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秋社 [日刊☆こよみのページ]

□秋社
 本日は秋の社日、秋社です。春分、秋分の日に最も近い戊(つちのえ)の日を社日(しゃにち)といいます。春分、秋分の日に最も近いとあることでわかるとおり、春と秋の二回あります。春の社日は春社(はるしゃ)、秋の社日は秋社(あきしゃ)と呼んで区別することもあります。

◇社日とは
 社日とは暦では雑節と呼ばれるものの一つで、神事に関係する行事です。社日の「社」は土地の神、「産土神(うぶすながみ)」を祀った神社にお参りして五穀を供えて豊作を祈り(春社)、また秋の初穂を供えて収穫に感謝する(秋社)ものです。その内容を見るとなるほどとわかるとおり、その土地の神にその地が豊かな実りを産み出すことを祈る行事です。年中行事の多くが中国生まれですが、この社日もまた中国生まれ。古代中国ではこの日に人々が集まって一緒に飲食する習慣があり、それが日本に伝来したものと考えられます。社日が「戊の日」に行われる理由は、十干の戊が五行説では土の徳を備えたものとされること(つちのえ:土の兄)から、土の霊力を祭る日として選ばれたものと考えられます。

◇田の神様・山の神様
 産土神は元々はその地の守護神ですが、社日に見える産土神は守護神というよりその土地の生産力を司る神の意味が強いようです。日本の農業神としては田の神・山の神信仰があります。田の神様はまた同時に山の神様でもあって、春になると山から下りて田の神となり、収穫が済んだ秋には再び山へ帰ってゆくという神様です。農業が主要な産業であった日本ではこの田の神・山の神を信仰し、これを祀る多くの年中行事がありますが、中国から渡って来た社日は、元々が土地の神を祀る行事でしたから、土地の生産力を司る田の神信仰と上手く結びついて、春社は田の神迎えで秋社は田の神送りの行事と考えられるようになりました。それはまた、農作業の始めや終わりの一つの目安ともされました。

◇社日の日取り
 社日は、春分・秋分の日に最も近い戊の日とすると書きましたが、たまに困ったことが起こります。それは、春分・秋分の日が癸(みずのと:水の弟)の日になってしまったとき。こうなると、この日の前後の戊の日がどちらも 5番目になってしまうので、どちらにするか問題が発生するわけです。この辺りに「流派によって日取りが異なる」なんていう問題が生まれるのですが、こよみのページの場合は、貞享改暦(渋川春海の改暦で有名な)の規従って直前の戊の日としています(※注意)。

◇社日の禁忌
 社日は元々土地の神様、また農耕を司る「土の神様」の日と考えられますからこの日に土をいじる、掘り起こすなどの行為を忌む風習があります。土いじりは神様の歩行を妨げるとか、土掘りは神の頭を掘ることだとか考えられたようです。さてさて、最近は「彼岸行事」に呑み込まれてしまって影の薄い社日ですが、ご近所に神社があるなら、立ち寄って土地の守護神にお参りしてみては如何でしょう。

 ※注意
 Web こよみのページの「暦の雑節」では初期には、春分・秋分の日が癸の日になった場合、春分等の瞬間が午前なら前の戊の日、午後なら後の戊の日と計算していた時期があります。現在は本文説明の通り。
                     
                         (「2021/09/27 号 (No.5476)」の抜粋文)
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【穂波】(ほなみ) [日刊☆こよみのページ]

【穂波】(ほなみ)
 稲などの穂が風にゆらいで波のように見えるさま。また、その穂。新古今和歌集秋「風渡る山田の庵(いお)をもる月や穂波に結ぶ氷なるらん」 《広辞苑・第六版》

 広辞苑の用例に引用された歌は元久元年(1204)の中秋の名月の夜に詠まれた歌だそうです。名月の冷ややかな光に照らし出された稲穂が風に揺れる様を詠んだ歌です。この時期、秋が深まり水を落とした田圃には頭を垂れた稲穂が並びます。夏は青々としていた稲の葉の色も黄味を増して、青く澄んだ秋の空の下で見る田圃は黄金の海のようです。その黄金の海に立つ波、田圃の上を風が渡るとき揺れる稲穂が作る波、それが穂波です。目に見えない風が、穂波となってその姿を現します。目に見えない秋風にのって、目に見えない神様が田の上を渡っているのかもしれません。山の木の葉がその色を変える頃、田圃の稲も刈り取りの時期を迎えます。穂波となって田の上を見えない風を眺める楽しみも間もなく来年までおあずけとなります。(「2021/09/25 号 (No.5474)」の抜粋文)


