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【合歓木】(ねむのき) [日刊☆こよみのページ]

【合歓木】(ねむのき)
 マメ科の落葉小高木。
 山地や川原に自生。葉は細かい羽状複葉、小葉は10~20対。葉は夜、閉じて垂れる。6~7月頃、紅色の花を球状に集めて咲く。花弁は目立たず、雄しべは多数に割れ紅色。莢(さや)は扁長楕円形。材は胴丸火鉢・下駄歯に、樹皮は打撲傷・駆虫に用いる。ねむ。ねぶ。ごうかん。「合歓(ねむ)の花」は夏の季語。  《広辞苑・第七版》

 合歓木は、夕方になるとその葉が合わさり閉じることから、木が眠るように見えることから「ネムノキ」という名が付いたといわれています。あっという間に開けてしまった梅雨の後の暑い日の夕方、暑さのためにちょっと疲れた仕事帰りの私の目に、合歓の花が飛び込んできました。日が西に傾き、さしもの暑さも衰えてきた夕方に、紅を掃いた後の刷毛のような花が、合歓木の枝を飾っていました。合歓木の葉が広がる日中には、その葉に隠れてしまいがちな合歓の花ですが夕方になると葉が閉じて眠りにつくため、眠る葉の陰からその愛らしい姿を現します。合歓の花は、夕暮れ時に人目を避けるように姿を現すことから「薄暮花(はくぼばな)」とか「夢の花」という異称でよばれることもあります。夕方に葉は眠るというのに、花だけは夜なべでしょうか?中国の昔話によれば、この花を酒に少量入れて飲ませれば、機嫌の悪い人もたちまち上機嫌になるのだとか。「本当かな?」そんな考えがふと浮かんだ、昨日の夕暮れ時でした。(「2022/06/30 号 (No.5752)」の抜粋文)
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【ざくろ】(石榴・柘榴・若榴) [日刊☆こよみのページ]

【ざくろ】(石榴・柘榴・若榴)
 ザクロ科の落葉高木。ペルシア・インド原産で、栽培の歴史はきわめて古い。高さ5~10メートル。幹には瘤(こぶ)が多く枝に棘(とげ)がある。葉は細い楕円形で対生、つやがある。6月ごろ鮮紅色5弁の花を開き、果実は大きな球形。果皮は黄紅色で黒斑があり、秋に熟すると裂けて多数の種子を一部露出する。種皮は生食し、また果実酒を作る。樹皮は煎じて駆虫剤、材は硬く装飾用の柱などに使う。また、通常は結実しない観賞用のハナザクロがある。色玉。じゃくろ。秋の季語。「石榴の花」は夏の季語。本草和名「安石瘤・・・和名佐久呂」 《広辞苑・第六版》

 万緑叢中紅一点、一面の緑の中に紅い花が一輪だけ咲いている、王安石の詠柘榴詩の中の有名な一節です。詠柘榴詩というくらいですから、この紅い花は云うまでもなく石榴の花です。花の時期は広辞苑の説明のとおり 6月頃。梅雨の時期です。陰暦五月の異称に「榴月(りゅうげつ)」があるのは、石榴の花が咲く月だからでしょう。たこウィンナーの花石榴の花を私はこう呼びます。なぜ「たこウィンナーの花」なのかは石榴の花の姿、とくにその花の終わりの頃の姿を知っているかたには理解して頂けることと思います。先週末、近所のお宅の庭に咲く、紅いたこウィンナーの花を見つけました。一輪ではなく幾つも。梅雨の合間の蒸し暑い日に、紅いたこウィンナーの花だけは、元気はつらつといった感じに、鮮やかな紅色を見せてくれていました。石榴の花の別名は「つゆばな」。この季節が大好きな花なんでしょうね。(「2022/06/24 号 (No.5746)」の抜粋文)
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金銀花が黄金花(?)にかわる頃 [日刊☆こよみのページ]

