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【霞】(かすみ) [日刊☆こよみのページ]

【霞】(かすみ)
 1.微細な水滴が空中に浮遊するため、空がぼんやりして遠方がはっきりと見えない現象。
  古くは、春 秋ともに霞とも霧ともいったが、後世は、春のを霞、秋のを霧という。春の季語。
 2.朝または夕、微細な水滴が、日光を受けて、空の赤く見えること。あさやけ。ゆうやけ。
  倭名類聚鈔1「霞、加須美、赤気雲也」
 3.(「翳」と書く) (視力が衰えて)物がはっきり見えなくなること。
 4.色紙・短冊たんざくなどの上方に藍などで横に長くぼかしたもの。
 5.酒・酢などを熱する時の湯気。また、酒の異称。
                           《広辞苑・第六版より抜粋》

 霞立つ季節と言えば春。空中を漂う水滴という点では、霞も霧も同じものですが言葉としての霞と霧に感じるものは随分と大きな差があります。霧を通して見える風景と言えば、針葉樹の木立であったり葉を落とした木々の枝なのに、霞と言えばその先に見えるものは桜の花であり菜の花であり、水が張られ、田植えを待つ田んぼの風景。柔らかな一日の始まり、あるいは柔らかな一日の暮れの情景を思い起こさせる言葉です。そのためでしょうか、歳時記では霞は春の言葉、霧は秋の言葉と分けて使います。霞には霧にはないほんのりと暖かく柔らかな肌触りがあるようです。そういえば「霞たなびく」とはいいますが、「霧たなびく」という言葉は使いませんね。たなびくという柔らかな語感の言葉に結びつくのは霧ではなく霞のようですね。歳時記によっては、秋の霧、春の霞という分類の他に、昼は「かすみ」、夜は「おぼろ」と呼ぶと使い分けるものも有ります。暦の世界では七十二候に

  霞始めてたなびく (雨水の次候 2021/2/23 ~ 2/27)

 がありますから、このとおりであれば、そろそろ霞がたなびき始める頃なのですが、私の住んでいる当たりの状況を見るとまだちょっと早いかも。霞たなびく夕べに西の山に日が沈めば、東の空にはおぼろな月が昇る、そんな季節が早くやってこないかなと思う今日この頃です。(「2021/02/24 号 (No.5261) 」の抜粋文)

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雨水 [日刊☆こよみのページ]

□雨水
 今日は、雨水。二十四節気の正月中です。雨水は「うすい」と読みます。「あまみず」と読んでしまうと意味が違ってしまいますのでくれぐれもお間違えのないように(普通は、ないか)。旧暦ではこの日を含む暦月をその年の初めの月、正月としていました。正月といえば二十四節気にはもう一つ、正月節というのがあります。これは立春。このためでしょうか、「旧暦の正月は立春に始まる・・・」と云った話をよく聞きますが、これは間違い。旧暦の暦月の名前を決めるのは節気の方ではなくて中気の方です。二十四節気の節入りの日時の計算には一年を時間で二十四等分する恒気(こうき)あるいは平気(へいき)と呼ばれる方式と、太陽の通り道である黄道(の黄経)を角度で二十四等分し、太陽がその等分した点を通過する瞬間とする定気(ていき)あるいは実気(じっき)と呼ばれる方式の二種類が有ります。現在の二十四節気の計算方式は定気法です。定気法は黄経を二十四等分する方式と書きましたが、雨水はこの方式で言えば、太陽の黄経が 330度となった瞬間が雨水の節入りとなります。

