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【冬至から藺の節だけ伸びる】(とうじから いのふしだけ のびる) [日刊☆こよみのページ]

【冬至から藺の節だけ伸びる】(とうじから いのふしだけ のびる)
 (「藺の節」は、畳の目のこと)最も昼の長さの短い冬至(陽暦十二月二十二日ごろ)を過ぎると、畳の目ほど少しずつ日一日と日差しが長くなるということ。「冬至から藺の目の一節ずつ伸びる」「冬至から畳の目一つだけ長くなる」「冬至から畳の目ほど日が伸びる」ともいう。〔参考〕昼の長くなる進みぐあいは、一日あたり約二分である。(以下略) 《成語林・初版》

 冬至を過ぎて3日。そろそろ藺の節だけ日が伸びるのが見えるかな?目を窓の外に向けると空は雪雲。ただし雲に切れ間もあるので、冬の太陽が顔を出してくれるかも知れません。そしたら、「藺の節だけ」を確かめられませんね。おっと、昨日も一昨日も曇ってたから今日晴れても比較は難しいか。残念だけど現実の確認作業は諦めることにします(ズボラ・・・)。『成語林』の説明はこの通りなのですが、残念なのは〔参考〕の解説記事。冬至を過ぎると昼の長さは「ジリジリ」と伸び始めますが、その伸び方は、冬至直後では極々わずかで一日に十秒ほど。日に二分も変化するのは春分や秋分の頃の一番変化の激しい時期なんです。冬至を過ぎてまだ3日目では昼の長さは冬至の日と比べても40秒ほどしか伸びていません。冬至の前後の昼の長さの伸びは日に二分ではなくて、十秒くらいのゆっくりした動きです。(「成語林」は理科事典じゃないですから、あまり責めちゃいませんよ)一日二分という劇的な変化は有りませんが、これからはジリジリとジリジリと本当に「藺の節だけ伸びる」くらいのゆっくりしたペースで日が伸びて行きます。ゆっくりしたペースですけれど、日の長さを意識して眺めれば、案外「藺の節」ほどの緩やかな変化でもとらえることが出来るかも知れません。ゆっくりとゆっくりと、藺の節ほどのスピードで季節は動いて行くことを確かめてみたい気がします。早く暖かくなって欲しいですからね。

                          (「2022/12/25 号 (No.5930)」の抜粋文)
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柚湯と冬至南瓜 [日刊☆こよみのページ]

□柚湯と冬至南瓜
 明後日は冬至。今年ももう、そんな時期になってしまいました。冬至はクリスマス行事に隠れてしまってちょっと影が薄らいでしまっていますが、暦の上では大事な基点。この日を境として新しい四季の巡りが始まる日ですから、冬至にまつわる行事も多く残ります。本日は、明後日に迫った冬至にまつわる行事の中でも広く行われている柚湯と冬至南瓜(かぼちゃ)の話をしてみましょう。

◇柚湯(ゆずゆ)
 冬至の日に柚を浮かべた風呂に入ると、一冬風邪をひくことが無いという言い伝えがあります。柚はそのまま丸ごとのものをいくつか湯に浮かべるという所もありますし、半分に切って布製の袋に入れて湯につける所もあります。我が家では布製の袋(現在はお手軽に洗濯用ネット)に1/2に切った柚を数個入れて湯に浮かべています。湯に漬かった柚からは、精油成分が溶け出してこれの入ったお風呂に入ると、からだがぽかぽかと暖まります(最初は、ちょっとチクチクした感じがします)。柚湯には血行促進の効果があり、冷え性、腰痛、神経痛の緩和に効果があるとか。冬至は、太陽の南中高度が最も低くなる日(北半球では)で暦の上では冬の極みなのですが、気候的に考えるとこの日を境に寒さが募る日でもありますから、これからの寒い日々に風邪などひかず元気に過ごせるようにと言う呪いの意味があります。また、「ユズ」は「融通」に通じて、お金の周りが良くなりますようにと言う願いも込められているとか。柚の数を増やせば増やすほど金回りが・・・なんてことまでは言いませんけれど。柚湯は季節の変わり目に健康に注意しようと言う考えと、季節の節目に行う禊ぎの風習が結びついた行事では無いかと考えられています。禊ぎと言えば「水」でしょうけれど、冬のこの時期に「水」というのは、何かの修行をしている方以外には辛すぎますから、柚湯でよかったですね。

