SSブログ

木枯らしの行方 [日刊☆こよみのページ]

□木枯らしの行方
  凩の果てはありけり海の音   池西言水
  海に出て木枯帰るところなし  山口誓子

 十一月の末ともなれば、あちらこちらから木枯らしが吹いたというニュースが届くようになります。木枯らしは強い北風。木枯らしが吹く度に街路樹の葉はその数を減らしてゆきます。「木枯らし」の名のとおりのはたらきです。日本列島の南側は海。初冬に北から冷たく乾燥した空気を運んできた木枯らしも「木を枯らす」というその名の示す役割を十分に果たし終えれば、言水や誓子が詠んだ句のとおり、南の海に出てゆきます。日本の南の海には暖かい海流である黒潮が流れ、そこから先には水温の高い海がずっと広がっています。冷たく乾燥した空気を運ぶ北風、木枯らしですが、その行き着く先は暖かな海。運ばれてきた冷たく乾燥した空気も暖かい海の上に出れば暖められ、水分をたっぷり補給して暖かく湿潤な空気へと生まれ変わります。誓子には「海に出て木枯帰るところなし」と詠まれてしまった木枯らしですが、帰ってこないわけではありません。南の海でしばしの休息をとった後にはちゃんと帰って来るのです。ただし帰るとききには「春一番」と名を変えて。冬を運び、木々の葉をさらっていった「木枯らし」が、春を運び木々の葉の芽吹きをうながす風となって帰ってくる。当たり前の四季の循環ですが、あらためて考えてみると、何と巧みな仕組みなのでしょう。今年も残すところ、1ヶ月と少々という時期となりましたが、木枯らしの季節はまだ始まったばかり。先陣を切った木枯らし1号あたりがようやく南の海に到達した頃でしょうか。これからも木枯らし達は春という季節を運ぶ風となるために、続々と南の海を目指して行くことでしょう。冷たくつらい風、木枯らしですが、やがては春を運ぶ風になるのだと考えてもうしばらくは冷たい風に堪えて行くことにいたしましょう。

                         (「2022/11/29 号 (No.5904) 」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0) 

【水仙】(すいせん) [日刊☆こよみのページ]

【水仙】(すいせん)
 1.水中の仙人。
 2.ヒガンバナ科の多年草。
 地中海沿岸原産で、古くシルク‐ロードを通って東アジアに渡来。日本の暖地海岸にも自生化。地下に卵状球形の鱗茎を有する。葉は線状で叢生。冬から早春に花茎の先端に数花を開く。 花被片は6枚で白色、内側に濃黄色の盃(さかずき)状の副花冠がある。


 八重その他の園芸品種が多い。また広義にはヒガンバナ科スイセン属の植物の総称。スイセンをはじめ約30種あり、地中海沿岸から西アジアに分布。重要な園芸品種が多く、秋植の球根類として栽培。ラッパズイセン・キズイセン・クチベニズイセンなど。房咲水仙。冬の季語。 《広辞苑・第七版》

 季節は初冬。日毎に寒さがつのる今日この頃に、寒がりの私は冬眠できるものならば冬眠したいと思いながら暮らす今日この頃です。そんな季節の寒風にも負けず、いえ、寒風を楽しむように力強く咲く花が水仙です。辞書の語釈にあるとおり、水仙の花は白い6枚の花被片の内側に濃黄色の盃状の副花冠がつきます。その姿から「金盞香」という異称があります。七十二候の一つ、立冬の末候「金盞香さく」は水仙の花の咲く季節の意味です。

◇地中海沿岸で生まれた花と伝説
 水仙は、ギリシャ神話では水に映った自らの姿に恋してついには死んでしまうナルキッソス(Narkissos) の生まれ変わりだと言われています。水辺で俯きがちに咲く花の姿から生まれた伝説でしょう。地中海沿岸で生まれたこの水仙は、シルクロードをたどって中国に到達し、そこで「水仙」という文字を名として与えられました。「水の仙人」を意味する水仙の名はナルキッソスの物語りも花とともに伝えられたのだという証かもしれません。この水仙、日本のあちこちに自生している花なので、改めて原産が地中海沿岸と言われるとなんだか不思議な気がします。それでも日本の水仙の名所として知られる場所を思い浮かべると、越前海岸や、淡路島の洲本、伊豆の爪木崎などみな海に面する場所ばかり。地中海と日本の海と違いはありますが、やはり海には縁の深い花なのでしょうか。私の自宅のある和歌山県の那智勝浦から車で小一時間ほどの距離にある串本大島も水仙の名所の一つ。やはり太平洋を見下ろせる丘の上に群生する水仙を見ることが出来ます。

◇水仙の毒
 きれいな水仙には、棘はありませんが毒があります。今は花の咲く時期なので間違えることもありませんが、花のない時期にこの葉を見ると野菜のニラとよく似ていることから、これを間違えて水仙の葉を食べてしまうことがあり、そうした事故のニュースを聞くことがあります。水仙の毒はリコリンと呼ばれるアルカロイド系の毒で、食べると嘔吐や下痢を引き起こすとか。きれいな花の毒には注意し、眺めて楽しむだけにいたしましょう。

                          (「2022/11/18 号 (No.5893) 」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0) 

【冬霞】(ふゆがすみ) [日刊☆こよみのページ]

【冬霞】(ふゆがすみ)
 冬に立つ霞。冬の季語。 《広辞苑・第七版》

 霞という言葉は、遠景がぼんやり見えるような現象に対して広く使われる言葉です。霞む原因が薄い霧であるのか、煙や黄砂の類であるか特に断ることは無いそうです。「霞」単体であれば春の季語となります。冬霞は風の無い冬の朝や夕方に遠景がぼやけて見える現象を俳句や和歌で表す言葉として使うことが多いようです。今朝はよく晴れた冬の朝。外に出ると残り少なくなった桜紅葉の風景に、薄くベールがかけられたように見えました。霧が出ています。冬霞の朝と言ってよいでしょう。ここのところ、朝には冬霞のかかる日が続いています。見慣れた景色が白い冬霞に溶けてゆく様子は、幻想的なものです。こんな日の草の葉はしっとりと濡れています。季節がもう少し進めば、草の葉を濡らしている冬霞の露が霜へと変わってゆくのでしょう。草の露が霜へと変わり、冬霞に霞む朝が当たり前に思える頃には、冬も本番を迎えることになるのでしょう。

                          (「2022/11/12 号 (No.5887)」の抜粋文)
nice!(0)  コメント(0)