◇雨水の頃
 二十四節気の中には、説明されないと意味の分からないものも有りますが、その点では雨水は分かりやすい。空から降るものが雪から雨に変わる時期だと言うことです。まあ、日本においてはもっと前から雨にかわってきていますけど、雪はそろそろ終わりの時期と云うことで納得しておきましょうか。日本の気候では、雨の初見の時期としては遅すぎる雨水ですが、二十四節気が生まれたのは古代中国殷の時代で、その殷の都、商丘は中国の黄河中流域にあり大陸性の気候で年平均気温は日本の京都や東京と比べて5~6℃も低い寒い場所ですから、雨の初見の時期としては、適当だったといえそうです。寒さが厳しく、冬が辛い場所であればあるほど、暖かな春の訪れが待ち望まれたことでしょうから、春の訪れを感じさせる雪が雨に変わるこの「雨水」には特別な意味を感じたのかもしれません。二十四節気の生まれた場所では雨の初見の時期、少し暖かな日本では雪の見納めの時期の雨水。どちらの観点からでも、暖かくなったなと実感出来る時節となりましたね。(「2021/02/18 号 (No.5255)」の抜粋文)

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【蕗の薹】(ふきのとう) [日刊☆こよみのページ]

【蕗の薹】(ふきのとう)
 (「蕗の塔」からか)春の初めに蕗の根茎から生え出る花茎。ふきのじい。ふきのしゅうとめ。春の季語。文明本節用集「款冬、フキノタウ」《広辞苑・第六版》

 蕗は山野の路傍に普通に生えている山菜。どちらかと言えば湿り気のある場所が好きで、蕗が沢山在る場所の傍には水の流れがあることが多いものです。蕗の古名は「山生吹(ヤマフフキ)」。山から命が吹き出すように生まれるということから付いた名前と考えられます。大地から芽吹く蕗の姿をよく現した名前です。その古名から「ヤマ」と「フ」が外れて現在の「フキ」となったようです。蕗は早春に葉より先に薄緑の苞に包まれた卵形の蕾を地面から出します。この蕾が、時にはまだ地面を覆う残雪を押しのけるようにして、その姿を現したものが蕗の薹です。蕗の薹は、やがてこれを覆っていた苞を破って花穂を現します。花穂が顔を覗かせる前の苞に覆われた状態の蕗の薹が、早春の山菜として親しまれるフキノトウです。蕗の薹が山菜として親しまれる理由は、その苦みのある独特の味ばかりではなく、蕗という名が「富貴」に通ずる嘉祥植物として、蕗の薹の芽吹く時期に訪れる旧正月の祝いの膳に欠かせないものだったということの名残もあるのではないでしょうか。ちなみに、山菜として食べられてしまう蕗の薹からすれば危険な時期を乗り越えて無事に花を咲かせた蕗の薹の花には、白と黄色の花色があることはご存じ? 実は、蕗の薹は雌雄異株で、雄花の花色は黄色、そして雌花の方は白色です。子供の頃は「種類が違うの?」と思ったりしていましたが、花色の違いは雄花と雌花の違いでした。もし、早春の珍味として食卓に上ることを免れ、花を咲かせている蕗の薹を見かけることがあれば、雄花か雌花かどちらだろうと、のぞき込んでみてくださいね。もっとも、まだしばらくは、蕗の薹たちにとっては危険な季節が続きますけどね。なお、蕗の葉っぱの方は、蕗の花の季節が終わる頃に、ようやくその姿を現します。目にする時期も姿も大分違うので、蕗と蕗の薹は別物と思っている方もいらっしゃるようですが、同じ植物ですよ(念のため)。(「2021/02/13 号 (No.5250)」の抜粋文)
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春を告げる鳥、鶯と黄鶯 [日刊☆こよみのページ]

■春を告げる鳥、鶯と黄鶯
 七十二候の立春次候は、こよみのページでは、読みやすさなどを考慮し うぐいす鳴く(2/8 ~ 2/12)と紹介しておりますが、元になっているのは黄鶯睍?(こうおう けんかんす)という、難しい漢字が並んだものです。本日は、この難しい文字の並んだ「黄鶯睍?」についての話です。現在使われている七十二候の事実上の基準となっている、明治時代の略本暦(当時、日本が国として認めていた公式の暦の一つ)に見える言葉で、江戸時代の宝暦暦から登場した日本生まれの七十二候の候の一つということになります。

