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紅花栄う(七十二候)・雑感 [日刊☆こよみのページ]

■紅花栄う(七十二候)・雑感
 2021/5/26~30は、二十四節気、小満の次候「紅花栄う」です。本日はもう、5/29なので少々遅れましたが、ひとまず期間内ということで、お許しください。

  紅花栄う (べにばな さかう)

 ここで登場する「紅花(ベニバナ)」は紅の染料となることや、最近ではその種子から得られる食用油(紅花油)で知られ花の名前です。紅花という名前から

  赤い(紅色の)花?

 と思う方もいるようですが、花の色は黄色がかったオレンジ色。紅色の花ではありません。原産地は東アフリカだとも、北部アジアとも言われますが、原種は定かでは有りません。この花から、見事な紅色の染料が得られることは古くから知られており、日本には古墳時代には既に紅花が持ち込まれていたと考えられています。黄色い花なのに得られるのは紅色の染料というのが不思議なところですが、一定の手順で処理することで紅色の染料が得られます。ちなみに、この一定の手順てどんなものかなと思ってインターネットで調べてみたら、山形県川北町役場のHPに「誰にでも出来る紅花染」という記事が有るのを見つけました。この記事によると

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  1 花びらを摘む。(花の色が黄色から山吹色に変わり、朱色がさした頃)
  2 水洗いする。
  3 軽く絞ってビニールの袋に入れて密封する。
  4 一昼夜のちに取り出し、すり鉢でつぶす。

    ・・・息切れしたので途中省略・・・

  12 また新しい炭酸カリ8%溶液に11番の工程を繰り返す。
  13 12番の工程をもう一度繰り返し、都合3回分の液を作る。
  14 3回作った液を一緒にする。
     これが、紅染めをする紅汁の染料である。

 ※河北町役場HP 「誰にでもできる紅花染」より抜粋
  https://www.town.kahoku.yamagata.jp/9630.html
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 うーむ、「誰にでもできる」かと言われると・・・。ま、頑張れば出来ますね(私は無理かな?)。このHPの説明には更に、この染料を用いて布を染めるところまで記事が続いておりますので、興味があって、私よりずっと根気のある方は読んで、紅花染にチャレンジしてください。結構手間がかかっていますけれど、よくこんな手順を踏むと見事な紅色が得られるとわかったものですね。こういうことを調べてみると、現代人は昔の人より進歩しているとか、知識が豊富だとか、恥ずかしくて言えないなと思ってしまいます。おっと、脱線しすぎか。

 閑話休題

◇紅花の名前色々
 紅花は有用な植物として盛んに栽培されるようになり、江戸時代には藍・麻と並んで「三草」と呼ばれるほどになりました。これだけ拡がった花ですから、紅花以外にも色々な異称が生まれました。その異称を拾い出してみると

  紅藍花(ベニバナ)、紅粉花(ベニバナ)、紅(クレナイ)、呉藍(クレノアイ)、
紅藍(コウラン)、紅花(コウカ)、韓紅(カラクレナイ)、末摘花(スエツムバナ)

  英名:サフラワー (safflower)

 と言った具合。ちなみに、「呉藍(クレノアイ)」は呉国から伝えられた染料を得る花という意味でしょうか。この「クレノアイ」が転じて紅(クレナイ)になったと言われます。異称のほとんどは紅花から得られる色と関係するのですが、その中で色とは関係の無い異色(色でないのに「異色」とは皮肉な)なものが一つ混じっています。「末摘花」がそれです。この色と関係無い「異色」な名前は、先端の花から摘んでゆくことから生まれたようです。紅花は、その先端(先っぽ)から花が咲き始め、徐々に根元の方の花へと移って行くそうです。染料を得る目的では、咲き始めたばかりの花がよいので、花は先端から摘むことになります。根元が「元(モト)」なら、先端は「末(スエ)」。この末から花を摘んで行くので、「末摘花」なのだそうです。こんな風に名前の語源を辿ってみると、染料を取る目的からついた名前なので、関係無さそうにみえていましたが、やっぱり「色」と関係があるわけなんですね。

