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皇帝の花、矢車菊   [日刊☆こよみのページ]

■皇帝の花、矢車菊
 本日は、今日の誕生花に掲げた矢車菊(ヤグルマギク)についての話です。矢車菊は、晩秋から初夏に掛けて咲く、青い花(現在は、園芸化されて白やピンクのなど多くの花色があります)。キク科ヤグルマギク属の植物です。こよみのページの誕生花リストには、4/11,19,26に登場します。ギリシャ神話では半身半馬のケンタウロス属の賢人、ケイロンの足の傷を治した植物として登場します。エジプト王のツタンカーメンの墓から発掘された調度品の模様にも、この花が描かれているということですから、この花は古い時代から知られ、愛されていたことがわかります。和名の矢車菊は花の形が鯉のぼりの竿の先を飾る矢車に似ていることからきているそうです。ちなみに、矢車菊でなく、矢車草と呼ばれることもありますが、この名前は全く違う別の野草の名前でもあるので、混同を避けるため、矢車菊に統一されつつあるようです。

 ※ヤグルマソウ http://ur2.link/hzhW

◇皇帝の花
 矢車菊には「皇帝の花」というたいそうな別名があります。この別名が出来たのは、次のようなエピソードによります。1806~1807年、ヨーロッパ各地を席巻していたナポレオン軍が現在のドイツとポーランドの一部を占めていたプロイセン王国に侵入しました。このときの戦いでベルリンは陥落してしまいます。このとき、プロイセン王妃ルイーゼと二人の王子は、麦畑に身を潜めてなんとかこの難を逃れた。このとき、二人の王子の気を紛らわすために、王妃が麦畑に生えていた矢車菊を摘んで花輪を作り、冠と見立てて遊ばせたのだそうです。このとき、遊んでいた王子の一人は、後に初代ドイツ帝国皇帝ウィルヘルムとなり、幼い日の思い出の花である矢車菊を「皇帝の花」と定めました。現在でも矢車菊はドイツの国花となっています。なお、ウィキペディアによれば現在、矢車菊を国花としている国は

  ドイツ連邦共和国
  エストニア共和国
  マルタ共和国
  フランス共和国

 だそうです(え、フランスもなの?)。

◇矢車菊と麦畑
 この、皇帝の花の話は「なるほどな」とうなずけるのですが、気になることがないことも無い。何が気になるのかというとなんで、麦畑に矢車菊が生えてるの?ってことです。この話が成り立つためには、王妃、王子の一行が身を潜めた麦畑に花の冠を作るくらいの数の矢車菊がないといけないわけです。それも畑中探し回って集めたというのではなかったはず。何せ「身を潜めている」わけですから。となると、結構、そこかしこに矢車菊がないとこの話は成り立たない。なぜ、麦畑にそんなに矢車菊があったの?矢車菊の英名は、コーンフラワー (corn flower)。この corn は小麦の意味。名前に「小麦」は入るほど、実は麦とは縁の深い花なのでした。ただし縁が深いと言っても、小麦の側から見ると腐れ縁と言った関係のようです。おそらく、小麦の栽培に適する各種条件は矢車菊にとっても好適なのでしょう。その上、小麦の収穫の時期と矢車菊が種を作る時期まで一致してしまって、小麦を収穫すると、知らず知らずのうちに麦畑に居候していた矢車菊の種まで収穫してしまうことになり、小麦には矢車菊の種がいくらか混入してしまうのです。こうして混入した矢車菊の種は図らずも(?)、小麦の拡がりと共に世界に拡がって行くことになったようです。実際、新大陸アメリカへの矢車菊上陸も小麦に混入した種からだと考えられています。インターネットで

  矢車菊 麦

 で検索すると、トップで「麦作におけるヤグルマギクの防除法」なんてタイトルの資料が出てくることから考えると、農家の方にとっては矢車菊は困った雑草のようです。なるほどですね。後のドイツ帝国皇帝の危機を救った麦畑の矢車菊は、農民にとっては迷惑な植物として、麦畑に沢山生えていたのですね。納得です。本日は、「皇帝の花」と呼ばれる矢車菊のためにいい話を書こうと思ったのですけれど、あまり矢車菊の名誉を高めることにはならなかったかな?ま、花は美しいし、雑草としての矢車菊の話も、植物として、強くたくましく生きているって話なので、矢車菊も許してくれるますよね?(「2020/04/26 号 (No.4957) 」の抜粋文)