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【槿花一日の栄】 (きんか いちじつのえい) [日刊☆こよみのページ]

【槿花一日の栄】 (きんか いちじつのえい)
 [白居易、放言詩「松樹千年終に是れ朽ち、槿花一日自ずから栄を為なす」]
 栄華のはかないことを、ムクゲの花にたとえていう。「槿花一朝の夢」とも。
   《広辞苑・第六版》

 夏の間、大きな花を幾つも幾つも咲かせている木槿ですが、その花一つ一つは、朝に開いて夕方には萎んでしまう一日花です。その花の見事さと、その見事な花の命が一日しかないということから、今回採り上げた「槿花一日の栄」という言葉が生まれました。この言葉は、辞書の説明のように栄華のはかなさを表す場合に使われます。木槿のような見事な花も、その命は一日しか続かないように、栄耀栄華も長くは続かないものだと。

◇松樹千年・槿花一日
 「槿花一日の栄」の出典となった白居易の詩は「槿花一日」の前段に「松樹千年」という言葉が登場します。どうやら白居易は「槿花一日」を単にはかないものの喩えとしたわけではなさそうです。白居易は(前略)松樹千年終に是れ朽ち、槿花一日自ずから栄を為なす何ぞもちいん世を恋うて常に死を憂うるをまた身を嫌いてみだりに生を厭うことなかれ(後略)と詠っています。松は千年生き続けるというがついには朽ち果てる。木槿の花はわずか一日の命であるが、その一日は美しく輝いている。いつまでも生き続けたいと死を恐れることもないし、自らを嫌い生き続けることを厭うこともない。木槿の花の一日の命が、松の千年の命に劣るものではなく、またその逆でもない。浅薄な判断基準によって価値を計ることに拘泥するより、あるものをあるがままに受け入れようと白居易はいっているように思います。

◇木槿の季節の終わり
 近所の小さな公園に木槿の木があり七月の中頃から花を咲かせていました。十月に近い今でも、いくつかは花を咲かせていますが、木槿の花を見る季節もそろそろ終わりに近づいています。花の季節の終わろうとしている木槿ですが、花の跡には代わって実(種?)がつき始めています。その一つの花だけを見ればわずか一日の栄華と見える木槿ですが、その短い栄華の跡には、文字通り次の世代の栄華の種が生まれています。(「2021/09/24 号 (No.5473) 」の抜粋文)
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【彼岸花】(ひがんばな) [日刊☆こよみのページ]

【彼岸花】(ひがんばな)
 ヒガンバナ科の多年草。田のあぜ・墓地など人家近くに自生。秋の彼岸頃、30センチメートル内外の一茎を出し、頂端に赤色の花を多数開く。花被は 6片で外側に反り、雌しべ・雄しべは長く突出。冬の初め頃から線状の葉を出し、翌年の春枯れる。有毒植物だが、鱗茎は石蒜(せきさん)といい薬用・糊料とする。カミソリバナ。シビトバナ。トウロウバナ。マンジュシャゲ。捨子花。天蓋花。秋の季語。 《広辞苑・第六版》

◇ある日ニョッキリ
 ある日、田んぼのあぜ道や庭の隅にニョキニョキッと黄緑の柄が伸びてきて、伸びてきたと思ったらその、その二三日後には柄の先端に真っ赤な花を咲かせている彼岸花。芽が出て葉を膨らませ、その葉にたっぷり陽を浴びてから花を咲かせるというのが普通の植物。物事には順序というものがあるだろうと、そんな説教をしてしまいたくなるほど、彼岸花は風変わりなおかしな花です。もちろん説教したって彼岸花が花の咲き方を変えるはずはありませんけれど。

◇海を渡ってきた彼岸花
 彼岸花はその名の通り、秋のお彼岸の頃に咲く花で東北地方の中部から九州に至る広い地域でその花を見ることが出来ます。これほど広く広がった彼岸花ではありますが実は有史前帰化植物であって、日本に自生していた植物ではないと考えられています(原産は中国)。どのような経緯であったか、正確なところは分かりませんが今でも彼岸花が人里とその近辺に多く、山林や草原などで見かけることがないことを考えると、どうやら人とともに海を渡って人とともに拡がった植物のようです。