◇「紅花栄う」と紅花の季節
 「紅花栄う・雑感」とはしましたが、とはいえ暦のこぼれ話ですので、ちょっとくらいは暦や季節と関係の話をしておかないと格好がつきませんから、最後の最後にちょっとだけ、暦と関係した話。現在、「紅花の産地」と言われて真っ先に浮かぶのは山形県。この話でも既に登場して頂いた河北町も山形県にある町です。山形県は県の花が「紅花」となっているくらいです。さて、この紅花の本場とも言える山形ですが、山形での紅花の花の時期はいつ頃かというと、6月末から7月頃。ちょっと、暦の上の「紅花栄う」と時期が違っている感じです。それで、七十二候の「紅花栄う」の紅花は、紅花ではなくて、「紅色の花」ではないかと考える人もいるようです。例えば、山躑躅(ヤマツツジ)のような紅色の花ですね。この辺の謎はどうやら、紅花の種蒔き時期の違いによるもののようです。雪の多い山形県での紅花の種蒔き時期は3~4月頃。春撒きが主なようで、この時期に撒いた紅花の花期が6月末~7月頃となります。ですが、紅花という植物は結構寒さにも強いので関東以西(と言うか関東以南)では10~11月の秋撒きもよく行われるようで、秋撒きだと花の時期はちょうど、七十二候の「紅花栄う」時期。七十二候に「紅花栄う」が取り入れられたのは、日本が最初に作った独自の暦、貞享暦から(あの、渋川春海の作った暦)。江戸時代には三草と呼ばれたほど、栽培が盛んになった紅花。季節の節目を表す、誰もがよく知る花だったと言えますね。以上、辛うじてですが「暦のこぼれ話」の面目を保った本日の「紅花栄う」の話でした。

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【空木】(うつぎ) [日刊☆こよみのページ]

【空木】(うつぎ)
 ユキノシタ科の落葉低木。各地の山野に自生。高さ1~2メートル。樹皮は淡褐色・鱗片状。幹が中空なための名。初夏、鐘状の白色五弁花をつけ、球形の?果(さくか)を結ぶ。生垣などに植える。材は極めて固く木釘に用い、枝葉の煎汁は黄疸(おうだん)にきくという。広くはマルバウツギ・ヒメウツギなどの総称。ウノハナ。カキミグサ。夏の季語。〈本草和名〉 《広辞苑・第六版》

 空木は「卯木」とも書きます。「ウツギ」といってもピンとこないという方には、卯の花の木ですといったら思い浮かべてもらえるでしょうか?この時期には卯木の白い花を山の端の木暮の中に見かけます。薄暗い木暮の中も、卯の花の咲く場所はほんのりと明かりが灯っているかのようです。卯の花は固くて木釘にも使われるという空木の細くて強靱な枝にびっしりと対生します。花の一つ一つは釣り鐘型で、その花が下を向いて咲く様子は、白いシェードのついた電灯のようです。この小さな電灯が沢山並んでいるのですから、ほんのりと明かりが灯っているように見えても不思議ではありませんね。

◇卯の花と四月
 今日は旧暦の4/17。旧暦の 4月といえば卯月。卯の花が咲く月だから卯月なのか、卯月に咲く花だから卯の花なのか。どちらが鶏でどちらが卵かは定かではありませんが、この季節とこの花が切っても切れない関係にあると私たちの先祖が考えたことだけは間違いなさそうです。空木は丈夫な木で、枝を地面に挿しただけで根付くと言われます。その上花は美しいですから、万葉の頃から生け垣に使われたもので、ひょっとしたら日本最古の生け垣はこの空木の生け垣だったかも知れません。生け垣の空木が花を付けるのを眺めて、ああ四月(旧暦)になったのだななんて考えた万葉人がきっといたでしょうね。

◇空木の花は米の花
 空木の花を「コメゴメ」と呼ぶ地方があります。枝にびっしりとつく空木の白い小さな花が米の粒を連想させるためでしょうか。また空木の花が咲く季節は、昔は稲作の始まりの時期でもあり、白い米の粒を連想させるこの花の咲き具合でその年の稲の作柄を占うこともあったそうです。空木は日本中に自生する木。また庭木として育てられることもある木ですから気をつけて眺めてみればこの時期、きっとどこかでこの木の白い花を見つけることが出来ると思います。卯の花腐し(うのはなくたし)の雨が降り、この花が散ってしまう前に何処かに咲いているこの花を探してみてください。(「2021/05/28 号 (No.5354) 」の抜粋文)
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「蚕起きて桑を食う」の日・雑感 [日刊☆こよみのページ]

