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【時雨】(しぐれ) [日刊☆こよみのページ]

【時雨】(しぐれ)
 (「過ぐる」から出た語で、通り雨の意)
 1.秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨。冬の季語。
  万葉集8「時待ちてふりし時雨の雨止みぬ」
 2.比喩的に、涙を流すこと。「袖の時雨」
 3.一しきり続くもののたとえ。「蝉時雨」
 4.小督局(こごうのつぼね)の用いた琴の名。
 5.本阿弥光悦作の名物茶碗の名。
 6.時雨羹(しぐれかん)の略。
 7.時雨饅頭(しぐれまんじゅう)の略。
  《広辞苑・第七版》

 今年も「小雨時々降る」の季節となりました。ここで言う小雨とは「時雨」と呼ばれる雨です。時雨は晩秋から初冬にかけて晴れた空が急に雲が広がり、降りだす雨です。急に降り出したかと思うと急に止むのもこの雨の特徴。降っては止み、止んではまた降る雨脚の軽い通り雨です。雲の動きにあわせて行き過ぎる雨は、秋から冬へと変わって行く季節の姿のようです。晩秋から初冬に降る雨ですから、時雨は冷たい雨。気温が更に下がって行くと時雨はやがて霙(みぞれ)となり、更に寒さがつのれば、雪へと変わって行きます。時雨が去った後に残された濡れた枯れ草の色は、彩り豊かな秋を締めくくる色なのかもしれません。

                          (「2022/10/28 号 (No.5872)」の抜粋文)
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霜の季節・2022 [日刊☆こよみのページ]

■霜の季節・2022
 本日、10/23は二十四節気の霜降の節入りの日でした。暦の上でのこととはいえ、いよいよ「霜が降る」季節となって参りました。朝夕は「寒い」と感じますが、それもそのはずということですね。

◇初霜
 朝夕は寒くなってきたとはいえ、現在私の住んでいる場所(舞鶴市)では、10/23ではまだ霜が降りるには早すぎる気がします、南北に長く延びた日本ですから、ところによっては暦どおりに「霜降」の季節を迎えていることでしょう。ちなみに日本の北の方ということで、北海道と東北地方の道県庁所在地の初霜の1991~2020年の30年平均を調べて見ると札幌市と盛岡市が、ほぼこの時期に初霜の日を迎えていました。下記は今回調べた7道県庁所在地の初霜の日付です。

  北海道札幌市 10/25
  青森県青森市 11/01
  岩手県盛岡市 10/26
  秋田県秋田市 11/16
  宮城県仙台市 11/14
  山形県山形市 11/04
  福島県福島市 11/12

◇霜は降る?
 話の切っ掛けになったのは二十四節気の「霜降」。霜降はそれこそ「霜降る」とありますが、本当に霜は降ってくるものなのでしょうか?霜が降りるのは、前の晩からよく晴れていて風の弱い日の朝です。こうした日の朝に草の葉などに降りた霜を見ると霜が空から降ってきたもののように思えます。ですが実は霜は地上に近いところから先に「降りる」のでした。地面から始まるなら降りるのではなくて、昇るものなの?夜、晴れていると放射冷却によって地面は冷やされ、気温(地上から1.5mの部分で計った温度)が 2℃ほどまで下がると、より温度の低い地面に近い部分では、温度が氷点を割り込み、空気中の水蒸気が凍結します。水蒸気が凍結してしまうと、この小さな氷の粒はゆっくりと降下して、地面や草の葉に降りて、霜となります。なるほど、小さな世界で見れば、霜はやはり「降る」もののようです。だから、屋根のあるような場所には霜はないのですね。北海道や東北の一部をのぞけばまだ「霜が降る」時期はもう少し先となりそうですが、霜は降るものなんていう今日の話を、草の葉に降りた霜を見ながら思い出す朝も、そう先のことではなさそうです。霜の降りた風景は美しいものですが、あまり早すぎて農作物に被害を与えてしまうのは困りもの。出来れば今年も程々の時期になってから、霜には降りてきて欲しいものです。霜の降りた景色を楽しむことは、そんなに急がなくてもいいですよね。

                          (「2022/10/23 号 (No.5867)」の抜粋文)
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【葛の裏風】(くずの うらかぜ) [日刊☆こよみのページ]

