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啓蟄と驚蟄の話 [日刊☆こよみのページ]

■啓蟄と驚蟄の話
 今年(2021年)の啓蟄の期間は、3/5~3/19。皆さんの周りで、冬眠から目覚めた虫たち(蛇や蛙も虫に含まれます)を目にしましたか? 私の周りの虫たちは・・・まだまだです。寝坊助なのかな?さてさて、暦の話となると度々話に登場する二十四節気は太陰太陽暦であった旧暦の暦日と季節とを結びつけるために古代中国で考案されたもの。これが暦の伝来と共に日本にも伝わり、現在まで使われてきました。二十四節気は元々中国で生まれたものが日本に伝わったものですから、私たちがなじんだ二十四節気は、当然中国にもあります。中国の二十四節気を並べてみると、

  立春、雨水、驚蟄、春分、清明、穀雨、・・・

 と日本と同じ順に同じ言葉が並びます。二十四節気をさらに細分した七十二候は中国から伝わった後、日本の気候や風物に合わせて大きく作り替えられ、日本風の七十二候と言うことで本朝七十二候などと呼ばれる、本家中国と違ったものになってしまいましたが、二十四節気の方は、そうした変更はなされず、日本が中国の暦を学び始めた時代の姿をそのままに残しています。ですから、二十四節気は現在も日本と中国で、同じものが使われています・・・のはずなのですが?ところがです、日本に伝わったときのままの姿をとどめているはずなのに、現在の中国と日本の二十四節気を比べると、実は違っているものが一つだけあります。中国の二十四節気の例として既に書いた6つの節気の中に、それが混じっていたのですが、お気づきになりましたか? 違っている言葉とは

  驚蟄(きょうちつ)

 です。日本の二十四節気ではこれは、ご存じの通り

  啓蟄(けいちつ)

 となっています。どこで変わってしまったのでしょうか?

◇本当は「啓蟄」
 本家の中国が「驚蟄」ですから、こちらが本来の漢字だったのだと思うのが普通でしょうけれど、今回の話の場合はそうではありません。元々の文字は現在も日本で使われている「啓蟄」の方なのです。啓蟄は古代中国の周王朝時代に成立した『礼記』の月令にある「蟄虫始振」から生まれた古い言葉で、既に書いたとおりその始まりの時点では「啓蟄」と言う文字が使われていました。この言葉が漢王朝の時代に「驚蟄」に改められました。この改変には、中国の諱の慣習がかかわっています。諱とは、貴人や目上の人、死者などをその本名を呼ぶことを避けるという慣習なのです。諱という習俗は、本名とはその名を持つ人物の霊的な人格と強く結びついたものであって、本名を口にすることでその人を支配することが出来るという呪術的な俗信から来ています。この習俗が広く行き渡った中国では、人の本名、特に目上の人の本名を口にすることは大変失礼な行為であると考えられました(このような実名を避ける習俗を「実名敬避俗」というそうです)。特に皇帝(天子)の諱については厳密に適用され、公文書ではその文字を使うことが一切出来ませんでした。皇帝の名前の文字が入っている人の名前や地名、役職などは変更されました。と言うことで、啓蟄が啓蟄のままではいられなかった事情がお解りになりましたね?啓蟄の「啓」は漢王朝の六代皇帝、景帝の諱でしたので、景帝の時代にはこの文字が使えなくなりこれと意味の似ている「驚」という字で置き換えられるようになりました。その後、景帝の諱として「啓」を避けなくてもよい時代となって、暦の上の文字は再び啓蟄に戻ります。日本に二十四節気が伝わったのは「啓蟄」の文字に戻っていた時代でした。そのために日本に二十四節気では「啓蟄」となりました。さてさて、本家中国ではどうなったかというと、一度は啓蟄に復したのですが、諱の影響で「驚蟄」が使われていた期間にこちらの方が定着してしまって、使い慣れた文字の方がよいと、再度「驚蟄」に戻されました。日本でももちろん、再び「驚蟄」に戻って(?)しまった時代の中国の暦も輸入されてきたのですが、幸いなことにこうした変更を行うことなく、啓蟄が使われ続けました(直さない判断をした方、どなたかは存じませんが先見の明がありました。ありがとう!)。こんな経緯があって、中国生まれの二十四節気の本来の文字(?)は、本家中国ではなくて、日本に残ってしまったという話でした。(「2021/03/07 号 (No.5272) 」の抜粋文)
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