■金銀花が黄金花(?)にかわる頃
 日当たりのよい場所の生け垣や、灌木に白と黄の花をつけた蔦が巻き付いているのを、近頃よく見かけます。白花も黄花も、どちらも一本の蔦から咲いています。白色と黄色と書きましたが、銀色と黄金色と見えなくもない(多少、無理がないこともないが)。そのためこの植物は「金銀花」という目出度い異名を頂いています。この植物の名前はスイカズラ(忍冬)。本日、6/22の誕生花になっています。二色の花を咲かせているのですが、最初からこういう色ではありません。花は咲いたばかりの時、その花色は白色(銀色)です。その花が受粉すると黄色(金色)に変わるそうです。銀から金へ。銀が金より劣っているとは言えませんが、やはり世間的価値観からすると

  銀 < 金

 ですね。そう考えると始めは銀で、やがて金に変わるスイカズラは出世魚ならぬ出世花かも知れませんね。このスイカズラ、花の季節は大体5~6月なので、6月も下旬の今の季節になると、金の含有量がぐっと増えて来て、今ならば金銀花じゃなくて黄金花かな? 夏至の頃は金銀花が黄金花に変わる時期みたいですね。(※「黄金花」というここでの呼び名は、私が勝手につけたものです。一般には通用しません。悪しからず)金銀花から黄金花に変わることは、スイカズラ自体からしても、それだけ受粉に成功した花が増えたということですから目出度いことだと云えますね。

◇「スイカズラ」は「吸いかずら」
 「スイカズラ」の名は、その花の蜜を吸ったことからついたものだと云われます。つまり「吸いかずら」というわけです。忍冬の香りは私にとっては懐かしい香りなのですが、私が「懐かしい」と感じるのは私も昔、この花の蜜を大分吸わせていただいたからです。田舎の子供で、野山を山猿よろしく遊び回っていた時代には、随分この花の蜜の恩恵に与ったものでした。あの山猿時代から随分月日が流れてしまいましたので、あれほどお世話になった忍冬の蜜の味をすっかり忘れてしまいました。どんな味だったかな?昔の山猿も今ではそれなりに齢を重ね、良識ある大人の振りをして暮らしていますから、人目のある中では忍冬の花に蜜を吸うという行為は自制しておりますが、人目が無い処でなら・・・。こっそりと昔懐かしい甘い香りのスイカズラの蜜を吸ってみようかな?

◇「スイカズラ」は「忍冬」
 スイカズラは漢字で書くと「忍冬」となります。スイカズラを「忍冬」と書くのは冬にも枯れることがない植物だからです。こんな丈夫な植物ですから、ちょっとした生け垣や灌木でもあれば元気に生きて、花を咲かせているのでしょう。人の手によって大事に植えられ、育てられるような忍冬ではありませんが、それでも機嫌良く、金銀の花を咲かせ、気前よく甘い香りと、時にはあまい蜜まで振る舞ってくれます。金銀花の異名を持つだけあって、気前のよい花、気前のよい植物ですね。(「2022/06/22 号 (No.5744)」の抜粋文)
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腐草蛍となる(2022) [日刊☆こよみのページ]

□腐草蛍となる(2022)
 立春の初候「東風凍を解く」から始まる七十二候の26番目は「腐草蛍となる」で、2022年は6/11~15がその期間にあたります。「腐草蛍となる」とは、まるで蛍は腐った草が変じて生まれるような感じ。アリストテレスの自然発生説みたいですね。夕方に、積み重なった腐草のある辺りから昨日まで見ることが無かった蛍が飛び交う姿を見れば、大昔の人達が「蛍は腐草が変じたもの」と素朴に思ったとしても、無理からぬところでしょう。

◇生物季節
 全国の気象台で、その地域に生育する幾つかの動植物の開花や紅葉、初見や初鳴きなどを「生物季節」と観測し記録していることは、この日刊☆こよみのページにも度々書いてきました(世話になっております)。「蛍の初見」もそうした生物季節の指標の一つとなっています。生物季節の指標は、桜の開花のようにほぼ全国共通の生き物を使う場合もあれば、そうでないも場合もあります。生き物のことですから、その生育する場所が異なるため、何もかも全国一律というわけにも行かないわけです。では蛍の初見はどうかというと、これはほぼ全国で共通に観測される項目となっていましたので、全国の蛍の初見日を集めれば桜の開花前線のような、「蛍前線」を日本地図の上に描くことが出来ます。

◇蛍の初見前線
 気象庁のサイトを探せばきっと「蛍の初見前線」的な地図が見つかるはずと思ったのですが、上手く見つけることが出来ませんでした。でも、やはり蛍の初見前線図はありました。見つけたWeb のページはこれ。

