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夏越の祓(なごしのはらえ) [日刊☆こよみのページ]

□夏越の祓(なごしのはらえ)
 明日は六月の最終日。一年の上半期の最後の日です。この日の行事として思い浮かぶのは、夏越の祓。六月の晦日の行事です。夏越の祓はまた、水無月の祓(みなづきのはらえ)ともいいます。文字についても昔は、名越の祓と書いたそうです。旧暦で言えば六月は、夏の終わりの月でもありましたので、「夏越の祓」と呼ばれます。

◇夏越の祓と大祓
 夏越の祓と対になる行事が十二月にもあります。これを大祓(おおはらえ)といいます。普通は大祓といえば十二月の晦日(みそか)に行われる祓えを指しますが、夏越の祓を大祓と呼ぶこともありますし、両者の総称として「大祓」と言うこともあります。十二月の大祓は言わずとしれた、その一年の穢れを祓って新しい年を迎えようと言う行事で、大祓の後には「正月」という晴れの行事が待っています。では夏越の祓はといえば、同様に一年の前半が済んだところでその半年の穢れを祓い、清浄な身で「盆」という晴れの行事を執り行います。西日本ではこの夏越の祓に、「サネモリオクリ」などの虫送りの行事が行われることがありますが、これは収穫の秋に向かって、禍を除こうとするもので、禍が積み重なった穢れの結果に呼び寄せられるという考えが垣間見られます。禍が来ないように、穢れを除こうというわけですね。

◇夏越の祓の行事
 夏越の祓の行事としてよく見られるものが、「茅の輪くぐり」。茅(ちがや)で大きな輪を神社の境内に作り、この茅の輪をくぐることで病気や禍を免れようと言う神事です。「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延というなり」と唱えながらこの輪を、先ず左足から踏み入れ 8の字を描くように 3度くぐるのが正しい茅の輪くぐりだそうです。他に、神社で紙で作った形代(かたしろ、人形)に姓名・年齢を書いて、これで体を撫でて自分の穢れをこの形代に移し、これを河などに流す行事が有ります。ところによっては穢れを移すものが藁の人形であったりと、形は多少異なりますが、同種の行事があちこちに残っています。この形代に穢れを移して河に流すという行事は、禊ぎ(みそぎ)の行事が形式化したものと考えられます。

◇茅の輪と蘇民将来(そうみんしょうらい)
 夏越の祓には茅の輪の他に、「蘇民将来札」というものを家の入り口に張る風習が長野県などに残っています。この二つは、神話の中で次のように結びついています。武塔の神が旅の途中、ある村で一夜の宿を請うたところ、裕福な巨旦将来はこれを断り、巨旦将来の兄の貧乏な蘇民将来はこれを受け入れて、もてなしました。の後旅の帰りに再びこの村を訪れた武塔の神が宿を与えなかった巨旦将来の一族を皆殺しにしてしまいましたが、その際に巨旦に嫁いでいた蘇民の娘だけは目印として「茅の輪」を腰に付けさせて助けたといいます。そして、蘇民将来には子々孫々疫病から免れることが出来るという福を授けて去っていったと言われます。ということで今でも「蘇民将来子孫」と書いた蘇民将来札を掲げておくと、疫病を免れるるといわれます。また茅の輪をくぐって禍を逃れるというのもこの神話からといわれています。夏越の祓の今日、私も蘇民将来の子孫を騙って、疫病から免れることにしましょうかね?

※ちょっと宣伝
 御陰様で、この記事をベースに、写真などを加えて、
夏越の祓(なごしのはらえ)http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0733.htmとして、Web こよみのページの「暦と天文の雑学」のコーナーに読み物を掲載しております。お暇があれば、そちらのページもご覧下さい。 by かわうそ@暦  (「2021/06/29 号 (No.5386) 」の抜粋文)
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【青田】(あおた) [日刊☆こよみのページ]

【青田】(あおた)
 1.稲が生育して青々とした田。夏の季語
 2.まだ実らない稲田。
 3.無料で興行物を見る人。また、無料。ただ。
  守貞漫稿「京坂観場に銭を与へず看之等を方言にて青田と云ふ。
  今は諸事に銭を与へざるを青田と云へり」
   《広辞苑・第六版》