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霜止み苗出ず(2020) [日刊☆こよみのページ]

□霜止み苗出ず(2020)
 本日、2020/4/25は七十二候の一つ、二十四節気「穀雨」の次候、「霜止み苗出づ」の時節の始まりの日に当たります。霜が降ることを心配した日々もそろそろ終わりの頃と云うことです。

◇霜とは
 霜は寒い冬の朝に空気中の水蒸気が、地面や地面に近い場所にある物の表面で凍り付いたものです。気温が摂氏 2℃程度まで下がると、霜となるといわれています。霜は氷の一種ですから、凍るのは摂氏 0℃のはず。なぜ摂氏 2℃の気温で霜となるのか不思議ですが、これは気温を測る場所が地表から1.5mの高さであるからです。こんな寒い日は地面に近いほど気温が低くなり、気温を測る地表から1.5mでは 2℃でも地面付近では 0℃まで下がることがあるからです。


◇遅霜
 さて、こんな寒い冬特有と思われる霜ですが、意外と遅い時期まで降ることがあります。こうした遅霜は農作物に被害をもたらすものであることから、農家の方々には気になるところでしょう。

  鹿児島 3/ 1 (1929/4/22)
  京都  4/ 6 (1928/5/19)
  東京  2/20 (1926/5/16)
  仙台  4/ 9 (1928/5/20)
  札幌  4/24 (1908/6/28)
  ※平均は1980~2010,最遅日は 2011年までの記録による

理科年表(2013年版。古くて済みません)の遅霜の記録から各地の遅霜の時期を拾い出したものです。最初に書いた日付が、遅霜の年平均月日。()内の年月日は、観測記録に残るもっとも遅い日付です。こうしてみると、4/25という日付は記録的な遅霜の日付よりは早い(鹿児島以外)のですが、平均的な遅霜の日付よりは遅い日付ですので数年に一度といったレベルで考えるとこの辺りまでは注意が必要だったわけです。霜が降りやすいのは放射冷却効果が大きいよく晴れた夜。霜に弱い作物を育てている農家の方達にとって、霜が気にかかる日々もそろそろ終わりとなる時期がこの「霜止み苗出づ」の頃ということのようです。(「2020/04/25 号 (No.4956)」の抜粋文)
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穀雨の頃(雑感) [日刊☆こよみのページ]

□穀雨の頃(雑感)
 4/19に二十四節気の穀雨の期間に入りました。今年、2020年の穀雨の期間は4/19~5/4です。穀雨の次は暦の上の夏の始まりである立夏ですから、現在は暦の上の春の終わりの時期と言えます。さて、なぜこの時期が穀雨と呼ばれるかというと
 
  春雨降りて百穀を生化すれば也

 とか。つまり、田畑の穀物を育てる春の柔らかな雨が降る頃だからという意味です。二十四節気の中には解説がないと意味の分からない言葉も有るのですが、その点で「穀雨」は、その文字を目にするだけでおよその意味が分かる、わかりやすいものですね。現在は太陽の位置を表す座標の一つ、黄道座標という座標系で黄経30°となる地点を太陽中心が通過する瞬間を含む日と定められており、新暦では毎年4/20頃がその日となります。二十四節気はその決定のプロセスから見ると太陽暦そのものですので、私たちが日常に使っている太陽暦の一種である新暦では、このようにほとんど日付が変化しません。ほとんど同じ仕組みですからね。新暦の場合、このように二十四節気の日付がほとんど変化しないので、二十四節気の存在意義が薄らいでしまっています。このため、「旧暦の二十四節気では・・・」などという使われ方をされることが多く、二十四節気は太陰暦によって決められるものだという誤解がはびこっています。二十四節気は一種の太陽暦。太陰太陽暦である旧暦にあっては、その「太陽暦」の部分を担う存在です。日刊☆こよみのページをお読みの皆さんは、くれぐれもおかしな誤解はなさいませんように。本日は、「穀雨」と雨のつく時節の話から書き始めましたが、天気は晴れ。ベランダのタライの中で暮らしているカメ二匹は、朝早くから気持ちよさそうに甲羅干しをしています。穀雨の時期は気候が穏やかで過ごしやすい時期です。でもあの流行病のおかげで、窓の外を見ても人通りはほとんどありません。なんか、寂しい春になってしまいましたね。(「2020/04/22 号 (No.4953) 」の抜粋文)

