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二百十日 [日刊☆こよみのページ]

□二百十日
 本日 8/31は二百十日。二百十日と言えば、嵐が来襲する日として恐れられた日です。そんな日ですけれど、今朝の東京は静か。今年は台風来ないのかな? と思ったら、沖縄には現在台風9号が接近中。あ、やっぱり台風シーズンだったのですね。気を抜いてはいけない。嵐が来襲する日としてこの時期に恐れられた日は、八朔(はっさく。旧暦八月朔日)とこの二百十日、そして二百二十日の三日。合わせて三大厄日として恐れられました。ちなみに三大厄日の今年の日付を求めると、

  八朔   ・・・ 9/17
  二百十日 ・・・ 8/31
  二百二十日・・・ 9/10

 となります。この中でも特に二百十日は有名で、1684年の貞享(じょうきょう)改暦から幕府が発行する官暦に取り入れられた雑節です。

◇「二百十日」の数え方
 二百十日と言うからには、どこか基点となる日から数えた結果だと言うことはお解りになりますね。ではどこが基点かと言えばそれは立春です。立春はだいたい 2/4辺り(今年も 2/4)となります。寒さ厳しい頃です。その寒さ厳しい頃から、せっせと数えて二百十日目が二百十日。 5月の八十八夜などとその数え方は同一です。ただ、八十八くらいならカレンダーの上で数えても数えられそうですが、二百十日ともなると、どこかで間違えそうですね。旧暦時代の方は大変だったことでしょう。現在は新暦を使っていますから、二百十日は 8/31か、まれに9/1とくらいでほとんど変化することがないので助かります。時々「二百十日とは、立春からの経過日数ですか?」と尋ねられることがあるのですが、立春その日を「一」と数えての二百十日目ですから、経過日数では二百九日になります。お間違えないように。


◇二百十日採用に関する故事
 二百十日を官暦に雑節として取り入れたのは、幕府天文方の渋川春海(しぶかわはるみ)です。渋川が二百十日を雑節に採用するにあたっては、次のような故事が伝えられています。釣りが好きだった渋川が、ある日海釣りをしようと船を借りて沖に出るように船頭にたのんだところ、その船頭が、「二百十日には必ず海が荒れる」といって渋川の頼みを拒んだそうです。その日は晴れていたので船頭の言をいぶかった渋川でしたが、様子をうかがっていると次第に南方から雲が広がり始め、船頭の言ったとおり嵐となってしまいました。このことがあって、船を操るものたちにとっては嵐がやってくる日としてこの二百十日という日がよい目安になるという有用性を知った渋川が、自分が中心となって編集を進めていた貞享暦にこの「二百十日」を雑節として追加することにしたのだそうです。故事としては定番のパターンの話ですね。官暦への採用は確かに貞享暦からなので、実際に渋川が二百十日の嵐を体験して雑節に加えたと言う話が全くの作り話とは言えませんが、貞享暦への採用以前から伊勢暦にはこの「二百十日」が記載されていたことが知られていますので、実際はこうした地方暦に記載された雑節のうちで有用と思われるものを官暦に採用したと言うところでしょうか。


◇主役交代?
 二百十日と二百二十日は何れも嵐の厄日ではありますが、どちらが主役かと言えばやはり二百十日。二百二十日はやはり脇役と言った役どころでしょう。ところが最近は、二百十日より二百二十日の方が嵐の来襲の回数は多いと言われています。これも地球温暖化の影響なのかも。時代変わって、主役の二百十日と脇役の二百二十日の関係も変わってきたのかもしれませんね。(「2020/08/31 号 (No.5084) 」の抜粋文)

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【案山子】(かかし) [日刊☆こよみのページ]

【案山子】(かかし)
 (カガシとも。「嗅がし」の意か)
 1.獣肉などを焼いて串に貫き、田畑に刺し、その臭をかがせて鳥獣を退散さ
  せたもの。焼串(やいぐし)。焼釣(やいづり)。
 2.竹や藁わらなどで人の形を造り、田畑に立てて、鳥獣が寄るのをおどし防
  ぐもの。とりおどし。秋の季語。日葡辞書「カガシ」
 3.みかけばかりもっともらしくて役に立たない人。みかけだおし。
   《広辞苑・第六版》