 田んぼの田の草取りも一段落して、稲の苗が成長して田んぼの面を覆い尽くす様子です。少し前までは水面が見えていた田んぼが、稲の葉が繁りはじめて、徐々に見えなくなってきています。明治以前は、こうした状況になるのは土用の頃だったそうですが、今では稲の品種改良、早稲(わせ)化が進んで、そろそろ「青田の季節」といってもよい頃合いになりました。1,2 の意味に関しては現在目にする田んぼの様子を思い浮かべれば直ぐにそのとおりだと言えるのですが、3 の料金を払わない人を指して言う言葉というのは初めて知りました。お金という「実」が入っていないので青田と呼ぶのでしょうか。

 青田の上を風が渡れば、「青田風」。
 青田の稲の葉が一斉に揺れ動く様は「青田波」。

 青田の上を波となって押し寄せ、駆け抜けて行く風に涼を求める季節が今年もまたやって来ました。(「2021/06/27 号 (No.5384) 」の抜粋文)
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「乃東枯る」の季節 [日刊☆こよみのページ]

□「乃東枯る」の季節
 ご存知の通り、6/21に二十四節気の夏至の節気に入りました。現在は二十四節気をさらに細分化したものに七十二候では乃東枯る(だいとう かるる)という時節にあたっています。七十二候にはよく目にする(現代の街中では難しいでしょうけれど)動植物の様子からものが多くあります。「乃東枯る」という言葉からは、どうやらこの「乃東」なるものが、植物らしいことが解りますので、これもよく見かける動植物の様子から生まれた言葉のようです。

◇乃東枯る(だいとう かるる)
 七十二候の中には、読んでもパッと意味がわからないものがあります。多分この「乃東枯る」もそんなパッと意味がわからないものの一つでしょう。以前、

 > 一寸前になりますが、七十二候の中で、二十八候「乃東枯る」の意味を
 > めぐって諸説紛々です。意味を教えてください。

 というメールを頂いたことがあります。やはり「乃東」じゃ、何のことかわからないですね。乃東とは枯るということから、どうやら植物らしいことは見当がつきますがさてどんな植物?

◇乃東 = ウツボグサ(靫草)
 さて、この謎の乃東ですが、その正体はウツボグサ(靫草)です。ウツボグサは別名「夏枯草(カコソウ)」といいます。この別名をみれば、なるほど夏には枯れる草です。そう言われても名前だけではピンと来ない方は、写真を掲載して下さっているサイトが沢山ありますのでご覧下さい。紫色のきれいな花です。→http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/utubogusa.html みればなるほど。田舎で生まれ育った私は子供の頃から、日当たりのいい田んぼの畦や草地でこの花を毎年見ていましたので、確かになじみのある植物。ただし子供の頃にこの植物が「乃東(だいとう)」なんて呼ばれることは知りませんでしたけれど。この花の花期は 6-8月頃。それを過ぎると花は枯れ、黒色化した花穂は夏枯草(かこそう)と呼ばれるようになります。夏の盛りで周囲の植物が青々と茂る中に花を終えて枯れてしまうように見えるため、この植物は夏枯草と呼ばれるようになったのでしょう。また、こんな風に他の植物とは違った季節変化をすることから物珍しく、七十二候に取り入れられたものと考えます。現在の私の勤務地は、まあまあの田舎。職場の周りには自然が一杯あり、本日話題とした乃東、つまり靫草ですが、これも職場の敷地の一角に群生しているのを見つけました。この群生している靫草は、今のところまったく枯れるそぶりも見せず元気に青紫色の花を咲かせています。

  乃東枯るの時節? そんなの俺たちには関係無いね!