◇天上に咲く紅い花
 彼岸花には沢山の異称がありますが、中でも一番有名なものは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ではないでしょうか。曼珠沙華とはサンスクリット語で「天上に咲く紅い花」を意味するのだそうです。法華経が説かれるときに瑞祥として天から降る四種類の華(四華)の一つともされています。

◇不吉な名前も
 彼岸花の異称には不吉なものも沢山あります。

  死人花・地獄花・幽霊花・厄病花・捨子花

 などがそれです。こうした不吉な名前が付いたのは、この花が墓地に多く見られること、球根にも柄にも葉にも花にも、アルカロイド系の猛毒を持つこと、飢饉の際の非常食であったことなどと関係があるようです。墓地で多く見られる理由は、この植物が有毒植物であることから、土葬が一般的だった時代には、埋葬した遺体を野犬などが掘り起こして食い荒らすことを防ぐため、彼岸花を墓地に植えたためだと考えられます。

◇最後まで風変わりな植物
 花の咲かせ方が風変わりな彼岸花ですが、その花の形も風変わり。誰かがデザインしたんじゃないか? 天然自然にあの形になったとは、どうしても思えない不思議な、そして見事な形です。花が終わると、次は実が出来て種が出来る、普通の植物ならこうですが彼岸花には種は出来ません。彼岸花は花が咲いても種が出来ない徒花(あだばな)なのです。彼岸花が種も作らず花を終えてしまった後に起こることは、今まで一度も登場しなかった葉っぱが姿を現し伸び出すこと。葉っぱが出る時期には花が終わってしまっているので、彼岸花の花は葉を見ず、葉は花を見ずということになります。彼岸花は最後まで風変わりな植物です。(「2021/09/17 号 (No.5466) 」の抜粋文)
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「秋の七草」の季節です [日刊☆こよみのページ]

□「秋の七草」の季節です
 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
 萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花また藤袴 朝貌の花 (山上憶良)

 秋になると、思い出すのは秋の七草の名。そして浮かぶのはこの山上憶良の七草ですが、藤袴などは見つけることが難しいです。秋の七草というと、どうしてもこの憶良の選んだ七つの名が浮かびますが、何も秋に咲く花はこの七種類だけというわけではありません。それどころか秋は、多くの花の咲く季節ですから、七つに限定するのは・・・悩んでしまいますね。いろいろな「七草」が出来そうです。そう思うのは何も私だけではありません。花の好みも、時代によって変わるでしょうし。そんな訳で「新秋の七草」というものが既に過去にも考えられておりました、例えば昭和10年に、東京日日新聞社(現在の毎日新聞東京本社)が当時の各界の名士に依頼して選んだものがあります。

  コスモス 白粉花 秋海棠 葉鶏頭 菊 彼岸花 アカノマンマ

 がそれです。アカノマンマは犬蓼(いぬたで)の異称ですが、私にもアカノマンマのほうが花のイメージが湧きます。子供の頃そう呼んでいたもので。それに、秋の七草に選ばれてもその呼び名が「犬蓼」だと、ちょっと悲しい気もしますし(「犬のどこが悪い!」と愛犬家の皆さんに怒られそうですが他意はありません。私も犬、好きです)。この他にも、昭和55年に植物学者の本田正次博士らが選んだ

  ホトトギス ノギク カルカヤ ヒガンバナ マツムシソウまたワレモコウ リンドウの花

 というのもあります。読みの調子は、憶良の歌にあわせてあってよい感じですが、「カルカヤ」ってどんな花だったかな?きっとこの他にもいろいろな「新秋の七草」が提案されていることでしょうが、どうも決定版と呼べるものは現れていないようです。それならどうでしょう、自分なりの秋の七草を考えてみるというのは。秋の七草は、何か決まった七つでなければいけないというわけではありませんから。沢山の花の咲くこの季節、その多くの花の中から、自分の秋の七草を探して見るというのは、楽しい作業かも。あ、「カルカヤ」って、これのことだったのか!作業の中で、そんな発見もあるかもしれませんよ。(「2021/09/15 号 (No.5464) 」の抜粋文)

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重陽の節供 (ちょうようのせっく) [日刊☆こよみのページ]

