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【十薬】(じゅうやく) [日刊☆こよみのページ]

【十薬】(じゅうやく)
 ドクダミの別称、また、その生薬名。漢方で解熱・解毒・消炎剤。「しゅうさい」 夏の季語 《広辞苑・第七版》

 ・・・茎は赤みを帯び、葉は広い心臓形で幅、長さとも三~八cm。花は茎の先端につき、花弁のような白い四枚の総苞(そうほう)の上に淡黄色の小花が多数集まって穂状となる。・・・『花ごよみ花だより』八坂立人著 より

 私の力では正確に説明できそうもないので、折々に本棚から取り出しては読んでいる本の説明文を引用させていただきました。春から夏の初めにかけて、日本中、街や田舎の別なく見かけることの出来るドクダミの説明です。本日採り上げた、「十薬」はドクダミの別名です。様々な薬効があり十の薬に匹敵するということで十薬の名があるとか。ただ、私は正面から(真上から?)みると、四枚の花びら(正しくは前述の引用文のとおり、四枚の総苞です)が十文字に見えることから、ああ、十薬の花だと、勝手に解釈してこの別名とドクダミを結びつけています。ドクダミは生命力が旺盛な植物。ちょっと水気が好きなようで水辺や、日陰のジメッとした場所に群生しています。その草姿、花姿は、派手さはありませんが楚々として美しく、写真に収めたりすると、なかなかのものだと思えるのですが、あまりその美しさについて語られることのない花です。いくつかの本を開いてドクダミの項を開き、説明を読んで見ましたが、ほとんどの本は、その薬効のほどや「ドクダミ」は「毒痛め」や「毒溜め(毒を抑えるの意味)」から転じたものといった、そのなの語源の説明ばかりで、その姿についてほとんど触れられていませんでした。わざわざ説明しなくとも、どこででも姿を見ることが出来る植物だからでしょうか。その薬草としての効用も有り難いですが、皆さんの身近にも今の時期ならその花を目にすると思いますので、そんな機会があれば、屈んでその花を眺めて見て下さい。ただし、綺麗だからと摘もうとすると、ドクダミのもう一つの特徴である、独特の臭いに顔をしかめることになるかもしれませんので気をつけて。

                          (「2023/05/29 号 (No.6085) 」の抜粋文)
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【卯の花】(うのはな) [日刊☆こよみのページ]

【卯の花】(うのはな)
 1.ウツギの花。また、ウツギの別称。夏の季語。万葉集(17)「卯の花は今そ盛りと」
 2.襲(かさね)の色目。山科流では、表は白、裏は萌葱(もえぎ)。4~5月に用いる。
 3.豆腐のしぼりかす。おから。雪花菜(きらず)。  《広辞苑・第七版》

 白い空木(ウツギ)の花を初夏(5~6月頃)の山野では沢山見かけます。空木の花は釣り鐘型をした花で、これが房状に枝一杯に咲いて葉の緑をも覆い尽くすので、空木がまとまって生えている山の一角は季節外れの残雪が残っている可のように見えるほどです。卯の花の咲く初夏の頃といえば、旧暦の四月、和風月名でいえば「卯月」です。卯月の語源の一つには卯の花が咲く季節の月なので「卯の花月」と呼んだものが誤って「卯月」となったというものがあります。いやいや、逆で卯月に沢山咲く花なので「卯の花」と呼ばれるようになったのじゃないかな? などと私は考えるのですが真偽の程は不明。鶏が先か卵が先か・・・。ちなみに、卯の花と卯月の関係と違って後先のはっきりしているものが豆腐の絞りかすのおからと卯の花の関係。こちらはそれぞれの言葉が使われ始めた時期の後先から考えて間違いなく、卯の花が先で、おからはその見かけが卯の花のようだということから一種の雅称として「卯の花」と呼ぶようになったと思われます。これを書いているのは旧暦四月、卯月です。そして周囲の山には沢山の卯の花が咲いています。卯の花の季節です。これで晩の食卓に卯の花和えでも出てくれば、卯の花づくしの一日となりますね。

 ※参考記事 和風月名の話 http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0102.html

                           (「2023/05/28 号 (No.6084)」の抜粋文)
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【紅花】(べにばな) [日刊☆こよみのページ]

【紅花】(べにばな)
 キク科の一年草。小アジア・エジプト原産の染料・油料用植物。高さ30~90センチメートル。夏、紅黄色のアザミに似た頭花をつける。小花は細い筒形。日本には古く中国から入り、東北地方、特に山形県を中心に栽培。古くは花冠を採集して染料や紅(べに)を作った。今日では主にアメリカ産のものを切花用や紅花油採取用とする。くれない。末摘花(すえつむはな)。サフラワー。《広辞苑・第七版》

