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「秋の七草」の季節です [日刊☆こよみのページ]

■「秋の七草」の季節です
 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
 萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花また藤袴 朝貌の花 (山上憶良)

 秋になると、思い出すのは秋の七草の名。そして浮かぶのはこの山上憶良の七草ですが、藤袴などは見つけることが難しいです。秋の七草というと、どうしてもこの憶良の選んだ七つの名が浮かびますが、何も秋に咲く花はこの七種類だけというわけではありません。それどころか秋は、多くの花の咲く季節ですから、七つに限定するのが難しい。いろいろな「七草」があってもいいですね。そう思うのは何も私だけではありません。花の好みも、時代によって変わるでしょうし。そんな訳で「新秋の七草」というものが既に過去にも考えられておりました、例えば昭和10年に、東京日日新聞社(現在の毎日新聞東京本社)が当時の各界の名士に依頼して選んだものがあります。

  コスモス 白粉花 秋海棠 葉鶏頭 菊 彼岸花 アカノマンマ

 がそれです。アカノマンマは犬蓼(いぬたで)の異称ですが、私にもアカノマンマのほうが花のイメージが湧きます。子供の頃そう呼んでいたもので。それに、秋の七草に選ばれてもその呼び名が「犬蓼」だと、ちょっと悲しい気もしますし(あ、「犬」を悪く思っているわけでは・・・)この他にも、昭和55年に植物学者の本田正次博士らが選んだ

  ホトトギス ノギク カルカヤ ヒガンバナ マツムシソウ またワレモコウ リンドウの花

 というのもあります。読みの調子は、憶良の歌にあわせてあってよい感じですが、「カルカヤ」ってどんな花だったかな?きっとこの他にもいろいろな「新秋の七草」が提案されていることでしょうが、どうも決定版と呼べるものは現れていないようです。それならどうでしょう、自分なりの秋の七草を考えてみるというのは。秋の七草は、何か決まった七つでなければいけないというわけではありませんから。沢山の花の咲くこの季節、その多くの花の中から、自分の秋の七草を探して見るというのは、楽しい作業かも。あ、「カルカヤ」って、これのことだったのか!作業の中で、そんな発見もあるかもしれませんよ。(「2020/09/13 号 (No.5097)」の抜粋文)

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白露 [日刊☆こよみのページ]

□白露
 本日は二十四節気の「白露」の節入りの日です。朝夕めっきり涼しくなってきたと思えば、もう白露の季節ですね。また七十二候の白露の初候は「草露白し」。どちらにも白い露が登場します。

 江戸時代に出版された暦の解説書、「暦便覧(著者 太玄斎)」は白露を

   陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也

 と紹介しています。朝夕の気温が下がり、空気中の水蒸気が草の葉や花の上で冷え、水滴となるということでしょう。現在の白露の節入り日は黄道座標という座標で示した太陽の中心の黄経が165度になる瞬間を含む日とされています。明確な定義ではありますが、暦便覧の説明などを読んだ後では、少々味気ない気がしますね。

◇秋は露の季節?
 本日は二十四節気の白露ですが、二十四節気にはもう一つ露がつくものがあります。それは「寒露」。白露から一月ほど後、今年2020年は 10/08が寒露に当たります。暦の上では、秋は露の季節ということになりそうです。暦の上では露の季節、では実際の天気では?「季節の366日 話題事典」(倉嶋厚 著)によれば、1934年4月から1年間、日本(福岡)において露の量を観測した例があるそうで、その結果は

  春 2.84mm , 夏 2.30mm , 秋 3.52mm , 冬 2.20mm (総計 10.86mm)

 となっているそうです。残念ながらこの本には、春夏秋冬を何処で区切っているかといった記述がありませんし、観測自体1箇所1年分しか無いので暦の白露、寒露との正確な比較は出来ませんが、どうやら実際の気候からしても秋は「露の季節」らしいことはわかります。日刊☆こよみのページの読者の方には、朝早く散歩をなさっている方、農作業等をなさっている方など、随分いらっしゃるようです。そうした方の実感では、秋は露の季節なのでしょうか?出来ましたら皆さんの「実感」も教えて頂きたいものです(どの地域かもあわせてよろしく)。(「2020/09/07 号 (No.5091) 」の抜粋文)

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【蚯蚓鳴く】(みみず なく) [日刊☆こよみのページ]

