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【木枯し・凩】(こがらし) [日刊☆こよみのページ]

【木枯し・凩】(こがらし)
 (木を吹き枯らす意)
 1.秋から初冬にかけて吹く、強く冷たい風。
  気象用語では風速毎秒8メートル以上の北よりの風。冬の季語。
  源氏物語(帚木)「木枯らしに吹きあはすめる笛の音を」
 2.(女房詞)(一説に、その音からの称かとも)すりこぎ。
   《広辞苑・第七版》

 「凩」は風の略形と木とをあわせたもので日本製の漢字です。なかなかいい組み合わせで、分かりやすい文字です。「こがらし」と言う言葉自体、冬の初めのころに木に残った枯れ葉を吹き払う冷たい強風を表すにはピッタリの言葉。この言葉を耳にするだけで思わずコートの襟元を引き寄せてしまいそうです。気象の世界では、十月半ばから十一月半ばにかけて西高東低の冬型の気圧配置となって最初に吹く風速8m/s以上の西北西から北向きの風を「木枯らし一号」と呼ぶのだそうです。今年(2023年)には11/11に大阪で、11/13には東京で木枯らし一号が吹いたというニュースを耳にしました。木枯らし一号が吹いてもまだこの初冬の時期の冬型の気圧配置は長続きしないことが多くて、一日二日するとまた暖かい日がやって来ます。こんな暖かい日は小春日と呼ばれます。木枯らしの日と小春日が相互に繰り返されることに始まり、徐々に木枯らしの吹く日の比率が増えて、木枯らしが吹き払う木の葉が尽きてしまう頃にはいよいよ冬も本番をむかえているはずです。

                           (「2023/11/27 号 (No.6267)」の抜粋文)
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時雨虹(しぐれ にじ) [日刊☆こよみのページ]

□時雨虹(しぐれ にじ)
 北海道や東北地方からは雪の便りが聞こえてくる季節となりました。これからは、その知らせの場所が少しずつ南下してきて、日本列島全部が冬という季節に覆われることになるのでしょう。寒さは苦手な私ですが、寒さも季節の変化の一つ。寒さとも何とか折り合いつけて、季節の変化を楽しみたいと思います。さて、寒くなり雨が雪に変わってくる頃になると姿を消してしまうものがあります。本日は冬には姿を消してしまうものの一つ、虹についての話題を採り上げてみたいと思います。

◇七十二候「虹蔵不見」
 今日の暦にある七十二候の言葉を見ると「虹隠れて見えず」とあります。初冬の虹という話題として、まずはこの七十二候の言葉から始めてみることにいたします。「虹隠れて見えず」は中国から伝来したままの書き方では「虹蔵不見」。これを「虹蔵(かくれ)て見えず」と読みます。このままではやや読みにくいのでこよみのページではこれを「虹隠れて見えず」と書き表しています。さて、初冬のこの時期になぜ「虹隠れて見えず」とあるかと云うことですがそれは虹と雨は切っても切れない関係にあるからです。この記事の冒頭でも書いたとおり冬になると雨は雪へと姿を変えてしまいますから、虹もその姿を隠してしまうと云うことです。虹は、「虫偏」の文字であることからもわかるとおり、古代中国では生き物の一つ、竜の一種と考えられました。竜は水を操る神獣と考えられていましたから、その一種である虹にも水を操る力があると考えられました。虹の力を及ぼす水、それは雨。現代の私たちは、冬になって雨が降らなくなると虹が出ないと考えますが、古代の人たちは、冬は雨を呼ぶ竜、虹が姿を隠す時期だから雨が降らないと現代の私たちとは違った虹と雨の関係の捉え方をしていたようです。

