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【おおいぬのふぐり】(大犬の陰嚢) [日刊☆こよみのページ]

【おおいぬのふぐり】(大犬の陰嚢)
 ゴマノハグサ科の二年草。ヨーロッパ原産。明治初期からの帰化植物。畑や道端に普通。イヌノフグリよりやや大きく、高さ15~30センチメートル。早春に、 4弁淡青色の小花をつける。《広辞苑・第六版》

 名は体を表すといいますが、そうでないことももちろんあります。時には、名前で損をしているように思える場合も。名前による損得という観点からすると、この「おおいぬのふぐり」という名をいただいた植物は損をした部類のような気がします。辞書の説明にあるとおり、この植物は早春に 4弁の淡青色の小さな花をつけます。一つ一つの花は小さいのですが、この植物は群れをなしていることが多いので、花期になれば、一面をその小さな花の淡い青色で埋めることも有ります。一つ一つの花は、朝に開いて夕方にはひっそり閉じてしまいます。早春に花をつけるというのは辞書の説明の通りですが、だからといって早春だけに見られる花かというと、そうではありません。可憐な花の割に案外しぶとくて、春の終わりの頃まで、ぽつりぽつりと、その花が開いている姿を見ることが出来ます。それどころか暦の上ではすっかり「夏」になった今頃でもまだ、見掛けることがあるほど。頑張ります。この植物の和名、「おおいぬのふぐり」は漢字で書けば「大犬の陰嚢」。この花のどこを見れば「犬の陰嚢」に結びつくのかと思うのですが、どうやら名前はこの花の姿ではなくて、花が終わった後に出来る実の形から来ているようです。可憐な花の姿に目を奪われることなく、その後の実の姿に着目するとは名前をつけた方の慧眼には恐れ入るものがありますが、そうは思ってもやはりこの花に「大犬の陰嚢」という名前は可愛そうな気がします。この植物の学名は、Veronica Persica(ベロニカ・ペルシカ)。ベロニカは、十字架を背負ってゴルゴダの丘へ歩くイエスを憐れみ、身につけていたヴェールでイエス額の汗を拭ったと伝えられる聖女の名です。そんな聖女の名を学名に戴いた植物の和名が「大犬の陰嚢」とは。もちろん、花が文句を云うはずもありませんけれど。この「おおいぬのふぐり」ですが、地方によっては別名で呼ばれることもあるそうで、その別名は「星の瞳(ほしのひとみ)」。別名でなく、こちらが正式な和名だったら、世間(?)の見る目も多少は違うものになったかも。余計なお世話とは思いながら、この花を見ると、そんなことを考えてしまう私でした。(『2018/05/22 号 (No.4252) 』の抜粋文)
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茂木ビワ、初収穫! [topic]

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今年も茂木ビワを収穫しました(*^_^*)
小ぶりですが甘くて美味しい!
たくさん穫れたのでご近所に配ります。
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【筍の親勝り】(たけのこの おやまさり) [日刊☆こよみのページ]

【筍の親勝り】(たけのこの おやまさり)
 (筍はすぐに親竹と同じ、またはそれ以上の高さに成長することから)子供の成長が早く、またたく間に親をしのぐようになることのたとえ。また、子供が親よりすぐれていることのたとえ。「筍は親に勝る」ともいう。《成語林》

 筍は古くから「たこうな」「たかんな」などと呼ばれ、食用とされてきた歴史があります。季語としては夏の季語となっているのですが、夏と言っても初夏の頃のものでしょう。現在目にすることの多い孟宗竹の筍は晩秋から初夏の頃に顔を出します。七十二候では5/16~20の期間に「竹筍生ず」(二十一候)が割り当てられています(というわけで、本日のコトノハでした)。

◇「旬」は周囲を取り巻くの意味
 「筍」の文字は「竹」+「旬」。旬は一回りとか、周囲を取り巻くといった意味がある文字だそうで、筍が皮に取り巻かれていることからこの文字が生まれたそうです。筍のこの皮、むき始めるとむいてもむいても次々に新たな皮が現れてなかなか大変。皮が無くなると筍本体は意外に細かったりして。筍は大分着ぶくれして地上に姿を現すようです。