【葛の裏風】(くずの うらかぜ)
 クズの白い葉裏を返して吹く風。赤染衛門集「かへりもぞする葛のうら風」 《広辞苑・第七版》

 葛はその根から葛湯や葛餅の元になるデンプンが得られること、蔓からは繊維を取り出して布を織ることが出来ることなどから、古くから人の生活に密着した植物でした。太陽の光をことのほか好むこの植物は、陽の当たる山の縁辺部や、街中では線路脇の砕石の間などに広く生える姿を目にします。葛といえば、夏から秋にかけて紫色のきれいな花をつけますが、この花はきれいな割にあまり注目されることはないようです。あまり注目されない理由は、その花を隠してしまうほど大きな、そして多くの葉っぱが葛の全体を覆っているからでしょうか。葛の裏風とは、この大きな葛の葉を裏返すように吹く風のことです。葛の葉は表面が緑色で裏側が白っぽい色をしているので、葉が裏返るとそこだけ色が違って目立ちます。風が吹きすぎれば、土手を覆い尽くす緑の葛の葉の海を白波渡ってゆきます。

◇葛の葉
 「葛の葉」は安倍晴明を産んだ女性の名前とされます。この女性は清明の父、安倍保名に助けられた白狐が美女に化けたときに名乗った名前で、保名の妻となり清明を産むことになりますが、ある日その正体知られ

  恋しくば尋ね来て見よ和泉(いずみ)なる 信太(しのだ)の森の恨み葛の葉

 の歌を残して、古巣である信太の森に帰っていったと言う伝説があります。この歌にある「恨み葛の葉」ですが恨みの語は

  恨み → うらみ → 裏見

 と連想できることから、歌では「恨み」を「裏見」にかけて詠むことがあるそうです。葛の葉の裏を見せる風を「葛の裏風」も、裏見の風。葛の葉と名乗った清明の母の思いは今も風となって葛の葉の上を吹きすぎているのかもしれません。広辞苑の用例で引かれている赤染衛門集の歌は

  うつろはでしばし信太(しのだ)の森を見よ かへりもぞする葛のうら風

 これは、赤染衛門から和泉式部に贈られたもので「葛の葉」の伝説にかけて詠われた歌でした。あちこちに生え拡がって、その旺盛な生命力の葛ですが、その葛の葉も冬になれば葉を落とします。大きくて沢山の葉が特徴の葛なので、その特徴の葉が落ちてしまうと存在感がなくなって、何処にあったのかもよく分からなくなってしまいます。拡がった葛の葉陰の何処かに狐が隠れているかも知れないなんて想像しながら葛の裏風が吹く様を楽しむ時期も、今年はあとわずか。幸いに今日は晴れた休日、葛の裏風を楽しむ残り少ないチャンスを逃さないようにしてみようかななんて思っています。

                         (「2022/10/22 号 (No.5866) 」の抜粋文)
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【あかまんま】(赤飯) [日刊☆こよみのページ]

【あかまんま】(赤飯)
 イヌタデの別称。あかのまんま。 《広辞苑・第七版》

 「イヌタデの別称」とありますので、広辞苑でさらに本名の「イヌタデ」を引いてみると、

 【いぬたで】(犬蓼)
  タデ科の一年草。山野に普通で、高さ約30センチメートル。葉の基部の鞘状の托葉が茎を囲む。
   夏から秋、葉腋と茎頂に紫紅色の小花が穂をなす。アカマンマ。アカノマンマ。
  「犬蓼の花」は秋の季語。 《広辞苑・第七版》

 とあります。イメージはわきましたか?秋になると田んぼの畦や野原、道ばたとどこででもよく見かける植物ですので、おそらく誰でも目にしたことがあると思います。「きれい」というより「かわいらしい」という言葉が似合うあかまんまです。粒々の赤い花をこそげ落とすと、その粒々が赤飯の赤い米の粒のように見ることから、子供のままごと遊びの食卓では、めでたい赤飯として扱われるあの草ですと云えば、ああなるほどと、うなずいてくださる方も多いのでは。今でこそ、どこででも見かける日本の野草の一つですが、このあかまんまことイヌタデは有史前に海を渡って渡来した植物なのだそうです(こうした植物を「史前帰化植物」と呼ぶそうです)。昔々に日本には無かったんですね。おそらく、日本に稲が渡来しときに、稲に混じってちゃっかりこのあかまんまの種も日本にやってきたのだろうと考えられています。今でもこの植物が深い山中などでより、人間の住む場所の近く、田んぼのあるような場所に多く見られるのは、この草がこうした来歴を持つ植物だからなのでしょう。遙かな昔、稲穂とともに海を渡ってやってきたあかまんまは、ままごと遊びの中で赤い米の飯、赤飯の代用として親しまれています。稲穂とともに初めて日本にやってきた日から二千年近い歳月(ひょっとしたら二千年以上?)を、あかまんまは稲と共に生きて来たわけです。あかまんまは、これからも一緒に海を渡った稲とともに、日本の秋を彩る草であり続けてくれることでしょう。