 これを書いているのはお盆(月遅れの)が終わって二日後。私の自宅のある和歌山県の田舎(南紀地方)では月遅れの盆の頃には稲刈りが始まっていましたので、きっと今頃は稲刈りの終わった田んぼの中に、これまで田んぼの稲を見守り続けた案山子が役目を終えて、一人ぽつねんと田んぼの中に立っているかもしれません。南紀地方の案山子は人の形をして、今時のちょっと派手な服装をしたものから、ペットボトルを使って作った風車や烏の死骸をつるしたものまでいろいろのタイプがあります。鳥の死骸は古式ゆかしい(?)方式で、ペットボトルは現代の素材を使った今風の案山子。そこに人形型の案山子が加って見本市のようです。いろいろなタイプの案山子がありますが、私にとって案山子といえば人の形をした案山子です。今年はいろいろあって(あの病気とか)、この夏は自宅に帰っていないので田んぼの案山子を見ていませんが、これまで毎年見てきたように、今頃は刈り取られた稲の株と黒い土だけとなった田んぼと、その中に残された案山子が様変わりしてしまった足下の田んぼを見下ろしていることでしょう。刈り取られたとは言っても、稲は田んぼの端の稲架(はざ)には、刈り取られた稲が干されていますから、稲の安全を見張る案山子の仕事はまだ終わっていないかな?田んぼの黒い土に立った派手な服を着た案山子が、今年の最後の務めに精を出す姿を想像しながら、本日のコトノハを終えることにします。(「2020/08/18 号 (No.5071) 」の抜粋文)
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「品川の海岸産」の夏野菜の話 [日刊☆こよみのページ]

□「品川の海岸産」の夏野菜の話
 昨日、練習帰りに立ち寄ったスーパー銭湯のサウナ室で見たTV番組で、ナスが採り上げられていました。真っ白な「トルコナス」というもの。白い茄子ということに違和感を抱きつつ、茄子食べたいなと思って、家の近所のスーパーで紫色の慣れ親しんだナスを買って、昨夜の遅い夕食は麻婆茄子になったかわうそです。本日は昨日食べた野菜、ナスとお盆から思いついた河村瑞賢(江戸時代の豪商)の話です。

◇お盆の「ナス」といえば
 お盆の時期にナスといえば、思い出すのはナスの牛。キュウリの馬と共にご先祖様の送迎に活躍するあのナスの牛です。ご先祖様を載せるキュウリの馬とナスの牛ですが、それぞれにその特徴に応じた役割分担があります。

  キュウリの馬は迎え係
  ナスの牛は送り係

 この役割の違いはその歩みの速度の違いによります。盆に帰ってくるご先祖様を一刻も早くお迎えしたいので迎えには足の速いキュウリの馬。お帰りの際は名残惜しいのでゆるゆるとした歩みで遠ざかるナスの牛というのがこの役割分担です。もうお迎え係のキュウリはそのつとめを果たしたことと思いますので、あとはナスの牛。たっぷりと道草を食いながらゆっくりとご先祖様の霊をあの世へ送りとどけてくださいね。

◇品川の海岸産のナス・キュウリ?
 お盆の明けた頃、キュウリ、ナスといった夏野菜を元手に一財産作った人物が河村瑞賢。江戸時代初期の人物です。河村瑞賢は伊勢の国(三重県)の貧農の家に生まれ、一旗揚げようと江戸に上ってきた人物です。後に豪商としてしられることになる河村瑞賢がその巨万の富を築くきっかけになったのがナスやキュウリの漬け物の売り歩きでした。若き日の瑞賢が売り歩いたナスやキュウリの産地は品川の海岸。何とも不思議なナスやキュウリです。

◇モッタイナイ精神の権化
 盆明けのある日、品川の海岸を歩いていると、海岸には盆の精霊流しで流された沢山のキュウリやナスが流れ着いていました。キュウリの馬やナスの牛の成れの果てです。これを目にした瑞賢はひらめきました。この品川の海岸産のキュウリやナスは売り物になると。そのままではただのゴミですし売り物になるわけもありませんが、漬け物にしてしまえば十分に商品価値がある(拾いもので作ったとはまさか誰も思わない?)。瑞賢はその辺にいた乞食達にいくらかの金を与えて、早速これを拾い集めさせて塩漬けにし、普請場を回りこれを普請場の人夫に安く売りさばきました。「安く売った」もなにも、原材料費はただみたいなものですね。それに江戸時代の初期には、江戸の町並みを整えるために江戸中に沢山の普請場がありましたから、商売をする場所はいくらでもある。大儲けです。瑞賢はこれで得た儲けを元手にしてやがて巨万の富を築き、さらには淀川河口の治水工事や、その他様々な開拓開墾にその手腕を発揮して成功させていきます。やがては幕府からもその功を認められて旗本に列せられるまでになった、まさに立志伝中の人物です。さすが、こんな人物は物を無駄にはしない。目の付け所が違う。このナスやキュウリの漬け物の話などもまるでもったいない精神の権化のようではないですか・・・。でも漬け物を買った人たちはその原材料が品川の海岸産だとその素性を知っていて買ったとは思えませんがね(知ったとしたら瑞賢がどうなっていたかは考えたくないですね)。(「2020/08/16 号 (No.5069)」の抜粋文)

