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撫子(ナデシコ)のこと [日刊☆こよみのページ]

撫子(ナデシコ)のこと
 秋になれば毎年登場させる話題があります。その一つが秋の七草の話。秋の七草といって秋の代表的な七種類の植物(花)を数え上げるとき、七つだけに絞るのは大変。それほど秋の野には多くの花があります。とはいいながら、どの七つを選ぶか悩み続けていては今日の暦のこぼれ話が終わりませんので、ここはおそらく一番広く知られた山上憶良が詠んだ七草の歌をもって秋の七草の代表と考えることにします。萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また 藤袴 朝貌の花(はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな)がその七草です。今日はその中の一つ「瞿麦の花」を取り上げます。

◇瞿麦の花、または撫子の花
 憶良の歌ではナデシコは「瞿麦」とありますが、現在一般的に使われる文字は「撫子」です。撫子の花と言う場合、この言葉が普通に指す撫子は河原撫子(カワラナデシコ)と言う花。その名のとおり、河原などにも普通に見られる野草です。河原撫子は日本原産の植物だそうです。あの花びらが細かく深く切れ込んだ花の形から、てっきり人工的に作られた花だと思っていましたが正真正銘、自然に作られた花でした。

◇大和撫子は男性?
 【大和撫子】(やまとなでしこ)
  1.ナデシコの異称。秋の季語 2.日本女性の美称。《広辞苑・第七版》

 大和撫子を辞書で引くとこんな記述がありました。確かに今、男性に向かって「さすがは大和撫子」と言ったとしたら、言われた人はどう思うか。もっとも今の世の中では、女性に対して使ってもセクシャルハラスメントだと訴えられるかも知れませんね。おっと、今回の話とは関係無いか。さて元の話に戻りますと、撫子は昔から人になぞらえられることがあった花のようで、万葉集にはこの花を人に見立てた歌が16首あります。その中の一つは次の歌。

  うら恋し わが背の君は 撫子が 花にもがもな 朝な朝(さ)な見む

 これは大伴池主が「私の恋しいあの方が撫子の花ならば毎朝見られるのに」と詠った歌です。さて問題は誰が誰を詠ったものかということです。詠ったのは大伴池主、そして撫子だったらいいのにと詠われた相手は大伴家持。現代の我々から見て多少(?)奇異に映るのは、「撫子」に託された家持は男性だったということ。万葉集で撫子を人に見立てた歌が16首あったと書きましたが、撫子に見立てられた人の半数はこの歌のように、男性だったようです。さてさて、ではいったい何時の頃から「大和撫子」が日本女性の美称となり男性に対しては使われなくなったのか? 不思議です。そうなった時期(と理由)をご存じの方がいれば教えて頂きたい。是非。

◇撫子の種は庭にまかれた
 先程の歌では歌に撫子として読み込まれた大伴家持に次の歌があります。

  吾が屋外(やど)に 蒔きし瞿麦 何時しかも 花に咲きなむ なそ(比)へつつ見む

 私の家の庭に撒いた瞿麦(撫子)の花はいつになったら咲くだろうか、貴方と見比べながら見たいのにという意味でしょう(ちなみに今回の歌では撫子に仮託された人物は女性でした)。この歌で注目されるのは、「屋外に蒔きし瞿麦」です。撫子は日本に自生していた野生の花ですが、既に万葉集の時代には種からこの花を育てるということが行われていたことがわかります。山上憶良の詠った秋の七草の歌に読み込まれた花の中には、もう野原ではその姿を見つけられなくなってしまったものもありますが、撫子は幸いまだ野原や河原にその姿を見つけることが出来ます。またこの歌にあるように、庭に種を撒いて育てられてもいます。万葉集の時代から、野原でも庭でも愛された撫子は今もまだ健在。嬉しいことです。あとは、「大和撫子」が何時の頃から女性だけに使われるようになったのかその謎がわかればすっきりするのですが、これは先の楽しみに取って置くことにします。

                         (「2022/09/29 号 (No.5843) 」の抜粋文)
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