□「蚕起きて桑を食う」の日・雑感
 国土地理院のWebサイトに地図記号一覧という頁があります。 https://www.gsi.go.jp/KIDS/map-sign-tizukigou-h14kigou-itiran.htm見ていると、小学校(中学校も?)で習った、各種の懐かしい地図記号が書かれているのですが、その中に桑畑(くわばたけ)というものがあります。同様の農耕地を示す記号としては他に、田・畑・果樹園・茶畑・その他の樹木畑とあります。田と畑は、「田畑」といえば農耕地の一般名として通用するほどなので、よく分かりますが、個別に栽培されているものの名前が付いているものというと、この桑畑と茶畑。まあ、果樹園を仲間に入れてもよいかもしれませんが、これだってリンゴや梨、蜜柑に桃に桜んぼといろいろまとめて果樹園でしょうから、やはり厳密に一つの作物に限定しているものというと、桑と茶だけですね(「田」といえば稲だけじゃないか・・・といわれそうですが、まあ、これは別格扱いかな?)。

◇桑と蚕
 茶畑についていえば、新幹線で静岡あたりを通過すると、今でも茶畑の拡がる風景を目にしますから、茶畑専用の地図記号があることは納得がいきますが、はて、桑畑は? 一面の桑畑が拡がる風景なんて、私は見た記憶がありません。どこかにはあるのかな?度々書いていることですが、私が生まれ育ったところはすごく田舎でした。その御蔭で、子供時代の思い出話は同世代の人より、一世代か二世代上の方とのほうが通じあうくらいです。そんなわけで、ちょっと時代がずれているかもしれませんが、私の子供時代には身の回りに、まだいくらか桑畑が残っていました。私にとっては、桑といえば「桑の実」が美味しかった(個人的好みですが完熟した濃紫の実より、未熟な赤みがかった酸味の強い実が美味しかった)なと覚えていますが、桑畑が作られる目的はこの「実」ではなく、子供には無価値だった葉っぱの方でした。桑の葉が何に使われていたかといえば、それはもちろん、養蚕のため。蚕の餌としての桑の葉でした。私の隣の家(といっても500mくらい離れていましたけど)は専業の農家で、その家の蔵の二階には蚕棚がありました。今頃の時期には沢山の蚕が蚕棚の上で桑の葉を食べていました。むっとするような独特の臭いと、蚕が桑の葉を食む小さな、幾重にも重なった音を覚えています。蚕は、その繭から生糸を採るために育てられた虫。戦前の日本では農家の四割が養蚕に携わっていたそうですから、それを考えると蚕の餌とするために日本中に沢山の桑畑が作られていたのでしょうね。中国の故事熟語の中に「蒼海変じて桑田となる」という言葉があります。一面の海が桑畑に変わるほどの長い時の流れを表す言葉ですが、こんな言葉が出来るほど、古い時代から一面の桑畑という風景があったんですね(シルクロードが出来るわけだ)。この桑を食べる蚕は、大変に変わった生物です。戦前は日本の四割の農家が養蚕に携わっていたというほどですので、かなりありふれた生き物だったわけですが、こんなにありふれた生き物なのに、なぜか、野生化した蚕、家猫が野生化した(?)野良猫のような野良蚕がいないのです。蚕は桑の葉を食べます。しかしこれが「摘んでもらった桑の葉を蚕棚のような場所に置いてくれれば食べます」というとんでもない横着な食べ方。上げ膳据え膳でなければご飯食べませんという虫なのです。蚕を桑の木の葉っぱに載せてやっても、脚の力が弱くて風が吹いたら落ちちゃうし、桑の木の周りにいても自分で葉っぱを探すことが出来ずに餓死しちゃうし。笑い事ではないひ弱さです。こんなひ弱な生き物がどうやって今まで生き延びてきたのか? その問への答えは「人間がずっと上げ膳据え膳してきたから」なのです。蚕は「家蚕」ともいい、家畜化された昆虫。その上、既に述べたように野生化する能力すら完全に失ってしまった昆虫なのです。楽な生活(その後の釜茹の結末を考えなければ結構な生活)をしすぎると、こんなにひ弱になっちゃうとは。私も気をつけよう・・・。