 本日は、七十二候の「紅花栄う」の候の始まりの日ということで、このコーナーでは夏の季語ともなっている「紅花」を採り上げてみました。紅花はインド・中国・中近東からエジプトに至るまで広い範囲で古くから栽培されている植物だそうです。日本には、七世紀に高麗僧曇徴(どんちょう)によってもたらされ、今でも化粧用品の色素として使われ、「口紅」の紅は元々この紅花の紅でした。「口紅」という商品名が登場するのは江戸時代からといわれていますが、それ以前は単に「紅」とだけ呼んでいたようです。紅花は花としては黄色といってもよい色で、紅色とはとても言えません。よくこの花から「紅の色素」を発見出来たものですね。大分昔話になりますが山形に住んでいたことがあります。その時代に「紅花」についてはよく見聞きしたものですが、残念ながら「紅花の畑」を見たことは有りません。あの時代にもっとものをよく知ろうとしていればと今更ながら後悔しています。一度見てみたいですね、一面の紅花の畑を。紅花については古くから栽培されていたと既に書きましたが、あまりに古くから栽培されていたためでしょうか、不思議なことに野生の紅花は発見されていないそうです。何となくミステリー。ずっと人間と一緒に生きてきた花のようです。

                          (「2023/05/26 号 (No.6082) 」の抜粋文)
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「蚕起きて桑を食う」に蚕と桑にまつわる話 [日刊☆こよみのページ]

■「蚕起きて桑を食う」に蚕と桑にまつわる話
 本日は二十四節気の小満の節入り日。七十二候では「蚕起きて桑を食う」の候の始まりの日です。蚕(カイコ)といえば絹糸(生糸)を採集するために飼われる家畜ならぬ家蚕です。蚕といえばその食べ物は桑の葉っぱ。この蚕様はなかなかの食通で桑の葉っぱしか食べません。となると、この蚕の食べ物となる桑の葉っぱを生産する場所が必要となります。それが桑畑です。

◇地図記号の「桑畑」が消えた?
 小学校の頃に地理授業(私が小学生だった頃は「社会」という授業でした。今はなんていうのかな?)で地図記号を勉強しました。その折に勉強した地図記号に桑畑というものがありました。畑や田という記号もありましたが、畑とは別に桑という作物限定の記号があったのでした。それだけ桑の畑というのがあちこちにあったと言うことでしょう。ところが現在の地図記号(「2万5000分の1地形図の地図記号)にはこの記号が無くなっていました。社会情勢の変化で使われなくなった地図記号の整理と、新しい地図記号の追加が行われた結果、平成25年(2013年)の地図記号の改訂によって、桑畑は消えてしまいました。半世紀あまり昔には生糸を得る為の養蚕は農家の副業的に広く行われていてそのために、蚕の食べ物となる桑の葉を得る為に、日当たりがよく水はけのよい土地にはあちこちに桑畑があったのですが、化学繊維の台頭とともに生糸の生産は減少し、桑畑も減少してしまったのです。ちなみに、日当たりがよくて水はけがよい場所にあった桑畑は同じような条件に適した果樹園に取って代われることが多いようです。畑の中でも特定の作物の畑に特化した果樹園や茶畑は地図記号として生き残る中、桑畑は姿を消して行く。世の中の変化を感じます。長いときの流れを表す中国の故事熟語の中に「蒼海変じて桑田となる」というものがありますが、現代の日本に於いては「桑畑変じて果樹園となる」となってしまいました。

◇桑と蚕
 蚕をカイコと呼ぶのは

  飼い蚕(こ)= カイコ

 という意味からなのだとか。カイコは初めから人に飼われた蚕という虫だったということです。その証拠に、このお蚕様という虫は人が世話をしてやらなければ生きていけない虫なのです。戦前の日本では農家の四割が養蚕に携わっていましたから、蚕はかなりありふれた生き物だったわけですが、こんなにありふれた生き物なのに何故か野生化した蚕、家猫が野生化した(?)野良猫に相当するような野良蚕はいないのです。蚕は桑の葉を食べて成長するのですが、これが「摘んでもらった桑の葉を蚕棚のような場所に置いてくれれば食べてあげます」というとんでもない横着な食べ方なのです。「上げ膳据え膳でなければご飯食べません」の究極のような虫なのです。蚕を桑の木の葉っぱに載せてやっても、脚の力が弱くて、風が吹いたら葉っぱにしがみついていられず落っこちてしまうとか、桑の木の周囲に置いても自分で葉っぱを探すことが出来ずに餓死しちゃうとか、それはもう笑い事ではないひ弱さです。こんなひ弱な生き物がどうやって今まで生き延びてきたんでしょうか? その疑問への答えは「人間がずっと上げ膳据え膳してきたから」なのです。蚕は「家蚕」ともいい、家畜化された昆虫。その上、既に述べたように野生化する能力すら完全に失ってしまった昆虫なのです。楽な生活(その後の釜ゆでの結末さえ考えなければ)をしすぎるとこんなにひ弱になっちゃうとは。私たちも気をつけないといけませんね。