【蚯蚓鳴く】(みみず なく)
 秋の夜、土中で「じいい」と鳴く声を、ミミズの鳴き声としたもの。実は螻蛄(けら)の声。秋の季語。 《広辞苑・第六版》

 季語には時として不思議な言葉があります。

  「蚯蚓鳴く」 ・・・ 秋
  「亀鳴く」  ・・・ 春

 沢山の動物や虫の鳴き声も季語にはありますが、そうした中で変わったものの双璧はこの二つではないでしょうか。本日は「秋」ですので、この二つの壁のうちの「ミミズ」について採り上げてみることにしました。蚯蚓鳴くなんて季語があると知ったら誰だって、ミミズって本当に鳴くの? どんな声で鳴くの? と考えてしまいますね。残念ながら広辞苑の説明によれば、蚯蚓鳴くとはいいながら本当に鳴いているのは螻蛄(けら・おけら)だとか。「ジーーーーー」と切れ目無く鳴き続けるのが螻蛄の声。この螻蛄の声を蚯蚓の声と考えたようです。螻蛄も地面に穴を掘って暮らしていますから、地中から聞こえる虫の声ということで蚯蚓の声と考えられたのではないでしょうか?それにしても数十年前の日本ならどこでも見かけた蚯蚓、今の都会ですら、雨降りの後などでは見かけることがある、あの寡黙(?)な蚯蚓が「鳴く」なんてどうして考えたのでしょう。『昔々、蛇は歌上手だったが目がなかった。蚯蚓はその歌上手の蛇を訪れ、歌を教えてもらう代わりに目を差し上げましょうと持ちかけました。蛇はこの申し出を受け入れ、蚯蚓に歌を教え、代わりに目を得た。』という昔話があるそうです。もしかしたら蚯蚓が鳴く話はこの昔話から生まれたのかもしれませんね。秋になると土の中から聞こえてくる「ジーーーーー」という声の主が、本当は螻蛄の鳴く声だと判ってはいても、こんな昔話を知ってしまったら、あの声の主が蚯蚓だったらよかったのにな、なんて思ってしまいますね。目と引き替えにしてまでの歌だったのなら。それにしても、蚯蚓は目と引き替えにしてまで、どうして歌が歌いたかったのでしょうね? 昔話はそれには答えてくれません。なんか、切ない気持ちになってしまうのは、秋という季節だからでしょうか?もしどこかから「ジーーーーー」という鳴き声が聞こえることがあったら、歌を歌いたかった蚯蚓の思いを考えてみましょうか。(「2020/09/06 号 (No.5090)」の抜粋文)
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【無花果】(いちじく) [日刊☆こよみのページ]

【無花果】(いちじく)
 (中世ペルシア語anji~rの中国での音訳語「映日果(インジークォ)」がさらに転音したもの)西アジア原産のクワ科の落葉小高木、またその果実。葉は3裂掌状、茎・葉を切ると乳状の汁を出す。初夏、花軸の肥大成長した花嚢を葉腋に出し、内面に無数の花をつける。雌花・雄花が同一花嚢中に生じる。食べる部分は実際は花床である。葉は薬用。果実は乾して緩下剤。乳汁は痔の塗布薬、また服用すれば回虫駆除の効がある。

 ザクロ・ブドウとならび、世界的に最も古い果樹の一つ。唐柿(とうがき)。秋の季語
  《広辞苑・第六版》

 自宅の近くに無花果の木があります。先日、通勤の途上で枝の先の実を見あげてふとあれ、そういえばイチジクの花ってどんなだったかな?と思いました。1.5秒後に、「あ!」と気がつきましたけれど。お恥ずかしい。こんなことがあったので、本日のコトノハでは無花果の話を採り上げることにしました。子供の頃、隣の家(といっても直線距離で400mは離れていた)の庭の端に無花果の木が植えられていました。庭の端といいましたが、その家は農家で庭といっても庭と地続きの畑との間には明確な区切りなどありませんでしたから、庭の無花果の木ではなくて畑の中の無花果の木だったのかも知れません。庭か畑かはこれ以上追求しないこととして、とにかく無花果の木があり、子供の私はよくこの木に登って遊んでいました。夏の終わり頃になるとその木の枝の先には変な形をした実が生って、その実の先っぽが赤紫に変わってくれば、実は木に登った子供達のお八つにされてしまいました。甘いけど、なんだか中がざらざらして変な実というのが子供の頃の私の感想です。まさかあの「実」が「花」だったとは。あの一つの花嚢の中には2800もの花が付いているのだとか。ざらざらした中身と見えたものが一つ一つの花だったのです。実だと思っているものが本当は花だったわけですから、この実のような花以外に花はありません。花もないのに実が生るから「無花果」なんですね。さて、無花果の原産地は中東だそうです。地中海沿岸では紀元前2000年頃から既に栽培されていた植物だとのこと、「世界的に最も古い果樹の一」という広辞苑の記述もうなずけます。さて無花果で思い出すのはアダムとイヴが食べたという知恵の木の実の話。この知恵の木の実は無花果だったのではないかと考えられています。だって、知恵の木の実を食べて自分が裸だと気がついて身体を隠すのに使った葉は他ならぬ無花果の葉。無花果の実を食べて、裸の自分に気がついて目の前にあった葉っぱで身体を隠したのでしょう。秋となって、あちこちで赤紫に色付きはじめた無花果の実を見て思い出すのはアダム達が後にした楽園の思い出ではなく、木に登って食べた無花果の実が舌に残したざらざらとした感触だけでした。先日見上げたあの無花果の実(花)は、まだ熟してはいませんでしたが、熟したら子供の頃に戻って、あの舌に残ったざらざらした感触を確かめてみたいなと思いましたが、あの木の実、もいでもいいのかな?(「2020/09/04 号 (No.5088) 」の抜粋文)
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