◇時雨虹(しぐれ にじ)
 冬は雨が降らない季節とは書きましたが、初冬の日本ではまだまだ雨が降ります。この辺は七十二候や二十四節気が発明された中国の内陸部より日本の気温が高いという気象条件の違いのためです。初冬の日本に降る雨というと、思い出される言葉に「時雨(しぐれ)」があります。時雨は短時間にサッと降って雨が上がり、雨が上がったと思ったらまたサッと降り出す、そんな雨のです。虹は、雨がなければその姿を現しませんが、かといって雨だけがあれば姿を現すというものではありません。虹が姿を現すためには雨と太陽の光が必要だからです。雨と太陽の光という組み合わせが必要な虹にとっては、この降っては晴れ、晴れては降る時雨は、雨も太陽の光の両方が揃う姿を現すのに絶好の天気です。時雨雲が雨を降らせ、やがて頭上を去って代わりに青空が顔を覗かせると、頭上を去っていった雨に青空から覗いた太陽の光が当たって虹が生まれることがよくあります。こうした虹が「時雨虹」です。虹は太陽の光が斜めから差し込むほど、空の高いところまで広がった大きな姿となります。初冬の太陽は、夏と違って日中でも地平線からあまり高いところに昇りませんから、この時期に現れる時雨虹は大概がとても大きく見事な虹となります。実は、今年の「虹隠れて見えず」の期間に入る前日に、冬の見事な虹を見ることが出来ました。正午を少し過ぎたばかりの頃にその虹は見えましたので虹の高さは低めでしたが、その分くっきりとした虹でした。くっきりとした虹の外側には、かすかにでしたが、もう一つの虹も見えました。つがいの虹でした。冬の最中には姿を消してしまう虹ですが、初冬の時雨が止んで太陽が姿を覗かせたら、太陽の反対の方角に隠れてしまう前の虹の姿を探してみてください。

                          (「2023/11/26 号 (No.6266) 」の抜粋文)
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【団栗の背競べ】(どんぐりのせいくらべ) [日刊☆こよみのページ]

【団栗の背競べ】(どんぐりのせいくらべ)
 どれもこれも似たようなもので、大したものではないこと。また、大きなちがいはないこと。
   《広辞苑・第七版》

 「ドングリの木」という種類の木があると思っていました。その「ドングリ」という種類の木に生る実がドングリの実だと思っていたのです。「ドングリの木」と思っていた木がクヌギと呼ばれる木だと知ったときにもドングリはクヌギの異称くらいに思っていました。でもクヌギ以外の木、例えばカシやナラの木に生る実も、「ドングリ」だというのを知って、驚いたことを覚えています。私からすると、形は似ていても小振りのカシの木の実などはドングリの仲間には入らないと思っていたからです。そして知ったのが、ドングリ(団栗)はクヌギやカシやナラといった木に生る実の俗称だったということです。つまりドングリという種類の木があるわけではなかったのです。こんなあたりまえのことを知るまで、私は20年くらいかかってしまいました。昔から、ぼんやり暮らしていたんですね。

◇ドングリ独楽
 形状やその質感から考えると、私がドングリとは思わなかったカシの木の実も確かにドングリなのですが、どうしてもそう思えないのは形ではなくて大きさの違いによるものです。私にとっては、ドングリの価値はその大きさにあったから。子供の頃に学校の行き帰りに拾って帰るドングリは、大きくてずんぐりしたものが多かったように思います。理由は簡単。そうしたドングリがドングリ独楽にするのに適していたからです。大きなドングリを集めては、家に帰って錐でドングリに穴を開け、その穴に爪楊枝や竹ひごを刺して独楽にし、これを回して遊ぶのが好きでした。私にとってのドングリの価値が大きさにあり、ずんぐりしたものを好んだのも、少しでも長く回り続けるドングリ独楽を作ることが出来るものこそよい「ドングリ」だったからでしょう。ドングリの価値は、よいドングリ独楽が出来ることで決まるとすると、小さなカシの木のドングリはドングリじゃなかったわけです。