◇これからどうなる、お蚕様?
 かつてはその食物を生産するための桑畑に専用の地図記号まで作られていたほどの勢力(?)を誇った蚕ですが、桑畑は地図記号から消え、養蚕農家も激減しています。現在ですらこんな状況ですからあと数十年もすると、蚕は昆虫博物館と皇居でしかみることの出来ない生き物になってしまうかも?そうなったら今日は七十二候の「蚕起きて桑を食う」の候入りの日なんていっても「蚕ってなんですか?」なんて質問されるようになってしまうかも知れませんね。以上、本日は「蚕起きて桑を食う」の始まりの日に「蚕と桑」の関係から思い浮かんだあれやこれやの話でした。

                          (「2023/05/21 号 (No.6077)」の抜粋文)
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【風薫る】 [日刊☆こよみのページ]

【風薫る】
 初夏の涼しい風がゆるやかに吹くのにいう。薫風。夏の季語。猿蓑「夕飯にかますご食えば風薫る」(凡兆)  《広辞苑・第六版》

 一昨日、昨日と気温が上がりました。30℃を超えた地域もあったことがニュースで伝えられていました。現在は暦の上では立夏。夏の領分に入っていますから、これからはこんな日が増えてくるのでしょう。ただ、こんな暑い日があったとしてもそこはまだ真夏とは違います。日差しは強く気温も高くとも、吹く風は涼しく心地よいものです。盛夏の時期に吹く熱風とは違います。本日採り上げた「風薫る」はこの季節を形容する言葉。「薫る」とあるようにこの季節に吹く風は涼しさだけではなく、ほのかな香りも運んできます。この季節には多くの花が咲く季節でもありますから、花々の間を吹き抜ける間に、風にも香りが移っているのでしょう。「薫」という文字は元々は、香りを立てるために焼かれる香草を指すものだったそうですが、人がわざわざ焼かなくとも、草花の間を吹き抜ける風が自然に草や花の香りを運んでくれるようです。急に暑くなると身体の方は大変ですが、そんな身体を休めてくれる芳香を吹くんだ風を楽しめる季節でもあります。暑い暑いと嘆くばかりでなく、風薫る季節を楽しみたいでね。

                          (「2023/05/19 号 (No.6075) 」の抜粋文)
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【筍の親勝り】(たけのこの おやまさり) [日刊☆こよみのページ]

【筍の親勝り】(たけのこの おやまさり)
 (筍はすぐに親竹と同じ、またはそれ以上の高さに成長することから)子供の成長が早く、またたく間に親をしのぐようになることのたとえ。また、子供が親よりすぐれていることのたとえ。「筍は親に勝る」ともいう。 《成語林》

 筍は古くから「たこうな」「たかんな」などと呼ばれ、食用とされてきた歴史があります。季語としては夏の季語となっているのですが、夏と言っても初夏の頃のものでしょう。現在目にすることの多い孟宗竹の筍は晩秋から初夏の頃に顔を出します。七十二候では「竹筍生ず」として二十一候に割り当てられています(2023年では5/16~20がこの候の期間)。

◇「旬」は周囲を取り巻くの意味
 「筍」の文字は「竹」+「旬」。旬は一回りとか、周囲を取り巻くといった意味がある文字だそうで、筍が皮に取り巻かれていることからこの文字が生まれたそうです。筍の皮、むき始めるとむいてもむいても次々に新たな皮が現れてなかなか大変です。太い筍も、皮が無くなると本体は意外に細かったりして。筍は大分着ぶくれして地上に姿を現すようです。

◇「旬」は十日の意味?
 「旬」には十日という意味もあります(月の上旬、中旬、下旬などと使う)。筍は生長が早く、十日で筍から竹に変ずるので竹冠+「旬」で「筍」なのだとか。判りやすくていいですね。子を持つ身としてはこの「筍の親勝り」のように子供が成長することを望みたいところですが「瓜の蔓に茄子はならぬ」という諺もありますから、そうそう望みどおりにはならないのかも。さてさて我が家の場合はどちらの諺だろうか?

                          (「2023/05/15 号 (No.6071) の抜粋文)
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