◇これからどうなる桑畑と蚕
 専用の地図記号まで作られた桑畑ですが、現在はその数はだいぶ少なくなっているでしょうね。桑畑が減っているということは、それで養われている蚕さんも少なくなっているわけです。化学繊維全盛の世の中とは言え、天然素材の絹が姿を消すことは当分無いと思いますので、どこかではまだ蚕さん(あ、子供の頃は「お蚕様」と呼んでました)は、私の目の届かない場所で、据え膳された桑の葉を黙々と食べているのでしょうね。地図だって、よーく探せば桑畑の記号、見つけられるかな?本日は七十二候の一つ「蚕起きて桑を食う」の始まりの日ということで、桑と蚕で思い浮かんだ暦のこぼれ話でした。(「2021/05/21 号 (No.5347) 」の抜粋文)
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【梅雨葵】(つゆあおい) [日刊☆こよみのページ]

【梅雨葵】(つゆあおい)
 〔植〕タチアオイの別称。⇒【立葵】(たちあおい)
 1.アオイ科の観賞用多年草。アジア原産。高さ 2メートル、葉は心臓形で、縁は5~7に浅裂、葉面に 皺(しわ)がある。春夏の頃、葉腋に紅・白・紫などの美花を開く。園芸品種が多い。単にアオイと も呼ぶ。ハナアオイ。ツユアオイ。ホリホック。蜀葵。夏の季語。
 2.エンレイソウの別称。
 3.紋所の名。茎のある葵の葉3個を杉形(すぎなり)に立てたもの。
                                  《広辞苑・第六版》

 立葵は初夏の頃に花を咲かせます。高さは 2メートルにもなりますから、すっくと立つその姿を眺めると余程背の高い人以外はみな、見上げるような角度で眺めることになります。初夏の空を背負うようにして桃色や白色の大きな花を咲かせる立葵の姿は、子供の頃に見上げた大人の姿を連想させます。何でも知っている大人、何でも出来る大人、そんな子供の目からは畏敬の対象だった大人の姿が、立葵から連想してしまいます。梅雨葵はこの立葵の別名。この名前は、梅雨の頃に花をつけるところから生まれたものでしょう。この花はまず最初に根元に近い蕾から花が開き、日を追うように下から順に先端部の上へと花が開いて行きます。この花の時期が梅雨の時期とよく合っているのだといいます。江戸時代に書かれた『世事百談』と言う書物には、梅雨入り、梅雨明けの時期がはっきりわからないときには、立葵の花が根元から咲き始めたら梅雨入り、だんだんと標(すえ)の方に咲き終わる時期を梅雨明けとすればよいと梅雨入り、梅雨明けの目安の植物として紹介されています。大人を思わせる背の高い立葵はやはり何でも知っている花のようです。5 月も後半となり、背の高い立葵が蕾をつけ始めました。本来の立葵と梅雨の関係からすれば、梅雨入りはもう少し先のはずですが、今年の梅雨は記録的に早く、この時期にもう東海地方まで梅雨入りしたとか。え、そんなこと言われてもまだ花を咲かせる準備が整っていません!まだ蕾の堅いタチアオイからは、そんな声が聞こえてきそうです。梅雨葵の異称を持つ立葵だって、年によっては梅雨の時期の予想が外れることもあるってことですね。(「2021/05/18 号 (No.5344)」の抜粋文)
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菖蒲(ショウブ)の節供 [日刊☆こよみのページ]

□菖蒲(ショウブ)の節供
 今日は五月五日、端午の節供です。節供には、その節供と深く結びついた植物があります。人日の節供には春の七草(七種)、上巳の節供には桃(あるいは菜の花)、七夕の節供なら笹(竹)、重陽の節供には菊という具合です。端午の節供にも同様に、この節供と強く結びついた植物があります。その植物が菖蒲。ここから、端午の節供は「菖蒲の節供」とも呼ばれます。

