はもちろん、参りましたと白旗を揚げる読めない方の一人です。それにしてもなぜ「車前」でオオバコと読むのか?オオバコは和名で大きな葉っぱを持った草というところから「大葉子」と書きます。これに対して「車前」は漢名。つまり車前と書いてオオバコと読むのは、漢名を和名に意訳して読んでいるわけです。意訳じゃ読めなくとも仕方がないでしょう(自己弁護)。しかし、「車前」がオオバコという植物だとわかると、なるほどそうかと肯いてしまいます。和名の大葉子はその姿形から生まれた言葉であるのに対して漢名の車前は、この草が踏み固められた硬い土(道や運動場など)に好んで生えることから、その生育環境を表して名付けられたものなのでしょう。車が行き交う道の硬い土の上に生える草ということです。オオバコは踏んづけられても踏んづけられても生えるというか、踏んづけられそうな場所をわざわざ選んで生えるような草です。雑草の中の雑草とも云えます。なぜこんな場所を好んでいるかというと、これがオオバコの生息域を広げる戦略と関係しています。オオバコの実はネバネバした物質に覆われていて、道を通る人の靴底や動物の足、はたまた自動車のタイヤなどがオオバコを踏みつける、その足の底などにちゃっかり自分の実を張り付けさせて、遠くまで運んでもらうというのがその戦略。自分自身では動けない植物の賢い移動方法です。そんなわけでオオバコは自分の実を遠くまで運んでくれる、道を歩く人(の靴底)が大好き。人間好きの植物なんです。

◇蛙に災難を招く草?
 オオバコの異称の一つ、カエルバは「蛙葉」のこと。私の生まれ故郷では「ゲーロッパ」と呼んでいました。これはたぶん、「カエルバ」がなまったものでしょうね。オオバコが蛙葉と呼ばれるのは、オオバコの葉にも茎にも実にも薬効がある薬草だからです。オオバコの葉で包めば死んだ蛙も生き返るほどだということです。もちろんこの葉っぱの薬効がいかほどあろうとも、死んでしまった蛙が生き返えろうはずはありません。こんな話があるがためでしょうか、所によってはわざと蛙を殺してこの葉っぱで包んで生き返るか試してみるといった遊びが有るとか無いとか。子供の無邪気さを表すような話ですが、無邪気は時に残酷なものです。「蛙葉」は蛙の文字を冠したオオバコの異称ですがこの呼び名のために、子供に命を狙われるとしたら、蛙にとってはオオバコは迷惑千万な、災難を招く困った草なのかも知れません。でも、これはオオバコのせいじゃありませんから、蛙さん、恨まないで。

◇ドイツでは「道の見張り」
 ちょっと迷惑なオオバコの異称を紹介しましたが、このままではオオバコにあらぬ汚名がついてしまいそう(?)なので、もう一つ異称を紹介します。紹介するのはドイツでのオオバコの異称、「道の見張り」。謂われは「名誉を得て帰る私を、城門の前のオークの木の下で待っていてくれ」という言葉を残して戦いに赴いた騎士とその妻にまつわる物語です。騎士は戦いからついに帰りませんでしたが、妻は帰らぬ夫を来る日も来る日も約束の木の下で待ち続けました。そしてその妻もついに天に召され、誰もいなくなったオークの木の下に、オオバコが生えました。人々は、夫の帰りを待ち続け、オークの木の下に立ち続けた妻を偲んで、木の下に生えたオオバコを「道の見張り」と呼んだのがこの異称だとか。こんな話を知ると、道端のオオバコを見る目もちょっとかわりますよね?最後はオオバコの名誉回復のための話でした。オオバコには、知ったことではないことかもしれませんけれど。(「2020/02/14 号 (No.4885)」の抜粋文)
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