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【春泥】(しゅんでい) [日刊☆こよみのページ]

【春泥】(しゅんでい)
 春の、雪解け・霜解けなどによるぬかるみ。春の季語。 《広辞苑・第六版》

 2月も下旬となり、寒いながらも春の兆しを感じる頃となりました。本日、2/19(2024)は二十四節気「雨水(うすい)」の節入り日。七十二候では「土脉潤い起こる(つちのしょううるおいおこる)」の始まりの日です。

 ※七十二候の「土脉(つちのしょう)」はメールの環境によっては文字化けしてしまうことがあるので、当メールマガジンでは「土が潤い起る」と紹介しています。

 二十四節気の雨水は、空から降るものが雪から雨に変わる頃といった意味ですし、七十二候も凍りついた大地が解け出し、湿った状態となることを表す言葉となっています。「湿った状態」と書きましたが、泥濘む(ぬかるむ)頃といった方が現実をよく表す気がしますが。本日採り上げた「春泥」は、この大地が泥濘んだ状態を表した言葉です。東北の田舎で生まれ育った私にとって春泥は毎年春のなじみのものでした。冬の間、白い雪に覆われていた大地のあちらこちらに黒い土がその姿を現し凍っていた道(もちろん未舗装)の表面は、沢山の水分を含んだ泥によって覆われるようになります。春を感じさせる日差しの暖かさは嬉しいものでしたが、この泥のおかげで春先の登下校は雨でもないのに長靴履きを余儀なくされたものです。長靴を履いての登下校は、長靴が重い上に泥に足をとられて歩きにくいこと甚だしいのでした。その上、苦労して歩いて家に着いてみれば、長靴で跳ね上げた泥がズボンの背面にたっぷりと付着して、洗濯物の量を増やすことに貢献してくれました。なかなか厄介な春の泥でした。あんな厄介なものでしたが、いい年になって小さな頃を振り返ると、なぜかあの泥に難渋した通学路の風景をよく思い出します。あの春の泥は厄介者ではありましたが、厄介者なりに春の訪れを感じさせてくれた風物詩だったのだなと今になれば思うことが出来ます。過ぎ去って、思い出になった今だからそう思えるようになったというのが正しいかもしれませんが。年経て、昔の厄介者が懐かしく思えるようになる人は、どうやら私以外にも大勢いらっしゃるようで、あの厄介者は「春泥」なんていう、なんかきれいな響きの言葉として、今ではちゃっかりと「春の季語」の座を占めております。嫌われても粘り強く頑張れば、いいこともあると言う教訓かな?

                          (「2024/02/19 号 (No.6351) 」の抜粋文)
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