◇菖蒲の芳香と邪気祓い
 邪気は清浄なものや芳しい香りなどを嫌い、こうしたものがある場所には近づけないと考えられていました。節供とは、一年の節目節目で日常生活の間に引き寄せてしまった悪い気を祓う行事ですから、その行事には邪気を祓う効果のある花や草が欠かせません。こうして、その節供の時期に手に入る、芳香を放つ植物と結びついていきました。五月(注意:節供の成り立ちを考えていますから、この五月は昔の暦での五月ですから、季節で考えると後一月程遅い時期となります)の頃に水辺に生え、その葉や根に芳香を持つ菖蒲が、五月の節供と結びついたのも自然の成り行きと云えそうです。

◇節供と禊ぎ
 節供は邪気を祓う行事であるため、邪気を祓うための「禊ぎ」が行事の中に何らかの形で取り入れられている場合が多いです。禊ぎといえば水が欠かせませんから、水辺で行われていました。禊ぎを行うときに、邪気を祓うための道具の一つである香草を調達する必要がありますが、こんな時にその道具が禊ぎの場、あるいはその近くで調達できたら便利ですよね(横着な考えといわないで・・・)。そう考えると、数ある香草の中から菖蒲が選ばれた理由もうなずけます。だって、菖蒲は水辺に生える植物ですから。禊ぎの場に行けば、禊ぎに使う香草が沢山生えている。なんと有り難いことではないですか。きっと、その始まりにはこうして川や湖などの水辺に出かけて行われていただろう禊ぎ行事ですが、やがてこれをもっと手軽に行えるようにと形を変えたものが現在の菖蒲湯ですね。現在でも端午の節供にはお風呂に菖蒲の束を浮かべた菖蒲湯に入って身を清めるということが広く行われています。正に水辺で行われていたであろう禊ぎそのものじゃありませんか。多少、簡便化されているとはいえ、案外に古い行事がそのままに生き残っているものですね。

◇間違えていませんか、「菖蒲」のこと
 菖蒲は葉や根に芳香が有ることから、昔から邪気や物の怪をはらう力が有ると考えられていました。現在の端午の節供は、気持ちよい青空が広がる季節ですが、旧暦の時代だと日本は梅雨の真っ最中。じめじめした不快な日が続き病気も増えたのかもしれません。そのためそういった悪い気をはらうものとして菖蒲や蓬が使われました。時期的にも旧暦五月頃は水辺に沢山の菖蒲が生えていたでしょうからポピュラーな薬草ということもあったのか。しかし、このポピュラーな「菖蒲」ですが、現在は間違えられがちな植物でもあります(その筆頭といってもいいくらい)。菖蒲というと、あの紫色のきれいな花の咲く植物ですよねなんて具合に。この紫色のきれいな花が咲くのは「花菖蒲」。実は、菖蒲と花菖蒲は違います。それも菖蒲は「サトイモ科」で花菖蒲は「アヤメ科」という具合で、全然違う種類の植物です。葉っぱが似ているので同じような植物だと思われがちですが、菖蒲の花は花菖蒲のように「花」という感じはしない地味なもので、似ても似つきません。サトイモ科の菖蒲からすれば、形は全然違う水芭蕉(こちらもサトイモ科)の方が、よっぽど近縁の植物で、全体の印象は違いますが花の形はよく似ています。もっとも、万葉集などに歌われる菖蒲は「あやめぐさ」と呼ばれていましたから、昔の人もアヤメの仲間だと思っていたみたいですけれど。

◇今夜は菖蒲湯?
 菖蒲の節供の夜は、やっぱり菖蒲湯でしょうね。菖蒲を束ねたものを湯船に浮かべ、あの香りを楽しむ。邪気を祓う云々は抜きにしても、あの菖蒲の香りのお風呂にはいるのは、気持ちいいものですよね。忘れていたという方も、大丈夫。近頃はこの時期ならスーパーでも菖蒲が売られていますから今から菖蒲を調達し、お風呂に入れるには十分な時間があります。昔は冷たい水に入って行った禊ぎ行事ですが、現代の私たちは、温かいお風呂で気持ちよく「邪気祓い」することにいたしましょう。(「2021/05/05 号 (No.5331) 」の抜粋文)

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