                         (「2022/10/13 号 (No.5857)」の抜粋文)
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里と山、今年の豊作は? [日刊☆こよみのページ]

□里と山、今年の豊作は?
 十月にもなると、今年の米(稲)の作柄がニュースに登場するようになります。最近は食生活も多様化してきていますから昔ほどではないにしても、やはり「米」の出来具合は日本人の関心事の一つです。暦の上でも秋には行事が多いのですが、その理由の一つには秋が収穫の季節ということがあります。その年の収穫に感謝する行事が秋に集中するからです。

◇里の実りと山の実り
 秋の実りといって浮かぶものは里の実り、例えば稲であり例えば芋であります。その他にも山の実りというのもあります。例えばキノコ、例えば栗。キノコと言えば、秋になるとその出来不出来が必ず話題になるキノコがあります。日本人が病的なまでに有り難がる松茸がそれです。この松茸に関係する言い伝えには

  ・稲不作は松茸豊作
  ・お里がよければ山は悪い
  ・山豊作、里不作

 というものがあるそうです。これは松茸の豊作になる気象条件と稲の豊作となる気象条件が逆であるためだとか。八月の終わりから九月にかけて、雨が多くて気温が低めというのが松茸生育には望ましいとか。稲にとってはこの時期に実には葉で作った沢山の栄養分を溜め込む時期ですから晴れが続くことが望ましい。またこの時期に雨を運んでくるものとは「台風」ですから、収穫前の稲にとってはこれまた大敵。(「松茸は台風が運んでくる」という言い伝えもあるそうです。松茸は台風大好き?)確かに逆の条件のようです。こうしたところから先に挙げたような諺が出来たようです。

◇さて今年は?
 農林水産省が8/31に発表した8/15時点での2022年の稲の作柄概況を見ると47都道府県の内訳は

  やや良  11
  平年並み 24
  やや不良 11

 となっています。これを見ると今年の稲の作柄平年並みということになりそうです。ただ、9月には結構大きな台風が日本列島を通過しましたから、水稲の作柄にも影響したかも? また、台風好きの松茸にはどのような影響が?さてどうなりますか。皆さんの食卓を彩る里の実りと山の実り、はたしてどちらが豊作でしょう?

                         (「2022/10/07 号 (No.5851) 」の抜粋文)

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白秋と白虎 [日刊☆こよみのページ]

□白秋と白虎
 皆さん次のような言葉をどこかで見たり聞いたりしたことがありませんか?

   青春(せいしゅん)・朱夏(しゅか) 白秋(はくしゅう)・玄冬(げんとう)

 とペアになった文字がそれぞれの季節の色を表しています。このうち、もっともよく目にする言葉は「青春」でしょう。本日のタイトルに用いた「白秋」はその次でしょうか。ここに掲げた 4つの言葉は元々は季節を表す言葉に過ぎなかったのですが、後には一年を人の一生になぞらえて、季節によって人生のある段階を示すようになりました。「青春」といえば、人生の春ということです。確か、私にもそんな時代がありました(あったような気がする?)。現在はというと「白秋」の時代、人生も秋の頃です。なぜ季節にはこのような色があるのかというと、暦のこぼれ話をお読みの皆さんにはお馴染みになりつつある五行説によります。五行説では、五行(木火土金水)それぞれが次のようなものと対応します。

   季節: 木→春 火→夏 金→秋 水→冬 土→土用
   色 : 木→青 火→朱 金→白 水→玄 土→黄

 ご覧の通りで

   春は木性、木性は青。よって春の色は青 ⇒ 青春
   夏は火性、火性は朱。よって夏の色は朱 ⇒ 朱夏
   秋は金性、金性は白。よって秋の色は白 ⇒ 白秋
   冬は水性、水性は玄。よって冬の色は玄 ⇒ 玄冬

 と言うわけです。ちなみに五行それぞれの色を指して「五色(ごしき)」と言います。ついでに季節の神獣はというと、これまた五行説では

   神獣: 木→蒼龍 火→朱鳥 金→白虎 水→玄武 土→黄龍

 もちろんこれから「秋の神獣は白虎」という具合。これなんかは色からそれに対応する神獣を作り出したものなのかもしれません。今は秋だから、白虎に守られた季節ということになりますね。ついでですが、五行は方位にも割り振られており、秋の神獣、白虎は西方の守護神獣でもあります。ああ、白虎様、あなたの守る西方から押し寄せる台風から秋の日本を守って下さい。そんなお願いを白虎様にしつつ終える、本日の暦のこぼれ話でした。