ホタル百科事典/ホタルに関する調査研究レポートhttp://www.tokyo-hotaru.com/jiten/report16.html

 ここに、期待したような地図がありました(1971~2000の図)。蛍の初見日の変化に見る温暖化の影響についての考察まであって、ためになるページでしたので、興味のある皆さんはご覧下さい。ちなみに蛍の初見日については温暖化の影響は見られないという結論でした。さて、このサイトの図を見ると見ると蛍の初見日の前線は5/20頃に九州地方に上陸し、順調に北上し、私の住んでいる辺りは6/10頃。東京を6/20頃に通過して7/20頃に終着地点の東北北部に到着するという具合のようです。また、同じサイトには気象庁の生物季節観測累年表(ホタル)の1953年~2007年のデータか71箇所を地方別に分類し、地方毎の蛍の初見日の変化をグラフにしたものが掲載されています。これを見ると長らく日本の「都」がありました近畿地方の蛍の初見は

  5/2頃~7/1頃
 
 最頻値は大体6/11頃にあるようですので、七十二候の「腐草蛍となる」はかなりいい線いっているようです。現在私は近畿地方に住んでいますから、そろそろ腐草が変じた蛍が飛び交い始めるころでしょうか?幸いにこの辺りは、蛍が住めそうなきれいな小川もあちこちに残っていますから、これからの季節、注意して眺めて見ようと思います。(「2022/06/12 号 (No.5734) 」の抜粋文)
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麦秋至る・雑感 [日刊☆こよみのページ]

□麦秋至る・雑感
 2022/5/31~6/5は七十二候の一つ「麦秋(ばくしゅう)至る」の時節。今日で最後という日にやっとこの「麦秋至る」にふれます(危ないところでした)。麦秋の頃とは陰暦の 4月頃、現在の 5月~ 6月となります。麦秋至るという言葉は「礼記」の「月令」に既に見えている言葉です。礼記は前漢の時代には既に作られていた書物ですから、この麦秋至るという言葉も少なくとも二千年以上も昔から、使われてきた言葉だと分かります。季語としては「夏」に分類される語です。日本でも立春から数えて 120日目辺り( 6/4頃)が麦刈りの目安だそうですから、麦秋至るは二千数百年の時を超えて、また中国と日本という地域の違いも超えて生き続ける息の長い言葉です。「秋」という言葉が入っていますが、秋は百穀物・百果実の実る季節です。麦秋の「秋」はこの「収穫の時」を意味する言葉として使われています。四季で言うところの季節では初夏ですが、この時期は麦の実る時期ですから収穫の時を表す秋という言葉と麦を組み合わせて「麦秋」と言い表したわけです。麦秋はまた「麦の秋(むぎのあき)」とも読みます。意味としては同じですが、「ばくしゅう」と読むと麦を収穫するのどかな風景を想像するのに対して、「むぎのあき」と読むと、なんだか物淋しい感じがします(私だけ?)。木々の葉が落ち冬に向かう季節という意味を「秋」に感じるためでしょうか。

◇麦の秋さびしき貌の狂女かな
 蕪村に

  麦の秋さびしき貌(かお)の狂女かな

 という句があります。麦秋至るの頃は普通の年であれば梅雨入りの少し前。麦を育てる農家にとっては梅雨に入る前に麦の刈り入れを済ませてしまいたいところでしょうから、この頃は大忙し。猫の手も借りたいくらい忙しく、からかう者もなくなく、誰からも相手にされない狂女の様子を詠んだものなのでしょうか。初夏の陽射しの下の一面の麦の実りの風景の中に立つ、寂しげな狂女の姿が浮かんできます。

◇今年は?
 先週の土曜日、出かけた先で麦畑を見ました。素人目にもそろそろ収穫の時期かなと思わせるほど、満ちた穂が風に揺らいでいました。ああ、本当に麦の秋なんだなと感じました。しかしそうした麦畑はめっきり減ってしまって、麦の秋を感じることが年々難しくなっています。いつか

  なぜこの時期に、「秋」なんだ?

 という不思議な思いだけが残る言葉になってしまうかも知れません。そうなってしまったら、それもなんだかこれも、淋しい話ですね。(「2022/06/05 号 (No.5727)」の抜粋文)
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