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霜止み苗出ず [日刊☆こよみのページ]

□霜止み苗出ず
 本日、2024/04/25は七十二候の一つ、二十四節気「穀雨」の次候、「霜止み苗出づ」という日に当たります。霜が降ることを心配した日々もそろそろ終わりの頃と云うことです。

◇霜とは
 霜は寒い冬の朝に空気中の水蒸気が、地面や地面に近い場所にある物の表面で凍り付いたものです。
 気温が摂氏 2℃程度まで下がると、霜となるといわれています。霜は氷の一種ですから、凍るのは摂氏 0℃のはず。なぜ摂氏 2℃の気温で霜となるのか不思議ですが、これは気温を測る場所が地表から1.5mの高さであるからです。こんな寒い日は地面に近いほど気温が低くなり、気温を測る地表から1.5mでは 2℃でも地面付近では 0℃まで下がることがあるからです。


◇遅霜
 さて、こんな寒い冬特有と思われる霜ですが、意外と遅い時期まで降ることがあります。こうした遅霜は農作物に被害をもたらすものであることから、農家の方々には気になるところでしょう。理科年表の遅霜の記録から各地の遅霜の時期を調べてみると次のようになります。

  鹿児島 3/11 (4/22)
  京都  4/09 (5/19)
  東京  3/13 (5/16)
  仙台  4/18 (5/20)
  札幌  4/25 (6/28)

 最初に書いた日付が、遅霜の年平均月日。()内の月日は、観測記録に残るもっとも遅い日付です。こうしてみると、4/25という日付は記録的な遅霜の日付よりは早い(鹿児島以外)のですが、平均的な遅霜の日付よりは遅い(札幌以外)日付ですので数年に一度といったレベルで考えるとこの辺りまでは注意が必要だったわけです。霜が降りやすいのは放射冷却効果が大きいよく晴れた夜。霜に弱い作物を育てている農家の方達にとって、霜が気にかかる日々もそろそろ終わりとなる時期がこの「霜止み苗出づ」の頃ということのようです。ちなみに、霜は冷えた地表に上空から水蒸気がやって来て初めて出来る現象ですから、屋根があったり、何か覆いがある部分には霜が見られません。「霜が降る」という表現が生まれた理由です。

                          (「2024/04/25 号 (No.6417) 」の抜粋文)
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花水木の100年 [日刊☆こよみのページ]

□花水木の100年
 週末は用事で東京におりました。流石に4月も下旬ですので東京も暖かく、桜の花はほとんど残っておらず、ほとんどの桜は葉桜と化しておりました。そんな葉桜の目立つ東京で、桜花に替わって目に付いたのが花水木(はなみずき)の花。沢山の花をつけた花水木の木は、遠くから見るとまるで雪を頂いたように見えていました。花水木の花は桜の散った後の晩春の日本を彩る花の一つ。花の一つ一つは桜の花よりずっと大きく、四枚の花弁(正しくは花弁ではなくて苞葉(ほうよう)と呼ばれる)をもっています。花色は、白色または薄紅色。一昔(二昔?)前に流行った一青窈の「ハナミズキ」の歌詞では「薄紅色」となっている花水木の花の色ですが、今回私が眺めていたのは薄紅色ではなく白い花の花水木の花でした。青い空を背景として咲く花水木の花を見上げるようになると、季節は春から夏へと替わってゆくように感じます。今ではすっかり日本に溶け込んでいる花水木ですが、実はこの花はアメリカ生まれ。「アメリカヤマボウシ」という名前も持つ北米原産の植物です。この、アメリカヤマボウシが日本にやってきたのは1915年、大正 4年のことでした。この花は、日米親善の記念として東京市(当時。市長は尾崎行雄)から贈られ、今では米国の首都、ワシントンD.C.の「ポトマック河畔の桜」として知られるようになった桜の苗木の返礼として、米国から日本に届けられたものです。これだけだとよい話ですけれど、この時日本に贈られた花水木の原木は、そのほとんどが太平洋戦争中に伐採されてしまい、ほとんど残っていないとのこと。親善有効の証として贈られた花水木も、それから30年もしないうちに随分と酷い扱いを受けることになってしまいました。とは言いながら、最初に届けられた木々が切り倒される頃には、花水木はもう日本各地に拡がっていて、今も春の終わりの頃となれば白や薄紅色の花を咲かせています。こうして見ると、日本の晩春を彩る花水木の花ですが、その渡来は1915年ですから、日本での歴史はわずか100年とちょっとということに気づきます。今は日本の風景にすっかり溶け込んでいる花水木の花が100年とちょっと前まで日本にはなかったなんて、何か不思議な気がします。たった百年かと思ってしまいますが、その100年の間に、花水木が見てきた日本や、日本人はどんなふうに変ってきたのでしょうか?花水木に尋ねても、答えてはくれないでしょうね。