                         (「2022/10/04 号 (No.5848) 」の抜粋文)
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いつも月夜に米の飯】(いつもつきよに こめのめし) [日刊☆こよみのページ]

いつも月夜に米の飯】(いつもつきよに こめのめし)
 明るい月夜が毎晩つづき、真っ白な米の飯いつも食べられたら申し分ないということ。「月夜に米の飯」ともいう。[用法]世の中はそんなに甘くないというニュアンスをもって使われることが多い。[類語]いつも月夜に常(つね)九月。 《成語林・初版》

 昔の人の素朴な理想の暮らしを語ったことわざと言えるでしょう。類語として「いつも月夜に常九月」が挙げられていますが、「九月」は収穫の月の意味もあったでしょうから、「米の飯」に繋がるものがあると思いますが、更に気候の面も、暑くも寒くもない九月(旧暦の。大体新暦の十月ごろと思えば良い)は過ごしやすい月だという意味もあったと思います。旧暦九月の月夜と言えば、中秋の名月に並ぶ月見の月とされる「後の月」と呼ばれる九月十三夜の月があります。きっと、稲刈りも無事に終わり、炊きあがった米の飯(または、この新米の米粉で作った団子)を供えて、後の月見を楽しむなんて言うのが、このことわざのいう理想の暮らしに近いのでしょうね。現在は、月夜でなくても明るい夜を作り出してくれる電灯があり、当たり前に米の飯が食べられる。そのうえ、いつでも快適な室温に保ってくれるエアコン普及して、九月でなくても一年中過ごしやすい暮らし。本日採り上げたことわざを作った人達が考えた「理想の暮らし」を多くの人が手に入れています。「昔の方が良かった」とか「住みにくい世の中になった」とか、そんな言葉を耳にすることがありますが、そんな文句を言う前に、少しは文句を言っている私たちの今の暮らしは、昔の人達が夢見た「理想の生活」だということを思い出したほうがよさそうです。こうした暮らしが当たり前に出来るよう、努力を積み重ねてくれたにご先祖様達への感謝も、忘れないようにしたい、そんなことを考えさせてくれた本日の「いつも月夜に米の飯」でした。(「2022/10/02 号 (No.5846) 」の抜粋文)

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【金木犀】(きんもくせい) [日刊☆こよみのページ]

【金木犀】(きんもくせい)
 モクセイ科の常緑小高木。中国原産の観賞用植物で、古くから庭木とされる。高さ約3メートル。葉は狭い長楕円形、革質で堅い。雌雄異株。日本のものはすべて雄株で結実しない。秋、橙黄色で芳香の強い小花を多数開く。漢名、丹桂。秋の季語。 《広辞苑・第七版》

 洗濯物を干そうと、ベランダに出てみると「天高く」と形容されるとおりの秋の青空が拡がっていました。こんな良い天気なら、洗濯物も直ぐに乾いてくれそうです。そんなことを考えながら洗濯物を干していると、金木犀の花の香りに気がつきました。そういえば、近くに金木犀の木があったなそう思って、見下ろすと20m程先に金木犀の木があり、濃い緑の葉の間に、黄金色の花が見えていました。あまり手入れされているとも思えない木ですが、高さは4m近くあり、横への葉の拡がりも高さに近いほどある、金木犀としては大きな木です。金木犀としては大きな木ですけれど、周囲には桜や椎の木など、もっと大きな木が何本もあるので、普段はそこに金木犀があることなど、すっかり忘れてしまいます。ですが、秋になれば金木犀の木は、その花の香りではっきりとその存在を思い出させてくれます。

◇中国から伝わった「九里香」
 金木犀は中国原産の植物で、日本には17世紀末頃に日本に渡来したとされます。中国での呼び名は「丹桂」。秋深まる頃に咲く花は、強い芳香を放ち、この香りから、遠く離れた人にもこの木の存在を知らせることから九里香とも呼ばれます。九里先までその香りが届くという意味です。ここでの「里」は中国の距離の単位で、およそ4~500m程。九里というと、およそ4km。さすがにこれは大げさだろうと思いますが、絶対無理とは言い切れないくらい香りの強い金木犀です(私と違って、鼻の良い人もいるでしょうしね)。金木犀は、庭木や垣根の木として広く栽培されていますから、秋が深まる頃に街を歩けば、きっとどこかでその香りを感じることがあるでしょう。

                          (「2022/10/01 号 (No.5845)」の抜粋文)
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