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二八月荒れ右衛門 [日刊☆こよみのページ]

□二八月荒れ右衛門
 「ニハチガツ アレエモン」と読みます。旧暦の二月、八月は嵐が多いということを表した諺です。昨日から旧暦の八月、そして本日は二百二十日ということで、思い浮かんだこの言葉から、暦のこぼれ話を始めることにしました。

◇旧暦八月は嵐の月
 「二百十日」や「二百二十日」といった嵐に注意を向けるための雑節は旧暦の八月頃に集中しています。現在の暦では九月頃と言うことになります。この頃になると、台風が日本に接近、上陸することが多くなりますから、こうした言葉ができたのにもうなずくことが出来ます。この時期に嵐が多くて大変だと言うことは、広く言い伝えられていたのでしょう、ことわざ辞典の類を引くとこれに似た諺が幾つか見つかります。例をあげれば

  ・二八月に思う子船に乗するな
  ・二八月は船頭のあぐみ時
  ・二八月は風の秋
  ・二八月の風で傍(そば)が迷惑
  ・二八月の掌(てのひら)返し

 先の二つは海がしけるので船に乗るのは危険だということを表している言葉で、後の三つはこの時期の風について言い表している言葉です。少々ひねりのあるのは最後にあげた二つ。「二八月の掌返し」は、この時期の風向きが目まぐるしく変化する様子を掌を返すという表現で表しています。「二八月の風で傍が迷惑」は傍(そば)と蕎麦(そば)を掛けて、この時期の嵐で作物の蕎麦が被害を受けると言うことを「傍迷惑(はためいわく)」と解いたもののようです。最後は「傍迷惑」でしめているあたり、嵐は嫌だが自然の中で生きている限りこれもまた仕方がないものだと受け入れているような気がします。ちなみに、八月とペアで語られている二月の嵐は台風ではなくて強い温帯低気圧の通過によって生まれるものです。「春一番」の強風による嵐などがこれにあたります。

◇二百二十日の荒れじまい
 諺と言えば、「二百二十日の荒れじまい」というものもあります。これは、二百二十日を過ぎればそろそろ嵐の季節も終わりだという言葉ですが、この諺にも登場する二百二十日は今年は、今日 9/11。先ごろ、大きな被害を出した台風21号が通過してゆきましたが、出来れば今年はこの台風でおしまいとして欲しいですね。ただ近頃は記録的に遅い台風上陸などのニュースを耳にすることが増えてきたような気がします。少しずつ気候が変わって、昔ながらに「二百二十日の荒れじまい」とはいかないようになってきているのでしょうか。そのうちに、暦の雑節に二百十日、二百二十日の他に新たに「二百三十日」何て言うものが作られるかも?(暦に頼らなくても、気象庁を頼ればいいか)。新たな雑節が加わるとこよみのページはまたちょっと賑やかになるでしょうが、賑やかにならなくたっていいので、昔ながらに「二八月荒れ右衛門」も「二百二十日の荒れじまい」で終わりにしてほしいものですね。(「2018/09/11 号 (No.4364) 」の抜粋文)

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