 なんて言いそうに元気いっぱいです。あらら。
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薬降る日、「薬日」 [日刊☆こよみのページ]

□薬降る日、「薬日」
 旧暦の五月五日、端午の節供に降る雨を「薬降る」と呼ぶことがあります。今日は旧暦五月五日、旧暦の端午の節供の日なので薬降る日、「薬日」の話を採り上げることにしました。

◇端午の節供は魔の降る日?
 旧暦の五月は雨の月。ものが傷みやすい月、黴びやすい月と言うことでしょうか、「悪月」とも呼ばれました。なにがこの月を「悪月」に仕立てるのかと考えれば、きっとそれはこの時期に降り続く雨だと考えたのに違いありません。雨は天から降ってきます。その雨が「悪月」を作り出すのだとすれば、それは「魔」が降っているのだとも言えるでしょう。端午の節供はそうした魔の降る日だったのです。そして五月は悪月である一方早苗の月でもあります。田植えの主役である女性達(早乙女)は田植え前のこの端午の節供には、その身を清浄に保つため、忌籠りして魔を避けました。今でも端午の節供といえば、菖蒲と蓬(よもぎ)を屋根に挿したり、この二つを束ねたものを屋根に投げ上げたりする風習があります。これは天から降る「魔」から身を守るための呪いであったと考えられます。また、菖蒲湯なども穢れを取り除くための禊の一種と考えることが出来ます。

◇五月五日は「薬日」
 五月五日は魔の降る日と書きましたが、この日はまた、薬日(くすりび)とも呼ばれ、山野に出て薬草を採取する日でもありました。屋根に飾り、菖蒲湯を作る菖蒲や蓬もこうして集められる薬草の中の一つでした。この日集められた薬草は、錦の袋などに詰め、薬玉(くすだま)として邪気を遠ざけるためにこれを軒や室内に吊り下げておく風習がありました。この「薬玉」が現在祝い事になどに登場する「くす玉」の元ですが、雰囲気は大分変わってしまっていますね。

◇薬降る
 魔の降る日、その魔を避けるため薬玉を作り屋根には菖蒲と蓬を飾ります。その一方で、この日降った雨が伐った竹の節にたまった雨水を神水と呼び、この水で薬を溶けば薬効が増すとも言われました。この日降る雨は魔ばかりでなく、薬でもあったのです。そのためこの日はまた「薬降る日」ともされました。魔も神も人間を超えた力を持った自然の象徴と考えれば、表裏一体のものと言えるのかも知れません。魔も一転すれば神となり役立つ薬となる。そう考えて、あるいは望ましくない魔を役に立つ薬に転ずるための呪いの言葉が薬降るだったのかも知れません。さてさて、薬降る日の今日ですが、皆さんの地方の天気はいかが?私の住んでいる街の天気は・・・五月晴れ。この分だと、本日中に薬が降ることはないかもしれません。(「2021/06/14 号 (No.5371) 」の抜粋文)
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腐草蛍となる [日刊☆こよみのページ]

□腐草蛍となる
 今日、6/11(2021年)は立春の初候「東風凍を解く」から始まる七十二候の26番目となる「腐草蛍となる」の始まりの日です(終わりは6/15)。「腐草蛍となる」とは、まるで蛍は腐った草が変じて生まれるような感じ。アリストテレスの自然発生説みたいですね。まあ、夕方に、積み重なった腐草のある辺りから昨日まで見ることが無かった蛍が飛び交う姿を見れば、大昔の人達が「蛍は腐草が変じたもの」と素朴に思ったとしても、無理からぬところでしょう。

◇生物季節
 桜の開花日情報などで知られるように、全国の気象台ではその地域に生育する幾つかの動植物の開花や紅葉、初見や初鳴きなどの「生物季節」を観測し記録しています。蛍の初見もこうして観測される「生物季節」の一つの指標です。生物季節の指標は、桜のようにほぼ全国共通の生き物を使う場合もあれば、そうでない場合もあります。生き物のことですから、その生育する場所が異なるため、何もかも全国一律というわけにも行かないわけです。では蛍の初見はどうかというと、これはほぼ全国で共通に観測される項目となっていましたので、全国の蛍の初見日を集めれば桜の開花前線のような、「蛍前線」を日本地図の上に描くことが出来ます。

