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【草木塔】(そうもくとう) [日刊☆こよみのページ]

【草木塔】(そうもくとう)
 切り倒した草や木の霊を鎮めるために立てた塔。草木供養塔。《広辞苑・第七版》

 自然石に「草木塔」「草木供養塔」「山川草木悉皆成仏」などの文字が刻まれた供養塔が草木供養塔です。山形県の米沢市を中心に約 170基の草木塔が見つかっているそうです。おそらく未発見のものもあるでしょうから、実際の草木塔の数はもう少し多いかもしれません(米沢市周辺以外でも、東日本には若干の草木塔が存在しています)。人間はいろいろなものを利用し、またいろいろなものの命を奪って生きていかざるを得ません。動きもせず、切り払っても悲鳴もあげない草木にも命があります。草木塔は、人間が生きてゆくために刈り取ってしまった草や切り倒してしまった木への感謝や、そうした草木を生み育てる自然への畏怖から建立された供養塔なのでしょう。

 現在確認されている最古の草木塔は、安永 9年(1780)に米沢市大字入田沢に建立されたものだそうです。安永 9年の米沢といえば、武士だけでなく、領内の民衆すべての教育に熱心に取り組んだ名君、上杉鷹山公が藩主の時代です。草木塔の建立が鷹山公の教化の結果なのか否か人々がどんな思いから草木塔を残したのか今となってははっきりしたことはわかりませんが、草木塔を残した人たちがいたことを思い出すことによって、草や木への感謝や畏敬の心思い出すきっかけとしたいものです。

                          (「2022/08/26 号 (No.5809)」の抜粋文)



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【処暑】(しょしょ) [日刊☆こよみのページ]

【処暑】(しょしょ)
 (暑さがおさまる意)二十四節気の一つ。太陽の黄経が150度の時で、暑さが止み、新涼が間近い日。7月の中(ちゅう)。太陽暦の8月23日頃に当たる。 《広辞苑・第七版》

 「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」

 これは天明七年(1787)に出版された暦の解説書『暦便覧』の処暑の説明です。簡単にして明瞭に、処暑という言葉を説明してくれています。このころには萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃。ただし、処暑のころから秋分の頃までは台風のシーズンでもありますので、「心地よい」とばかりは言っていられませんが。現在の二十四節気は、広辞苑の説明にあるとおり、太陽(の中心)の黄経で区切る定気法(ていきほう)という方式によっており、処暑の始まる位置はこの黄経が 150度と定められています。今年(2022年)に太陽中心がこの位置を通過するのは8/23の午前10時(日本時)頃ですから、処暑の期間は8/23から始まります。こうした定気法による二十四節気は、現在の旧暦の基となっている天保暦から採用されたものです。天保暦の施行は西暦1844年ですから、案外にその使用の歴史は浅いものです。定気法以前の二十四節気はどのような方式によっていたかというと、これは平気法(へいきほう)と呼ばれるものでした。平気法の原理は冬至と次の冬至の瞬間を求め(当時の瞬間については、定気法と同じ)、二つの当時の間の時間の長さを24等分するという方式です。どちらの方式で求めたものでも、二十四節気そのものの時期は大きく異なることはなく、ずれの大きな所でもその差は精々2~3日程度のものですから、平安の昔も今も、処暑の時期は変わらないと考えてもよいでしょう。もちろん、1787年に刊行された前出の暦便覧が書かれた時代も同じこと。暦便覧の言葉のように、暑さが止んで、涼しさが近づく季節となったはずです。さてさて、本当にそうでしょうか?ここから先は、皆さんの感覚にゆだねることにいたします。

                         (「2022/08/23 号 (No.5806) 」の抜粋文)
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【木槿・槿】(むくげ) [日刊☆こよみのページ]

【木槿・槿】(むくげ)
 アオイ科の落葉大低木。インド・中国の原産で、日本で庭木・生垣として広く栽培。高さ約3メートル。枝は繊維が多く折れにくい。夏秋、一重または八重の淡紫・淡紅・白色などの花をつけ、朝開き夜しぼむ。白花の乾燥したものを胃腸カタル・腸出血などに煎じて用いる。古くは「あさがお」といった。大韓民国の国花。はちす。きはちす。ゆうかげぐさ。もくげ。秋の季語。〈伊呂波字類抄〉《広辞苑・第七版》