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葭始めて生ず [日刊☆こよみのページ]

□葭始めて生ず(七十二候 十六候)
 昨日から、七十二候の「葭(あし)始めて生ず」の候に入りました。「葭始めて生ず」の期間は今年(2020年)は4/19~4/24です。この言葉に登場する「葭」は、葦、蘆とも書きます。また「あし」は「悪し」を連想させるということから「よし」と転じて読むこともあります。私に関して言えば、子供の頃に最初に憶えたこの植物の名前は「よし」でした。ちょっと大きくなって、「あし」とも言うことが分かって、どっちなの?と一時期は混乱したことを思い出しました。子供の頃の話が出たので思い出話を一つ。子供の頃に住んでいた家のすぐ近くに、川がありました。その河原は私のよい遊び場で、沢山の葭が生えておりました。この遊び場で今の時期に目立つのは、川の水が運んで来た黒々とした土の間や川面から顔をのぞかす葭の新芽。細身の筍のような先の尖った葭の新芽が沢山姿を見せるようになると、冷たかった川の水がいくらか温んだことに気がつくようになりました。この子供の頃に見慣れた葭の新芽を指す「葦牙(あしかび)」という言葉があります。軟らかい土を、水面を突き破るように伸びる葭の新芽の姿を牙に見立てた言葉で、春の季語にもなっています。日本は「葦原の国」とも呼ばれた国ですから、きっとそこかしこに私が見ていた葦牙が土を、水面を突き破る風景が拡がっていたのでしょう。鋭い葦の牙は、春の尖兵として冬の寒気を切り裂き、突き破ってゆくようです。葦牙を目にするところ、春の軍勢在り。日一日と、春はその勢力を伸ばし、北へ北へと進軍して行きます。本日は、春の進軍の様子を思い起こさせてくれる「葭始めて生ず」の時候。進軍する春の軍勢が、寒気と共に現在世界に拡がっている悪い気も追い払ってくれるといいなと思う、川辺育ちのかわうそでした。(「2020/04/20 号 (No.4951) 」の抜粋文)
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【連翹】 (れんぎょう) [日刊☆こよみのページ]

【連翹】 (れんぎょう)
 モクセイ科の落葉低木。中国の原産。古くから観賞用に栽培。高さ約 2メートル。枝は長く伸びて先端はやや垂れる。早春、葉に先だって鮮黄色・ 4弁の筒状花を開く。中国から輸入された別種のシナレンギョウもまれに栽培。欧米ではこれらの園芸品種を栽培。果実は漢方生薬の連翹で、消炎・利尿・排膿・解毒剤。イタチグサ。春の季語。 《広辞苑・第六版》

 三月~四月頃に黄色の花を咲かせます。同じ黄色でも山吹などより明るい黄色。花が咲く時期にはまだ葉が出ていないため、離れてみると黄色一色の塊に見えます。にぎやかな黄色の花が、春のわくわくする感じをよく表わす花です。連翹は出雲風土記にも記述があるので、日本への渡来は大変古いものだと分かります。その実の生薬としての効果は、朝廷に献上されたことが延喜式にも書かれているので、やはり古くから知られていたようです(生薬として輸入されたものでしょうか?)。今年は春は武漢肺炎の感染拡大を防止するための外出自粛が呼びかけられる状況なので、わくわく感を楽しむこともままなりませんが、せめて遠目でもはっきりそれとわかる連翹の花を眺めて春らしさを楽しみましょうか。ちなみに、彫刻家の高村光太郎の忌日、4/2を「連翹忌」といいます。これは、彼が連翹を大変好んだことによります。(「2020/04/13 号 (No.4944) 」の抜粋文)
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