□重陽の節供 (ちょうようのせっく)
 明日は九月九日。九が重なる日なので「重九(ちょうく)」とも呼ばれる日です。この重九の日は重陽の節供と呼ばれます。重陽の節供の「重陽」とは、陽数が重なった日と言う意味です。節供という行事が生まれた頃の昔の中国では、物事を全て陰陽の性質でその関係を説明しようとする陰陽説という考えが広く普及していました。この陰陽説では数字は陽の数である奇数と陰の数である偶数とに分かれると考えられており、「九」は一桁の数字としては陽数である奇数の最大の数と言うことで、陽数の極み、陽数の代表と考えられ、その陽数の代表数が重なる日なので「重陽」と呼ばれるのです。

◇五節供
 昔から日常の日々の生活の間に特別な日を設けてこれを祭り、一年の巡りにメリハリを付けていました。そうした特別な日の一種として節供があります。節は区切りであり、一年を区切る「季節」の節でもあります。そうした区切りの日に、供物を供えて天地や先祖を祀るというのが本来の「節供」の意味です。こうした節供は年に 5回あり、総称して五節供と言います。五節供には、

   人日(じんじつ)
   上巳(じょうし)
   端午(たんご)
   七夕(しちせき)
   重陽(ちょうよう)

 の 5つがあります。重陽の節供はこの五節供の最後と言うことになります。

◇刈り上げの節供
 重陽の節供の時期は新暦では少々早まってしまいましたが、本来であれば主要な農産物、米の収穫が済んだ後の節供として、一種の収穫祭の様相を示してきました。このため別名「刈り上げの節供」とも呼ばれます。稲刈りが済んだことを祝う節供という意味合いでしょうか。こうした収穫物を祝う行事は古くからあったものと思われますが、そこに平安時代に大陸からもたらされた五節供の一つとが結びついて刈り上げの節供となったのでしょう。かつては経済生活の基盤が「米」でしたから、この収穫を祝う重陽の節供は節供の中でも特に重要視された行事でした。江戸時代は、節供毎に諸大名が江戸城に登城して節供の祝いをするのが習わしでしたが、重陽の節供はその中でももっとも重要な節供であったと言われています。

◇菊の節供
 節供には、それぞれその節供の行われる時期に目立つ吉祥の植物の名を冠した別名があります。例えば三月の上巳の節供は桃の節供という具合です。重陽の節供もまたこうした別名を持っており、その別名となった植物は菊。重陽の節供は別名、菊の節供とも呼ばれています。この別名となる植物と節供行事とは結びつきがあって、節供行事にはこの節供植物が何らかの形で顔を出すことが多いのです。重陽の節供と菊もまたその例外ではありません。重陽の節供には、菊の花を愛で長寿や家族の繁栄を願う観菊の宴や、菊の花を浸した菊酒での祝いなどが行われていました。やがてこれが「菊合わせ」という菊の花のコンクールへと発展し広がりました。現在の菊の品評会や菊人形などの行事も、元をただすと重陽の節供にたどり着くものなのです。

◇「くんち」として残った重陽の節供
 重陽の節供は、五節供の中では一番廃れた節供と言えるかもしれません。いつも節供の時期には「本日は○○の節供・・・」とニュース番組の冒頭で一度は言われるものですが、この重陽の節供に限って言うと、まずそうした場面に登場することがありません。では完全に消えてしまったかというとこれが意外なところで残っています。それが、九州などで祭りを意味する「くんち」。有名なところでは、「長崎くんち」とか「唐津くんち」などがそれ。この「くんち」は「九日」から来ているもので、本来は重陽の日に行われた祭なのでした。既に説明したように、重陽の節供は農産物の収穫祭としての刈り上げの節供の性質があります。この収穫祭としての性格が秋祭りとして定着し「くんち」として現在に残ったものです。

◇重陽の日には高い場所へ
 古代中国では重陽の節供には近隣の山や丘などの高台に家族で登り、長寿と家族の繁栄を祈ったと言われます。明日の重陽の日、晴れたらどこかの高台に登って夕日を見ながら、長寿と繁栄を祈ってみましょうか?(「2021/09/08 号 (No.5457)」の抜粋文)


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「八月大名」と「二八月荒れ右衛門」 [日刊☆こよみのページ]