◇黄鶯睍?の意味
 さて、この「黄鶯睍?」という言葉(とその文字)は日常ではあまりというか、ほとんど絶対にお目に掛からない言葉でしょう。意味も良く解らない。ということで、辞書のお世話になることにします。まずは、いつもの広辞苑。

 【黄鶯】(こうおう (クワウアウ))ウグイスのこと 《広辞苑・第六版》

 なるほどなるほど。次に「睍?(けんかん)」の方はというと、

 「けんかん」・・・建艦、県官、兼官、倹艱、堅艦、権官、顕官

 残念ながら、広辞苑には「睍?」に該当する言葉が見つかりませんでした。漢和辞典でそれぞれの文字の意味を調べてみると、

 【睍】(ケン)でめ。目の飛び出ているさま。
 【?】(カン・ワン)大きな目
 【睍?】(けんかん)みめよいさま。一説に、鳴き声のよいさま。(詩・邶・凱風)「睍?黄鳥」
   《大字源・再版 抜粋》

 ようやく「黄鶯睍?」の意味が見えてきました。「ウグイスの鳴き声のよいさま」ということですね、きっと。「黄鶯睍?」のままではとても意味が通じないので、こよみのページの七十二候では、これを意訳した「うぐいす鳴く」をこの候に当てています。

◇七十二候、「黄鶯睍?」の謎
 ここに登場する「黄鶯」という見慣れない言葉について調べてみると、黄鶯とはコウライウグイスのことだそうです。さらにコウライウグイスを調べると、中国産のウグイスで、韓国、中国、北朝鮮、台湾などに分布するものの日本には稀にしか飛来しないとあります。そして、来たとしても日本海側にしか来ないとあります(ウィキペディアなど)。ウィキペディアで、コウライウグイスを引くと、写真入りの解説ページを見ることが出来ます。今回の件で初めて私もこの「コウライウグイス」を引いたのですが、百聞は一見にしかずとはこのこと。この鳥の写真を一目見れば、黄鶯と書かれる理由が解りました。反論の余地無し。本当に、黄色い。目が覚めるほど鮮やかに「黄色い」。特に雄は。あまりに鮮やかなためか、漢詩にも「黄鳥」の名で登場するとも。大字源の用例にあった詩経の「睍?黄鳥」はまさに、このコウライウグイスの見目の良さ、鳴き声の良さのことだったのでしょう。ちなみに、雌のほうはというと雄に比べると羽は少々緑がかった色で、花札に描かれたあの鶯のモデルかもと思えるものでした(日本の鶯は花札のあの鶯の色と全然違います、地味です)。もしかして、花札の鶯って、中国の黄鳥(黄鶯)の絵か何かの影響を受けて出来たのかもと想像してしまいます。このコウライウグイスは希に迷鳥として日本に飛来することはあるようですが、一般に見かけるものではなさそうです。それなのになぜ、わざわざ滅多に見ることの出来ないコウライウグイスを七十二候の言葉に採用したのか?黄鶯睍?は本朝七十二候のはずですが、なぜこのような日本には滅多に飛来しない鳥を指定したのでしょう。コウライウグイスは中国大陸では珍しい鳥ではなく、漢詩にもたびたび「黄鳥」として取り上げられる鳥だとか。確かに、鮮やかな黄色が目を引く鳥ですから。「黄鶯睍?」が中国で生まれたままの七十二候の言葉であれば、黄鶯でおかしくはないでしょうが。ここで、もう一つ調べてみました。中国本土には、日本のウグイスはいるのか?すると、こちらはコウライウグイスとは逆で、基本的には中国では目にしない鳥のようです(ことに、古代に文化の中心だった黄河中流域では)。あれ、それならなぜ「鶯」という漢字が出来たのだろう?改めて、「鶯」という文字を辞書で引いてみると、