◇冬至南瓜(とうじかぼちゃ)
 冬至には南瓜を食べる風習があって、これを冬至南瓜と言います。冬至には他にも、冬至粥(とうじがゆ)といって、小豆の入ったお粥をたべるという地方もあります。冬至南瓜や、冬至粥は春を呼び戻す神を祀って、この神に供えた食べ物を一緒に食べるという祭事がその元にあると考えられます。春を呼び戻すと言うことは、太陽の力を再び呼び戻すと言うことで、太陽の力の戻ってくる「南」から伝来した珍しい南瓜という夏野菜(南瓜は、外来の野菜。日本には、「カンボジア」経由で伝えられたところから「カボチャ」と呼ばれるようになったそうです)南瓜は、太陽の力の復活を願う行事の供え物としては最適だったのでしょう。名前だって「南の瓜」。本当にピッタリですね。南瓜は食べ物としてだけ見ても栄養価が高く、また夏野菜であるにもかかわらず、長く保存出来るものですから、野菜の少ない冬の時期には貴重な栄養源にもなります。冬至の日に南瓜を食べると、中風にならず、風邪もひかないと言う言い伝えが各地に残りますが、単なる呪いだけでない栄養学的な理由もあると言うところでしょうか。さて冬至の日の皆さんの食卓に冬至南瓜が並ぶでしょうか?そしてお風呂には柚が浮かびますか? おっと、うっかりしていたな なんてことの無いように、南瓜と柚の調達をお忘れなく(←自分に言い聞かせている?)。寒さが厳しくなり、本格的な冬を迎えるこの時期、南瓜で栄養をつけ、柚湯で体を温めて、寒い季節を乗り切りましょう!

※参考 冬至のはなし (Web こよみのページ) http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0748.htm

                          (「2022/12/20 号 (No.5925)」の抜粋文)
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【木守り】(きまもり) [日刊☆こよみのページ]

【木守り】(きまもり)
 1.来年もよく実るようにというまじないで、木に取り残しておく果実。きまぶり。木まぶい。
  狂言、合柿(あわせがき)「返せ合わせ柿と、言えども言えども、取り残さるる木守りの」
 2.(比喩的に)最後に残ったもの。  《広辞苑・第七版》

 実がもがれた後の柿や蜜柑の木に、ポツンと一つだけ取り残されたように残る実があります。初冬の時期に葉が落ちて裸木に近くなってしまった柿の木の高い梢にたった一つ、自分が柿の木であることを主張するようにたった一つ熟した柿が残る風景を見たことはありませんか?果実の木の実を全て取りつくしてしまわずに、こうして一つだけのこす風習は昔からあって、最後に残した実のことを木守りと呼びます。来年もまた沢山の実をつけてくれるようにと言う願いを込めた行為だといいます。

◇木守りは「木名乗り」か「木名残り」か?
 木守りの語源として考えられるものに木名乗りと木名残りがあります。木名乗りは、葉が落ち切って裸木になるとその木が何の木なのかよく判らなくなってしまいますが、こうして一つだけでも実を残しておけば、この木が何の木なのかすぐにわかります。それはまるで木が 我こそは柿の木なり と声高々に名乗りを上げているようだと言うものです。これに対して木名残りは、実を実らせる季節が過ぎてもその季節の名残を最後に残した実に留めると言う意味のようです。見上げた木に一つだけ残った実は、高い梢にあったために取り残されただけのものなのか、木守りの風習を知る人が残したものか、残った実を見ただけでは判りませんが、偶然にせよなんにせよ、その一つの実に木の名乗りの声を聞き、去っていった季節の名残を感じる楽しみは味わえます。(「2022/12/15 号 (No.5920) 」の抜粋文)
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【玄冬】(げんとう) [日刊☆こよみのページ]

【玄冬】(げんとう)
 (古くはケントウ。「玄」は黒、五行説では冬にあてる)冬の異称。冬の季語。
 平家物語灌頂「玄冬素雪のさむき夜は褄を重ねて」 《広辞苑・第六版》