■「八月大名」と「二八月荒れ右衛門」
 今年2021年は今日、9/7から旧暦の八月の朔日にあたりますので、旧暦の八月や八月朔日にまつわる話を少々。

◇「八月大名」の話
 まずは目出度い話から。旧暦が使われていた時代には「八月大名」という言葉がありました。一年中、自然と向き合い、忙しい日々を過ごしている農家の人たちですが、この時期は丹精込めた稲たちも大きく育って、後は刈り入れを待つばかりとなり、ちょっと一息。骨休めして、後は怖い台風さえ来なければ万々歳。まるで大名のように安楽な日が過ごせる(大名は大名で大変だったでしょうけれどね)月でした。また、八月は農閑期となると云うことで、忙しい時期には行えない諸行事、法事や嫁取りなどが集中するという月でもありました。こうした行事には祝いの膳が並ぶわけですので、連日ご馳走がいただける、楽しい月であったことでしょう。こうして生まれた言葉が「八月大名」でした。

◇「二八月荒れ右衛門」の話
 目出度い話の後はちょっと心配な話。「二八月荒れ右衛門」の話です。二八月荒れ右衛門とは、旧暦の二月と八月は嵐の多い月だということから嵐への注意を喚起するために生まれた言葉です。旧暦の二月、八月はそれぞれ春分、秋分の時期の月で季節が大きく変わる時期、天候が荒れる日が多い月だったのでした。既に書いたとおり八月は収穫の月でしたが、同時に台風が来襲する月でもあり、十分な備えをしておかないと、折角一年丹精した稲が収穫目前で駄目になってしまうこともあったわけです。今でもこの季節には台風が日本に接近し、被害が発生する季節です今なら、気象衛星の情報などで、台風襲来の時期や、台風の経路などはある程度、事前に予測してそれに応じた対策もとれるようになりましたが、そんなものが無い時代には、風が強くなったなと思ったら翌日には立っていることも難しい強風豪雨となって、収穫前の稲をなぎ倒して行くといったこともあったことでしょう。そう考えると台風は、今の何倍も恐ろしい自然の災害だったのです。そういえば、嵐に注意すべき日とされた三大悪日、二百十日(8/31)・八月朔(9/07)・二百二十日(9/10)はみなこの時期に集中しています。三大悪日の一つ、「八月朔」は八月朔日の意味ですから、まさに旧暦八月の始まった今日も、三大悪日の一つだったわけです。出来ることなら、今年の旧暦八月は「二八月荒れ右衛門」はほどほどで、楽しい方の「八月大名」がいっぱいとなって欲しいところです。そうなってくれるといいですがね。どうでしょう?(「2021/09/07 号 (No.5456)」の抜粋文)
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【禾】(〔音〕カ〈クヮ(漢)〉〔訓〕のぎ) [日刊☆こよみのページ]

【禾】(〔音〕カ〈クヮ(漢)〉〔訓〕のぎ)
 [意味]
  1.稲。穀類の総称。「禾本科」
  2.稲などの穂先についている毛。のぎ。のげ。
 [解字]
  解字穂先のたれた植物を描いた象形文字。

【のぎ】(芒)
  1.イネ科の植物の花の外殻(穎(えい))にある針のような突起。のげ。〈新撰字鏡7〉
  2.(「禾」とも書く)金箔・銀箔を細長く切った切箔(きりはく)の一種。
   砂子などとともに絵画や装丁の飾りに用いる。野毛(のげ)。
   《広辞苑・第六版》

 「禾」については漢字の偏の一つ「ノギ偏」としてはよく知られていますがこの文字単体ではあまり一般的な文字とは云えません。このあまり一般的でない文字を採り上げたのは、9/2~9/6(2021年)が、七十二候の四十二番目、処暑の末候にあたる「禾実る」だからです。さて、「禾実る」書いてどんな風に読むかですが、Web こよみのページでは「こくもの みのる」と紹介しています。「のぎ みのる」でもよいかなと思ったりもするのですが、「のぎ」だと、最初に書いたとおり「なんのこと?」と意味が通じない可能性が高そうです。こんなあまりなじみの無い「禾」ですが、稲の穂に見えるあのとげとげが禾です。今頃は多くの地方でこの「禾」をつけた稲穂が頭を垂れ、稲刈りを待つ時期に当たります。もしどこかで、そうした稲穂を目にする機会があったら、「これが禾か」とノギの姿を確認してみてください。(「2021/09/04 号 (No.5453) 」の抜粋文)
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