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「蚕起きて桑を食う」に蚕と桑にまつわる話 [日刊☆こよみのページ]

■「蚕起きて桑を食う」に蚕と桑にまつわる話
 本日は二十四節気の小満の節入り日。七十二候では「蚕起きて桑を食う」の候の始まりの日です。蚕(カイコ)といえば絹糸(生糸)を採集するために飼われる家畜ならぬ家蚕です。蚕といえばその食べ物は桑の葉っぱ。この蚕様はなかなかの食通で桑の葉っぱしか食べません。となると、この蚕の食べ物となる桑の葉っぱを生産する場所が必要となります。それが桑畑です。

◇地図記号の「桑畑」が消えた?
 小学校の頃に地理授業(私が小学生だった頃は「社会」という授業でした。今はなんていうのかな?)で地図記号を勉強しました。その折に勉強した地図記号に桑畑というものがありました。畑や田という記号もありましたが、畑とは別に桑という作物限定の記号があったのでした。それだけ桑の畑というのがあちこちにあったと言うことでしょう。ところが現在の地図記号(「2万5000分の1地形図の地図記号)にはこの記号が無くなっていました。社会情勢の変化で使われなくなった地図記号の整理と、新しい地図記号の追加が行われた結果、平成25年(2013年)の地図記号の改訂によって、桑畑は消えてしまいました。半世紀あまり昔には生糸を得る為の養蚕は農家の副業的に広く行われていてそのために、蚕の食べ物となる桑の葉を得る為に、日当たりがよく水はけのよい土地にはあちこちに桑畑があったのですが、化学繊維の台頭とともに生糸の生産は減少し、桑畑も減少してしまったのです。ちなみに、日当たりがよくて水はけがよい場所にあった桑畑は同じような条件に適した果樹園に取って代われることが多いようです。畑の中でも特定の作物の畑に特化した果樹園や茶畑は地図記号として生き残る中、桑畑は姿を消して行く。世の中の変化を感じます。長いときの流れを表す中国の故事熟語の中に「蒼海変じて桑田となる」というものがありますが、現代の日本に於いては「桑畑変じて果樹園となる」となってしまいました。

◇桑と蚕
 蚕をカイコと呼ぶのは

  飼い蚕(こ)= カイコ

 という意味からなのだとか。カイコは初めから人に飼われた蚕という虫だったということです。その証拠に、このお蚕様という虫は人が世話をしてやらなければ生きていけない虫なのです。戦前の日本では農家の四割が養蚕に携わっていましたから、蚕はかなりありふれた生き物だったわけですが、こんなにありふれた生き物なのに何故か野生化した蚕、家猫が野生化した(?)野良猫に相当するような野良蚕はいないのです。蚕は桑の葉を食べて成長するのですが、これが「摘んでもらった桑の葉を蚕棚のような場所に置いてくれれば食べてあげます」というとんでもない横着な食べ方なのです。「上げ膳据え膳でなければご飯食べません」の究極のような虫なのです。蚕を桑の木の葉っぱに載せてやっても、脚の力が弱くて、風が吹いたら葉っぱにしがみついていられず落っこちてしまうとか、桑の木の周囲に置いても自分で葉っぱを探すことが出来ずに餓死しちゃうとか、それはもう笑い事ではないひ弱さです。こんなひ弱な生き物がどうやって今まで生き延びてきたんでしょうか? その疑問への答えは「人間がずっと上げ膳据え膳してきたから」なのです。蚕は「家蚕」ともいい、家畜化された昆虫。その上、既に述べたように野生化する能力すら完全に失ってしまった昆虫なのです。楽な生活(その後の釜ゆでの結末さえ考えなければ)をしすぎるとこんなにひ弱になっちゃうとは。私たちも気をつけないといけませんね。

◇これからどうなる、お蚕様?
 かつてはその食物を生産するための桑畑に専用の地図記号まで作られていたほどの勢力(?)を誇った蚕ですが、桑畑は地図記号から消え、養蚕農家も激減しています。現在ですらこんな状況ですからあと数十年もすると、蚕は昆虫博物館と皇居でしかみることの出来ない生き物になってしまうかも?そうなったら今日は七十二候の「蚕起きて桑を食う」の候入りの日なんていっても「蚕ってなんですか?」なんて質問されるようになってしまうかも知れませんね。以上、本日は「蚕起きて桑を食う」の始まりの日に「蚕と桑」の関係から思い浮かんだあれやこれやの話でした。

                          (「2023/05/21 号 (No.6077)」の抜粋文)
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