                           「2024/04/22 号 (No.6414) 」の抜粋文)
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葭始めて生づ [日刊☆こよみのページ]

□葭始めて生づ
 七十二候の一つ、二十四節気「穀雨」の初候は

  葭始めて生づ (あし はじめてしょうづ)

 です。今年(2024)は4/19 ~ 4/24がこの候の期間です。葭は、葦とも蘆とも書く水辺の多年草です。
 辞書の説明を借りれば、

【葦・蘆・葭】(あし)
 イネ科の多年草。各地の水辺に自生。世界で最も分布の広い植物の一。地中に扁平な長い根茎を走らせ大群落を作る。高さ約 2メートル。茎に節を具え葉は笹の葉形。秋、多数の細かい帯紫色の小花から成る穂を出す。茎で簾(すだれ)を作る。よし。菟玖波集「難波(なにわ)の葦は伊勢の浜荻」《広辞苑・第五版》

 さらに漢和辞典を引くと「葭」という文字の意味は、穂の出ていない葦とか。春になり、雪解けの水で水量が増え、水をかぶる川岸には、鋭い円錐形の葦の芽が川岸を覆った水面から顔をのぞかせます。葦の芽ですから、当然まだ穂は出ていませんので、漢和辞典の説明通りであれば、「葭」というべきでしょうか。この水面から顔を出した葦の若芽は、葦牙(あしかび)とも呼ばれます。その鋭い円錐形の姿を牙と見立てた言葉で春の季語ともなっています。また牙でなく、「角(つの)」と見て、葦角(あしづの)とも呼ばれます。冷たい水を葦の牙が切り裂いた後には、新しい季節が訪れるのでしょうか。

◇「あし」と「よし」
 ちなみに、【葦・蘆・葭】は「あし」と読む一方で「よし」とも呼びます。これは、

   あし = 悪し

 に通じるとして、この悪い連想を忌んで「よし = 善し」と言い換えるようになったものだと言われます。同じ感じで、正反対の意味の読みとは紛らわしい。縁起担ぎの言い換えも

   よしあし (善し悪し ? 葦葦)

 といったところでしょうか?何はともあれ、川岸に葭が生じ成長を始めるころには、川の水も温む季節となります。

                          (「2024/04/21 号 (No.6413) 」の抜粋文)
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【二季草】(ふたき ぐさ) [日刊☆こよみのページ]

【二季草】(ふたき ぐさ)
 藤の異称。蔵玉集「ときはなる花とも見ばや二季草松にのみただかかる名なれば」 ≪広辞苑・第六版≫

 昨日は7時間以上も車の運転をしました。疲れました。そんな長時間の運転の間、私を慰めてくれたのが山々の緑と、そんな山々の緑の中に点々と見える春の花々の色。その中でも特に目立ったのが、長い花房を風に揺らせた藤でした。藤は有用な植物として古くから、藤の蔓や皮は丈夫な綱としたり、繊維をとりだして荒栲(あらたえ。「荒妙」とも書く)と呼ばれる目の粗い織物の材料として使われていました。また、その長く垂れ下がった花房の形は実った稲穂を連想させるということから豊作を約束する目出度い花とされ、日本人にとって藤はなじみの深い植物、そしてなじみの深い花なのです。

◇春と夏、二つの季節の間に咲く花
 藤は春と夏の二つの季節の間に咲く花であることから「二季草」とも呼ばれるようになったそうです。『明治の作家斎藤緑雨が「青皇の春と、赤帝の夏と、行会の天(ゆきあいのそら)に咲くものなれば、藤は雲の紫なり」と書いている。』お天気博士として知られる倉嶋厚さんの「季節の366日話題事典」という本にこの一文を見つけました。「青皇の春と赤帝の夏」とは、五行説による季節の色(春:青、夏:赤、秋:白、冬:黒)を踏まえた言葉です。青色の春と赤色の夏の行合う空に咲く藤の花は、春の色と夏の色が混ざり合った紫いろなのだとは、面白い説明です。