◇蛍の初見前線
 気象庁のサイトを探せばきっと「蛍の初見前線」的な地図が見つかるはずと思ったのですが、上手く見つけることが出来ませんでした。でも、やはり蛍の初見前線図はありました。見つけたWeb のページはこれ。ホタル百科事典/ホタルに関する調査研究レポート

http://www.tokyo-hotaru.com/jiten/report16.html

ここに、期待したような地図がありました(1971~2000の平均値の図)。蛍の初見日の変化に見る温暖化の影響についての考察(蛍の初見日についてみると影響は見られないという結論でした)まであって、ためになるページでしたので、皆さんもお時間があればご覧下さい。さて、このサイトの図を見ると蛍の初見日の前線は5/20頃に九州地方に上陸し、順調に北上し、私の住んでいる辺りは6/10頃。東京を6/20に通過して7/20頃に終着地点の東北北部に到着するという具合のようです。また、同じサイトには気象庁の生物季節観測累年表(ホタル)の1953年~2007年のデータか71箇所を地方別に分類し、地方毎の蛍の初見日の変化をグラフに下ものも掲載されて、これを見ると関東地方の蛍の初見日は5/22頃~7/1頃その中間値は大体6/11頃ですので、七十二候の「腐草蛍となる」はかなりいい線いっているようです。なお、日本の暦と言えば長いことその基準となる場所は京都でしたから、関西地方のグラフも見ると、5/15頃~6/11頃。七十二候の日付は、ちょっと遅いかな?まあ、皆が皆気象庁の観測者のように目を皿のようにして蛍の初見日を観察しているわけではないでしょうから、七十二候の日付がこのグラフの初見日よりちょっとくらい遅れても、誤差の範囲と言えそうです。なお、このサイトの記事を読むと、近頃騒がれる温暖化や異常気象の影響は蛍の初見日については、あまり影響がないようです。さて、本日は七十二候の「腐草蛍となる」の時候の始まりの日と言うことでこの暦の上の日付と蛍の初見日を見てみましたがいかがでしたか?そろそろ皆さんの住む場所でも、腐草が蛍に変じて飛び交い始めているかもしれませんね。(「2021/06/11 号 (No.5368)」の抜粋文)

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【男梅雨】(おとこ づゆ) [日刊☆こよみのページ]

【男梅雨】(おとこ づゆ)
 ザーッと烈しく降ってはサッと止むことを繰り返す明快、陽性型の梅雨。一時代前の快男児のイメージ。 《雨の名前 (著者 高橋順子・佐藤秀明)より》

 来る日も来る日も雨が降り、手には傘を持ち、足には長靴という出で立ちで学校に通う、それが私の中での梅雨の風景です。子供の頃暮らしていた場所はずいぶんと田舎でしたから、小学校の 6年間、通った道は未舗装。雨が続く梅雨の頃にはあちこちに水たまりのできる片道 2kmの道を、水たまりを選ぶようにしてザブザブ歩いて通っておりました。そのころの印象が余程強かったのか、もうかれこれ40年がすぎても、梅雨といえば、このころの光景が浮かんできます。それもなぜか、足下の水たまりのことばかり。50年の昔に私の脳裏に定着した梅雨というのは、こんな具合で連日雨の降る季節でしたけれど、今年(2021年)の梅雨はどうでしょう。昨日、一昨日とよい天気が続いていましたが、一転して今日は朝から強い雨がザアザアと音をたてて降る天気。メリハリがはっきりしています。『雨の名前』の説明によれば今年のような梅雨を「男梅雨」と呼ぶのでしょう。一昔前の快男児のような梅雨の天気です。昨日の午後は、山からは大分歌が上手くなった鶯の声が聞こえていましたが昨日は美声を披露してくれた鶯は、今朝の強い雨をどんな風にしのいでいるのかな?(「2021/06/04 号 (No.5361)」の抜粋文)

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【蕗】(ふき) [日刊☆こよみのページ]

【蕗】(ふき)
 キク科の多年草。日本各地に自生、食用に栽培。茎は地中にあって甚だ短い。葉柄は長さ30~70センチメートル、上部に大きな腎臓形の葉をつける。早春、葉に先立って、大きな苞ほうに包まれた花茎、「蕗の薹(とう)」を生じ、多くの細かい白花を開く。雌雄異株。葉柄と花茎とは食用。寒地には巨大なアキタブキが、また園芸品種がいくつかある。夏の季語。 《広辞苑・第六版》