 広辞苑の説明にあるとおり、「玄」は黒を現す文字です。五行説では四季にはそれぞれ次のように色が配されています。

  春は青 (青春)
  夏は赤 (朱夏)
  秋は白 (白秋)
  冬は黒 (玄冬)

 ()内は、この色と組み合わせて季節を表現した呼び名です。ちなみに五行なのでもう一色(黄)あるはずですが、こちらは四季に当てはめることが出来ないので、四季それぞれのお終いにある土用の期間にこの色が割り当てられることになっています。五行説の「玄」は、方位では北を表します。北の方角には玄武という胴体は亀で頭と尻尾は蛇の姿をした神獣がいて、この方向を守護していると考えられています。冬はこの北の玄武の気が強い季節ですから、北から寒気が押し寄せて寒い季節となると考えたのでしょう。ただ、玄武の気が強い季節はただ寒いだけの季節ではありません。新たな四季の巡りの準備をする季節でもあります。方向では北を季節では冬を司る神獣玄武はまた、水を司る神でもあります。水はすべての生き物が生きて行くために無くてはならないものです。冬の草木は地上では枯れはてて、まるで死んでしまったようですが地中ではこの水の気の力を吸収し、冬に続く季節、春には新しい緑の葉を延ばして行くと考えられます。寒く辛い季節と思われがちな冬ですが、目に見えないところで無くてはならない重要な季節です。目に見えないところで重要な働きをするとは、さすが「玄人」の玄の文字を冠した季節ですね。

                          (「2022/12/11 号 (No.5916) 」の抜粋文)

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楓(かえで)の落葉日 [日刊☆こよみのページ]

■楓(かえで)の落葉日
 10月、11月と晴れた休日は近隣の山歩きをしていましたが、11月にもなると山の落葉樹の葉っぱはあらかた無くなって、山肌を落ち葉で厚く被うようになっていました。あの大量の落ち葉も、あと少しすると雪に覆われてしまうのでしょうね。そんなことを思っているうちに、家の周囲の木々の葉も大分少なくなっていました。いつも車を止めている駐車場の角に生えている楓の紅い葉も淋しくなってきています。

◇落葉日
 家の近所の楓の葉の残りの数を気にしながら、気象庁の生物気象の項目を眺めていると「カエデの落葉日」という、ずばりの季節の指標があることを発見しました。『対象とする落葉樹の葉の約80%が落葉した最初の日を、その落葉樹の落葉日とします。 強風により強制的に落葉した場合も上に述べた方法で観測した日をもって落葉日としています。』というのが、気象庁の落葉の定義。ではこの「約80%が落葉した」という判定はどのように為されるのかと思ったら、これは観測員の目視によるのだそうです。確かに、葉っぱの数を数えるなんてわけにはいかないでしょうからね。こうして得られた全国の主な地点でのカエデの落葉日(平均値)は

 ・旭川 11/02, 札幌 11/05
 ・青森 11/23, 盛岡 11/25, 仙台 12/06
 ・新潟 11/30, 長野 11/29, 金沢 12/04, 鳥取 12/11
 ・宇都宮 12/03, 東京 12/13, 横浜 12/27, 静岡 12/21
 ・名古屋 12/11, 岐阜 12/11
 ・京都 12/18, 大阪 12/13, 和歌山 12/17, 岡山 12/11
 ・松山 12/24, 高松 12/04, 高知 12/11
 ・福岡 12/14, 長崎 12/21, 熊本 12/15, 鹿児島 12/24

 といった具合です。九州より南では、カエデが育たないのかデータの記載がありませんでした。その他の地点については、かわうそが勝手に目についたところを拾い上げましたので、アンバランスな点などはご容赦願います。舞鶴についても観測データがありませんでしたので比較的条件の近そうな金沢と鳥取辺りの日付を見ると、この辺りの落葉日は12月上旬ということ。そろそろということになりそうです。一夏の間、沢山の光合成を行って木に栄養を送ってきた葉っぱも、冬の間はその役目を終えて、木の根もとで一休み。木の根もとに積もった落ち葉を見たら「お疲れ様」と、一声かけてあげましょう。

                          (「2022/12/05 号 (No.5910)」の抜粋文)
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