◇藤の花の開花時期
 四月の終わりごろになると、長い藤の花房に花が開きだします。五月の上旬には立夏を迎え、暦の上では季節は夏となりますから、四月の終わりは、春と夏の交代する時節ということができます。なるほど、二季に咲く花です。全国の気象台が毎春、桜の開花時期を発表していることは皆さん、よくご存じのことでしょう。気象庁ではこうした生物季節の観測を行っており、いくつかの植物については、地域ごとにその開花時期をまとめています。藤もそうした植物の一つ(藤の場合は、日本各地に普通に見られる「ノダフジ」についてまとめられています)。前出の倉嶋さんの著作には、気象庁の生物資料によるノダフジの開花平均日も載っていました。それをそのまま使わせて頂くと、
 
  宮崎 4/09、 京都 4/23、 東京 4/23、 長野 5/04、  盛岡 5/22、 青森 5/22、 函館 5/30

 のようになります。藤の花が咲きだせば、野山の上でも季節は春から夏に変わってゆきます。皆さんのお住まいの地域では、藤の花はもう咲きましたか?

                          (「2024/04/20 号 (No.6412)」の抜粋文)
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二十四節気「穀雨」 [日刊☆こよみのページ]

□二十四節気「穀雨」
 今日は二十四節気の穀雨の期間の始まりの日です。穀雨のような二十四節気の言葉は、一年を24の期間に分けたときのその期間(大体15日程度)を表す言葉でもあり、またその期間の始まりの日を表す言葉でもあります。ですから「今日は二十四節気の穀雨です」といった使い方をすることも出来ます(というか今ではこちらの方が主な使い方となっているようです)。さてその穀雨は三月中気と呼ばれるものです。旧暦ではこれを含む月が三月となります。

◇「穀雨」
 なぜこの時期が穀雨と呼ばれるかというと
 
  春雨降りて百穀を生化すれば也

 とか。つまり、田畑の穀物を育てる春の柔らかな雨が降る頃だからという意味です。二十四節気の中には解説が無いと意味の分からない言葉も有るのですが、「穀雨」はそうしたものと違って、その文字を目にするだけでおよその意味が分かる、分かりやすい名前です。現在の二十四節気の決定方法では穀雨の節入り日は、天体の位置を表す座標の一つ、黄道座標という座標系の経度方向の角度(これを黄経といいます)が30°という地点を太陽中心が通過する瞬間を含む日と定められており、今日がその日となっています。さてさて、田畑の穀物を育てる春の柔らかな雨が降る頃という穀雨の期間が始まる日に、穀雨の期間の天気予報を眺めてみると、どうやらその前半は穀雨の名前が示すとおり、雨の降る日が多いようです。雨の日は何か憂鬱・・・なんて言わないでくださいね、鬱陶しく感じる雨もこの時期のものは、田畑の穀物を育てる優しい「恵みの雨」なんですから。

                          (「2024/04/19 号 (No.6411) 」の抜粋文)
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【蒲公英】(たんぽぽ) [日刊☆こよみのページ]

【蒲公英】(たんぽぽ)
 キク科タンポポ属の多年草の総称。全世界に広く分布。日本にはカンサイタンポポ・エゾタンポポ・シロバナタンポポ、また帰化植物のセイヨウタンポポなど10種以上あり、普通にはカントウタンポポをいう。根はゴボウ状。葉は土際に根生葉を作り、倒披針形で縁は羽裂。春、花茎を出し、舌状花だけから成る黄色の頭状花をつける。痩果は褐色で、冠毛は白色、風によって四散する。若葉は食用、帯根全体を乾燥したものが漢方生薬の蒲公英(ほこうえい)で健胃・催乳剤。たな。春の季語。文明本節用集「蒲公草、タンホホ」 《広辞苑・第六版》

 小さな子供に春の花の絵を描かせたとき、描かれる花の双璧はチューリップとタンポポではないでしょうか。小さな子供と言わず、大人でも同じかもしれませんね。それだけ、二つが親しまれてきた花だということは間違いないでしょう。双璧を為すチューリップとタンポポですが、それを見かける場所は大分違います。チューリップの咲く場所といえば花壇や植木鉢。或いは、その球根を得るために栽培されたチューリップ畑といった人の手の入ったところ。一方のタンポポは道ばたや野原といった人の手の入らない場所。花壇でチューリップとタンポポが同居している場合もありますが、この場合でも両者には、チューリップは人が植えたものでタンポポは勝手に生えてきたものといった出自(?)の違いがあります。タンポポをわざわざ花壇に植える人は、そう多くないでしょうから。タンポポはやはり生命力旺盛な野生の花なのです。