 蕗の葉というと傍らに流れる水を連想します。田んぼに水を運ぶ細い用水路を上から覆い隠すように広がる蕗の葉を連想するのです。蕗は水を好む植物ですが必ずしもいつも水の畔にあるわけではありません。ですが、流れる水を覗き込むように生える蕗の葉が一番蕗らしく思えます。普段見慣れた蕗の「茎」は実は葉柄で茎ではないと、冒頭の広辞苑の説明文を書き写す際に知りました。地下にあるという短い蕗の茎とは? 全く記憶にありません。そう言えば蕗は根元(正しくいえば葉柄元か?)で切り取ることはあっても、引き抜くということはあまりありませんから、地中の茎にはなかなかお目にかかれないようです。よって、蕗の茎は謎の存在のままです。蕗と関係する謎の存在といえばアイヌの伝説に登場するコロポックルという小人の話を思い出します。コロポックルとは、「蕗の下にいる人」という意味だとか。雨の日に葉をひろげた蕗の葉の下をのぞき込んだら、雨宿り中のコロポックルに会えるでしょうか? それとも会えるのは雨宿り中の雨蛙?水面も地面も覆い尽くすような沢山の蕗の葉の下には私たちの知らない世界が広がっているかも。コロポックルを小人と書きましたが、東北北部や北海道には葉柄の長さが1 ~1.5mほどにもなる大きな秋田蕗(アキタブキ)が生えますから、コロポックルが雨宿りするのもこの大きな蕗? だとすると、蕗の葉の下で出会うのは小人とはいえ雨蛙よりは随分大きな小人さんかもしれません。(「2021/06/03 号 (No.5360)」の抜粋文)
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麦秋至る [日刊☆こよみのページ]

□麦秋至る
 昨日、5/31~6/4(2021年)は七十二候の一つ「麦秋至る」の時候。「麦秋至る」で、「むぎのとき いたる」とか「ばくしゅう いたる」と読みます。麦秋の頃とは陰暦の 4月頃、現在の 5月~ 6月にあたります。麦秋至るという言葉は「礼記」の「月令」に既に見えている言葉で、二千年以上も昔から、使われてきたものです。季語としては「夏」に分類されます。日本でも立春から数えて 120日目辺り(6/4頃)が麦刈りの目安だそうですから、麦秋至るは二千数百年の時を超えて、また中国と日本という地域の違いも超えて生き続ける息の長い言葉です。「秋」という言葉が入っていますが、秋は百穀物・百果実の実る季節です。麦秋の「秋」はこの「収穫の時」を意味する言葉として使われています。四季で言うところの季節では初夏ですが、この時期は麦の実る時期ですから収穫の時を表す秋という言葉と麦を組み合わせて「麦秋」と言い表したわけです。麦秋はまた「麦の秋(むぎのあき)」とも読みます。意味としては同じですが、「ばくしゅう」と読むと麦を収穫するのどかな風景を想像するのに対して、「むぎのあき」と読むと、なんだか物淋しい感じがします(私だけ?)。木々の葉が落ち冬に向かう季節という意味を「秋」に感じるためでしょうか。

◇麦の秋さびしき貌の狂女かな
 蕪村に

  麦の秋さびしき貌(かお)の狂女かな

 という句があります。麦秋至るの頃は普通の年であれば梅雨入りの少し前。麦を育てる農家にとっては梅雨に入る前に麦の刈り入れを済ませてしまいたいところでしょうから、この頃は大忙し。猫の手も借りたいくらい忙しく、狂女をからかう者もなくなく、誰からも相手にされない狂女の様子を詠んだものなのでしょうか。初夏の陽射しの下の一面の麦の実りの風景と、その風景の中に立つ、寂しげな狂女の姿が浮かんできます。

◇今年は?
 今年は梅雨入りは記録的に早く、もう既に関東あたりまで梅雨入りした模様とのこと。早すぎる梅雨入りで、梅雨入り前の麦刈りの予定が狂ってしまったかも知れませんね。今は一面の麦畑という光景を目にすることは希になりましたから麦秋至るという言葉には「のどかさ」も「物淋しさ」も感じることが無くなってしまったかもしれません。いつかなぜこの時期に、「秋」なんだ?という不思議な思いだけが残る言葉になってしまうかも知れません。そうなってしまったら、それもなんだか淋しい話ですね。(「2021/06/01 号 (No.5358)」の抜粋文)
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