◇「同じようなもの」じゃないけど?
 よいドングリ独楽を作るために、いろいろなドングリを見比べていた子供の私には、「団栗の背競べ」という言葉の意味は分からなかったと思います。だって、ドングリの実はどれ一つとして同じではなく、同じ木の同じ枝に生ったドングリでさえ、一つ一つ違っていて、似てなんかいなかったから。千差万別といえるほど様々な形や大きさのあるドングリを「どれもこれも似たようなもの」だの、「大したことのないもの」だというのは、それをいうものに見る目の無いことを物語っているだけだと思います。いくつものドングリを並べて背競べをさせたら、「どれもこれも同じようなもの」なんて簡単にいうことができないことに気づくはずです。私達だって、多分団栗の背競べ。でも、人それぞれに違いがあって、それぞれに特徴があります。それに気が付くかどうかは、どれくらい真剣にそれを見ているかという見る側の問題なんです。そんなことを考えると「団栗の背競べ」にも違った意味があるような気がしてきました。そういえば、家の近くにカシの木が生えていました。子供の頃には小さすぎて独楽にするには今ひとつと、ドングリの数に入れなかったカシの木のドングリですが、今日は拾ってきて並べて眺めてみようかな? 独楽としての価値以外の尺度でもって見直したら、カシの木のドングリも立派なドングリの一つだと理解できるかも。

                          (「2023/11/24 号 (No.6264) 」の抜粋文)
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今年は不作、来年は豊作・振替休日の話 [日刊☆こよみのページ]

■今年は不作、来年は豊作・振替休日の話
 11月も中旬に入り、そろそろ来年の暦が気になる時期となりました。そして、来年のカレンダーを見てみると(こよみのページの、万年カレンダーもよろしくね http://koyomi8.com/sub/cal_year.html 宣伝終わり)、なんだかやたらと目につく振替休日の文字。数えてみると、この振替休日が5日もありました。日付順に並べてみると

   2/12 (月)
   5/06 (月)
   8/12 (月)
   9/23 (月)
  11/04 (月)

 ね、5日もあるでしょう(それぞれの振替休日が、どの祝日の振替休日か、判りますか? 頭の体操1?)。ちなみに、ここでは便宜的に「振替休日」と使っていますが、国民の祝日に関する法律(祝日法)には振替休日という言葉は出来てません。登場するのは「休日」のみ。祝日法3条に休日についての説明があります。次の文は、この条文を抜き出したものです。


  第三条(休日)
   1.「国民の祝日」は、休日とする。
   2.「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に
    最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。
   3.その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない
    日に限る。)は、休日とする。

 1項は単に国民の祝日は休日になるという話。
 2項が今回採り上げた降る換え休日に関する条文。
 ついでに書けば3項は一般に「国民の休日」(「国民の祝日」ではない)と呼ばれるものです。さて、振替休日に関わる2項の条文をお読みいただくと「なんだか回りくどい書き方」と思われた方がいらっしゃると思います。私もそう思った一人。でも理由があるのです。以前は、祝日と日曜日が重なった場合は、翌日が振替休日となるという単純な条文だったのですが

  5/3 憲法記念日
  5/4 みどりの日
  5/5 こどもの日

 と祝日が連続してしまうようになると、たとえば5/3が日曜日だったとするとその翌日が振替休日となっても、そこは元々みどりの日で祝日で休日だから振替休日がなくなってしまうと言うことが起こるようになりました。こうした場合の振替休日を無駄(?)にしないように、この回りくどい言い回しの条文に改正されました。5/3が日曜日だった場合の例で言えば、5/4,5は国民の祝日なので、この日はスキップして5/6(この例では水曜日となる)が振替休日となるようになりました(2007年に改正)。分かり難い条文ですが、振替休日が無駄にならずに済むのでいいかな?この条文のおかげで救われた振替休日の例としては、再来年の2025年の 5/6(火曜日)があります。ちなみに、今回採り上げた5/3,4,5という祝日の組み合わせ以外にも、時々祝日が連続することがあり、その周辺でもこの回りくどい条文のおかげで無駄にならずになる振替休日が登場することがあります。どんな場合にそんなことがあるかは、皆さんも考えてみてください(※頭の体操2?)。