◇タンポポ戦争
 春になれば何処ででもよく見かけるタンポポですが、全部同じタンポポというわけではありません。異なる種類のタンポポの間では、タンポポ同士の熾烈な生存競争が行われています。こうした戦いは昔から行われていたのでしょうが、そうした戦いの結果

  関西地方に多いシロバナタンポポ
  中部・関東地方に多いカントウタンポポ
  関東以北に多いエゾタンポポ

 といった形で棲み分けが進み、日本国内ではそれぞれの種類のタンポポの間に、一定の平和が出現していました。ところがこの平和を破る事件がが起こりました。明治のはじめに西洋から海を渡ってやって来たヨーロッパ原産の西洋タンポポの出現がそれです。それまで日本国内で一定の棲み分けを行い、均衡を保っていた、タンポポの世界に在来種と渡来種との戦いという新たな「タンポポ戦争」が始まってしまったのです。新参の西洋タンポポとの間で、再びタンポポ戦争が始まりました。このタンポポ界の覇権をめぐる熾烈な戦いは、今のところは生命力に勝る新参の西洋タンポポが優勢(圧倒的?)で、在来のタンポポたちは苦戦を強いられているようです。春の日差しを浴びて咲いて長閑に花を咲かせているだけのように見えるタンポポたちも、この熾烈な戦いの中で生き抜いている勇者なのですね。この春、道ばたで見かけるタンポポがどちらの軍勢のタンポポか?春の散歩の際には植物図鑑片手に、それぞれの住む場所でのタンポポ戦争の成り行きを調べてみるのもおもしろいかもしれませんね。いかがですか、読者の皆様方?

                           (「2024/04/18 号 (No.6410)」の抜粋文)
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【桃】(もも) [日刊☆こよみのページ]

【桃】(もも)
 1.バラ科の落葉小高木。中国原産。葉は披針形。4月頃、淡紅または白色の五弁花を開く。
  果実は大形球形で美味。古くから日本に栽培、邪気を払う力があるとされた。
  白桃・水蜜桃のほかに、皮に毛のないツバイモモ(アブラモモ)、果肉が黄色の黄桃
 (おうとう)、扁平な蟠桃(はんとう)、観賞用の花モモなど品種が多い。仁・葉は薬用。
  「桃の花」は春の季語、「桃の実」は秋の季語。
   万葉集19「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ」
 2.木綿きわたの実。
 3.襲(かさね)の色目。表は紅、裏は紅梅。また、表は白、裏は紅。
  一説に、表は薄紅、中陪なかべは白、裏は萌葱もえぎ。3月頃用いる。
 4.紋所の名。桃の実や花をかたどったもの。
   《広辞苑・第六版》

 本日は旧暦三月三日、桃の節供と呼ばれる日。旧暦の桃の節供の日にかけて、「桃」を採り上げてみることにしました。暦の上に登場する「桃」というと七十二候の八番目、啓蟄の次候は「桃始めて咲く」があります。時期としては、3/10頃です。今は4月も半ばに近い時期ですが、まだ寝ぼすけの桃の花をちらほら見かけることがあるので、桃の花が完全に時季外れではありません。桃の花は、梅、桜と並び春を代表する花。私の中では梅が咲いて桜が咲いて、日差しも和らいだ頃に咲くのが桃の花というイメージがあります。そのイメージからすると4月頃の方が桃の花の季節という気もします。いかがでしょう?中国では桃には邪気を祓う霊力のあると信じられていました。上巳の節供に桃の花を飾り桃酒を飲むのもそうした桃の霊力によって、邪気を遠ざけるためなのです。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉平坂(よもつひらさか)で追ってくる黄泉の国の鬼女を追い払うために桃の実を投げつけたというのも、桃には霊力があると考えていた証なのでしょう。桃の花が咲けば「邪」と寒さが遠ざかり、幸いと陽のぬくもりを呼び寄せてくれることでしょう。


                          (「2024/04/11 号 (No.6403) 」の抜粋文)
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