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【白雨】(はくう) [日刊☆こよみのページ]

【白雨】(はくう)
 ゆうだち。にわかあめ。夏の季語 《広辞苑・第六版》

 夏の夕方、急に降り出す激しい雨、夕立の呼び名の一つです。激しく降る大粒の雨が地面を打ち、跳ね返る飛沫によって風景が白く霞むことから白雨という呼び名が生まれたのでしょう。一昨日は夏らしく暑い一日でした。午後になって、窓から吹き込む風が心なしか涼しくなってきたことに気がつき窓の外に目を遣ると、まぶしく光る夏雲が見えていた窓からの風景が翳っていました。窓から吹き込む風が涼しくなってきていたのは夕立がやってくる前触れでした。程なくして雷を伴った激しい雨が降り出しました。ただ雷までは遠くて、音を伴わない雷光が天から地に向かって奔る姿が見えるだけでした。ついさっきまで、太陽によって熱く熱せられ、カラカラに乾いていたアスファルトの道路も、一瞬にして黒い、アスファルト本来の色に戻り、次に雨の飛沫とも、湯気ともしれないもやによって白く霞んでゆきました。この雨の中、外にいたら大変だったろうなと思いながらしばらく、白く霞んだ道路を眺めていました。あと少しして、この白い霞が消えれば過ごしやすい涼しい夏の夕暮れががやってくるのだろうな、そんなことを考えながら。今日もまた、一昨日とよく似た暑い夏の日。夕方には白雨が、夏の暑さを流し去ってくれるのかな?(「2020/08/15 号 (No.5068) 」の抜粋文)
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【溝萩】(みそはぎ) [日刊☆こよみのページ]

 (禊萩(みそぎはぎ)の意か。ミゾハギとも)
 ミソハギ科の多年草。日本全土、朝鮮半島に分布。高さ80センチメートル。夏、淡紅紫色 6弁の小花を長い花穂に密生。盂蘭盆会(うらぼんえ)に仏前に供える。春、若葉を食用。精霊花。ミズカケグサ。漢名、千屈菜。秋の季語。 《広辞苑・第六版》

 私の自宅のある和歌山県の那智勝浦町の田んぼ道を歩くと、田んぼと田んぼの間の水路に沿って、溝萩が並んで生えているのを目にします。月遅れのお盆の時期である八月になると、この溝萩は淡い赤紫の小花を咲かせます。夏の陽に熱せられた風が、溝萩の小花の並んだ花穂を揺らす頃になると、お盆だなという気になります。お盆はご先祖様の霊が帰ってくる時ですから、溝萩はご先祖様の帰りを知らせる花でありました。私の生まれ故郷の福島県の田舎でも、やはりお盆の時期になるとこの花が田んぼの周りに咲いていました。実に丈夫な植物ですので、今も日本のあちこちで、この淡紅紫色の花穂が風に揺れていることでしょう。

◇「溝萩」は「禊萩」
 水辺を好む溝萩は既に書いたとおり、田んぼの間の水路や溝に沿って咲いていることが多く、そうした光景を当たり前に目にしておりましたので、溝に咲く萩に似た花なので「溝萩」と云うのだと思っていましたが、どうやらこれは誤りのようです。本来の名前は「禊萩」。溝萩の花穂を水に浸し、その水で盆の供物に水をかけ浄めるために使われたことから、禊ぎに使われる萩という「禊萩」という名が付いたものだそうです。きっと私のようなおっちょこちょいが「ミソハギ」の名を聞いて、

  ああ、あの溝に咲く花。溝萩か

 と誤って伝えてしまったのが禊萩が溝萩へ転じた元のような気がします。禊ぎに使われる神聖な花に、何とも申し訳ないことであります。盆の供物のお浄めにつかう禊萩は盆には欠かせない花の一つで、精霊花(しょうりょうばな)という名前でも呼ばれます。水掛草(みずかけぐさ)という異称もありますが、こちらは盆の供物に水をかけるために用いたことから生まれた名前でしょう。今日から月遅れのお盆。暑い夏の夏の終わりの風景の中に、風に揺れる禊萩の淡紅紫の花穂が見える季節です。(「2020/08/13 号 (No.5066) 」の抜粋文)

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