◇今年は不作、来年は豊作
 ちなみに、今年(2023年)の振替休日は不作。たった1日しかありませんでした。あれ、ことし振替休日あった?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ありました。ただし、実感がないという方の気持ちもわかります。なぜなら今年の振替休日は1/2 (月)だったからです。正月三が日の間ですから、正月休みの間ですからね。あ、もちろんこの振替休日を生み出す元となった祝日は、一年で最初の祝日である「元日」です。2023年は振替休日が1日だけという不作の年ですが、それが更に正月休み期間にあったことでますます、不作感が募りました。ああ、大凶作の年だ。実は、今年だけでなくその前の2021,2022も振替休日不作の年でした。2021年は 8/9の1日だけ、2022年はなんと0日(本当凶作だ)だったのです。3年連続不作が続いたというのは辛いです。そろそろ豊作の年もという願いがかなってか、来年は冒頭に書いたとおり5日の振替休日。豊作です。来年のカレンダーを調達したら、まずは赤く塗られた休日の数を数えて暫しの間、幸福感に浸ろうではありませんか。

◇忘れないように「頭の体操」再掲
 1. 2/12、 5/06、 8/12、 9/23、11/04 はそれぞれどの祝日の振替?
 2. 5/3,4,5以外で祝日が連続する可能性があるのはどんなとき?

 ちなみに、年ごとの祝日、振替休日、国民休日を確かめたい方は

  日本の祝日・休日の日付一覧 http://koyomi8.com/sub/syukujitsu_table.html

 を使いください(おっと、宣伝だ)。

                          (「2023/11/12 号 (No.6252) 」の抜粋文)
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【山茶花】(さざんか) [日刊☆こよみのページ]

【山茶花】(さざんか)
 (字音サンサクヮの転)ツバキ科の常緑小高木。四国・九州から南西諸島の暖地に自生。高さ約3メートル。葉は厚い。秋冬、白花を開く。八重咲・一重咲、淡紅・濃紅など園芸品種が多く、庭園・生垣などに植栽。種子は大きく、油を採る。材は細工物にする。ヒメツバキ。漢名、茶梅。冬の季語。《広辞苑・第七版》

 山茶花は晩秋から初冬に咲き始める花です。この文字で「さざんか」と読むのはなかなか難しいですが、元はその文字のとおり「サンサクヮ」のように呼ばれていたものが変化して現在の読みになったようです。山茶花は椿とよく似ています。専門的に見ればいろいろと違いがあるのでしょうが、素人目にはなかなか解りません。それがはっきりするのは花が散るときでしょうか。椿は花が枝に付いたままの状態でぽとりと落ち、山茶花は花びらが一枚一枚分かれてはらはらと落ちます。山茶花の古名に「こかたし」というのがあるそうですが、この名前は「小さいかたし」の意味。して「かたし」は何かといえば椿を指す言葉だというので、昔の人も山茶花は小型の椿くらいに思っていたようです。さてこの山茶花ですが、この木は日本原産ということです。木そのものは日本原産ですが「山茶花」という言葉は中国から渡来した物。こうした場合、往々にして物と名前の取り違いが起こるのです。中国では「山茶」が椿の漢名だそうで、椿の花を「山茶花」と書いたそうです。山茶花の漢名はというと「茶梅」。なんだかややこしい。山茶花は冬の初めに咲く花ですが、この時期に咲き始めるもの。椿にもこの頃に咲くものがありますから、日本の山茶花と中国の山茶花(椿)との違いを、見比べて見ることが出来るでしょう。さて、日本の山茶花と中国の山茶花の違い、判りますかね?

                          (「2023/11/09 号 (No.6249) 」の抜粋文)
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