 【鶯】(オウ、うぐいす)うぐいす。本来は、こうらいうぐいすをいう。   
  もずくらいの大きさの小鳥。羽毛や鳴き声が美しい。・・・黄鳥。《大字源・再版 抜粋》

 あ、答えがあった。私達のご先祖様が、日本の風物、動植物に「漢字」を当てはめていったときに、日本にはいないコウライウグイスを表す「鶯」という文字を、中国にはいない日本のウグイスに当てはめた。今と違って「海を渡って他国に行く」なんてことはほとんど不可能に近い時代には、日本に在るものは中国にもあり、動植物も同じものがあるのだろうと考えられていましたから、同じ漢字が異なるものを指してしまったということは、結構あったのでしょう(例えば、紫陽花なんかもそう)。中国でのコウライウグイスは、春を告げる鳴き声のよい鳥として古くから知られていた鳥で、その役割は日本においては、別の種類の鳥であるウグイスが担っていた。そのうえ、詩経のようによく知られた本の中に「睍?黄鳥」として登場する(ちなみに、この「睍?黄鳥」が登場する詩のタイトルは、「凱風」で、南から吹く穏やかな風を意味します。春から初夏に吹く優しい風を表します。)。コウライウグイスとウグイスは、生物の分類からすれば異なる種類の鳥ですが、春を告げる鳴き声の美しい鳥という点では同じ。そして、七十二候はずっと漢字のみで書かれていましたから、「うぐいす鳴く」を漢語風に「黄鶯睍?」と書き表したのだと考えます。おそらくは、詩経に登場する「睍?黄鳥」も影響したと想像します。まあ、あくまでも推測の域を出ない話ではありますが、なぜ本朝七十二候に「黄鶯睍?」という理由は、こんなところじゃないのかな?(「2021/02/10 号 (No.5247) 」の抜粋文)
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【沈丁花】(じんちょうげ) [日刊☆こよみのページ]

【沈丁花】(じんちょうげ)
 ジンチョウゲ科の常緑低木。中国原産。高さ約1メートル。葉は無柄革質で楕円状披針形、斑(ふ)入りもある。春分前後に15,6花を球形に配列して開く。花は管状、内面は白色、外面は紫赤色または白色。香気が強く沈香・丁字に似るとしてこの名。通常は雄木で果実を結ばない。

 漢名、瑞香。輪丁花。春の季語。 《広辞苑・第六版》

 家を出てすぐの道路脇に、年中元気いっぱいに濃緑の葉をつけた矮小木が植えられています。沈丁花です。葉っぱだけだと何の木かわかりにくいですが、花が咲き、その花から漂う芳香に気付けば「何の木だったかな?」と考え込むことはありません。花自体は、それほど目立つものではありませんが、香は際立っていますから。その芳香であたりを包むことで七里香、九里香の別名を持つ花があります。前者は早春に咲く沈丁花。後者は秋に花をつける金木犀です。香りの強さではさしもの沈丁花も金木犀には一歩及びませんが、花期の長さでは金木犀を圧倒しますから、しばらくの間は沈丁花の香りを楽しむことができるでしょう。沈丁花は元々中国の中部から南部、ヒマラヤにかけて生えていた木で、日本への渡来は室町時代とか。雌雄異株で、その実は赤いそうなのですが、植えられている株はそのほとんどが雄株だそうで、そのためにこの「赤い実」を目にすることは希。私も残念ながら図鑑の類でしかその実を見たことがありません。きっと今通り過ぎてきた路地脇の家の庭で芳香を放っていたのも、そうした実を付けることのない雄株の沈丁花だったのでしょうか。雄株ばかりの沈丁花・・・なんて考えるとなんだか寂しいんじゃないかなんて思ってしまうのは、人間の勝手な思い込みでしょうかね?(「2021/02/09 号 (No.5246) 」の抜粋文)
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