 木槿は梅雨の終わり頃から秋にかけて咲くアオイ科の落葉低木です。日本では庭木や生け垣として広く栽培されている植物ですので、その大きな花を見かけることも多いと思います。同じアオイ科の花には、咲く時期もほぼ同じ芙蓉(ふよう)があります。どちらの花も正面から見ると丸い大きな花です。こうした花は貌花(かおばな)とも呼ばれます。その丸い大きな形が人の顔(貌)に見えるからでしょうか。ちなみに植物としてはまったく種類の異なるアサガオやヒルガオもその見た目から同じく、貌花と呼ばれます。

◇朝開暮落花

  それがしも其の日暮らしぞ花木槿  一茶

 木槿は朝に開いた花が夕方になると萎む一日花なので「朝開暮落花」という異称があります。朝に咲いて日暮れにはその命を終わらせてしまう花ですが翌日になればまた別の蕾が開き、花は秋の初めまで咲き続けます。この季節、沢山の花をつけた木槿の木の下には、昨日の朝に咲いて夕暮れに散った木槿の花が落ちています。力強さと儚さを同時にかいま見せてくれる「朝開暮落花」、それが木槿の花です。

                         (「2022/08/21 号 (No.5804) 」の抜粋文)
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【涼風】(すずかぜ) [日刊☆こよみのページ]

【涼風】(すずかぜ)
 夏の末に吹く、秋を感じさせる涼しい風。りょうふう。夏の季語。
 「涼風やほのみか月の羽黒山」(芭蕉) 《広辞苑・第七版》

 「りょうふう」と読めば漢詩風になりますが、本日は「すずかぜ」と読んでみました。「すずかぜ」と言えば七十二候の第三十七候、立秋の初候が「涼風(すずかぜ)至る」 (8/7~8/11頃)立秋の初候ですから、涼風は暦の上では「秋の始め」の風となりそうですが立秋の頃は体感的にはまだまだ夏ですから、「涼風」は辞書の語釈にあるとおり夏の末に吹く風というのが妥当な気がします。暑い日の中にもふと涼しさを感じさせる風が吹くと、夏の終わりがそこまで来ていることが実感できます。今日は2022年の立秋の日ですが、私が住む街の天気予報では最高気温の予報は32℃。今日は朝から曇りで過ごしやすい日なのですがそれでもこんな気温です。まだまだ暑い夏の内ですね。しかし、それでも早朝には涼しい風が吹いていました。日一日と、この涼しい風が吹く日が増え、気がつけば季節は夏から秋へと変わっていたということになるのでしょう。暑くてつらい日本の夏ですが、暑い夏も去って行くのだと思うと一抹の寂しさも感じてしまいます。皆さんは、もうどこかで夏の末の、そして秋の初めの涼風を感じていらっしゃるでしょうか?(「2022/08/07 号 (No.5790)」の抜粋文)


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【夕立】(ゆうだち・ゆだち) [日刊☆こよみのページ]

【夕立】(ゆうだち・ゆだち)
 (一説に、天から降ることをタツといい、雷神が斎場に降臨することとする)
 1.夕方、風・波などの起り立つこと。風雅和歌集夏「夕立の風にわかれて行く雲に」
 2.夕方、急に曇って来て激しく降る大粒の雨。夏の夕方に多く、発達した積乱雲によって起り、
  雷を伴いやすい。白雨(はくう)。夕立の雨。夏の季語。
  李花集「夕立はみかさとりあへず過ぎぬれど」
                               《広辞苑・第七版》

 本日は、七十二候の「大雨時々降る」の候に入る日と言うことで、時々に降る大雨ということで、夕立という言葉を採り上げました。古語に「ゆふだつ」という言葉があり、夕方に向かって風、波、雲が急に起こることを云ったそうだ。「夕立」はこの「ゆふだつ」の名詞形。暑い夏の日、夕方などに急に烈しく降る雨。「夕立は馬の背を分ける」とか「牛の背の片側には降らない」などと云われることがあるほど、その降り方が局地的である場合が多い。通り一本隔てて一方は雨降り、一方には陽が当たるなどということもあります。これは、夕立が発達した積雲や積乱雲の下にだけ降るためです。遠くからこの様子を眺めると、まるで雨のカーテンがある如く、クッキリと雨の領域とそうでない領域が別れて見えます。近頃は都市の特殊な気候と相まって、ゲリラ豪雨と呼ばれるような局所的に災害をもたらすような危険な夕立も出現するようになりました。一雨来て涼しくなったなどと、悠長なことを云ってばかりはいられないことも。夕立は夏の風物詩ではありますが、その風物詩も時代とともに少しばかりその姿を変えてきています。夕立が姿を変えたのではなくて、人間の方が夕立の姿を変えてしまったのかも知れませんが。(「2022/08/02 号 (No.5785) 」の抜粋文)
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