◇「旬」は十日の意味?
 「旬」には十日という意味もあります(月の上旬、中旬、下旬などと使う)。筍は生長が早く、十日で筍から竹に変ずるともいわれるますから、そう考えると、十日で竹になってしまう竹の子にこの「旬」の文字が使われたのには何かの意味があるのでしょうか。こよみのページとしては、その方が話が作りやすくていいのですけれど。さて、子を持つ身としてはこの「筍の親勝り」のように子供が成長することを望みたいところですが、「瓜の蔓に茄子はならぬ」ともいいます。さて、どうなりますか。
(『2018/05/16 号 (No.4246) 』の抜粋文)
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朝、撮りました! [topic]

朝起きると雨戸を繰り菜園を見て回ります。
今朝はこんなものに目が止まりました(*^_^*)

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ブラックベリーの花

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クサイチゴ

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???、ニンジンの花

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ニンニクの花茎の先端、総苞(そうほう)

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キュウリ

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ミニトマト

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ユウゲショウ(夕化粧)

撮影日:2018.05.13


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グリーンピースとソラマメ! [菜園便り]

夕食前の一時、ナスに水遣りをしてグリーンピースとソラマメを収穫する。
豊作で出来具合も良いようです(*^_^*)

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グリーンピース

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ソラマメ
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立夏(りっか) [日刊☆こよみのページ]

□立夏(りっか)
 太陽中心が視黄経45度を通過する日。旧暦四月節。八節の一つ。立夏は、暦の上での季節の始まりを示す立春・立夏・立秋・立冬の一つ。夏の始まりを示す日です。2018年の立夏は、明日 5/5です。(ということは、本日 5/4は「節分」です)

 「立」は旅立ちなどで使われる「立」。始まりを表す言葉です。立春・立夏・立秋・立冬という 4つの「立」を総称して四立(しりゅう)といいます。四立と、冬至・夏至・春分・秋分の二至二分(にしにぶん)をあわせると、八節(はっせつ)となります。二至二分にはそれぞれ、目に見える特徴があります。冬至・夏至はそれぞれ太陽がもっとも南、あるいは北から昇る日で、昼がもっとも短いあるいは長い日です。春分・秋分は太陽が真東から上り真西に沈む日で、昼と夜の長さが同じになる時期でもあります。それに対して、同じ八節の仲間であっても四立には、そうした目に見える何かはありません。四立は、太陽の動きなどとは直接関係なく生まれたものなのでしょう。二至二分は四季といわれる 4つの季節のそれぞれの極み。季節の中心と考えられるものです。だとすれば季節の中心と中心の中間地点は、季節の始まりであり終わりの時点を示すものだと考え、この季節の始点でありまた、終点でもある点に四立の名を与えたものと考えます。つまり同じ八節にあっても、

  ・二至二分は暦を作るためのもの
  ・四立は暦が出来て以後生まれたもの

 という違いがあるのだと私は考えています。四立にだって例えば「太陽中心が視黄経の45°を通過した日」という天文学的な意味があるではないかと仰る方もいらっしゃるでしょうが、この定義は後から「四立に相応しい明確な定義」として作られたものであって、四立の成立に先立つものではありません。そう考えると二至二分より、四立の方がより暦的な記述と言えるかもしれません。二至二分と四立の八節がやがて、月の満ち欠けから始まった一年を12の月に分割する方式と出会って生まれたのが、おなじみの二十四節気。暦がどんな風に発達してきたのだろうかと、夏の初めのこの時期に、その誕生の秘密を推理してしてみても面白いかもしれませんね。(『2018/05/04 号 (No.4234)』の抜粋文)

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夏も近づく八十八夜 [日刊☆こよみのページ]

□夏も近づく八十八夜
 今日は八十八夜。八十八夜といえば、小学唱歌の「茶摘(ちゃつみ)」の歌が思い出されます。

  夏も近づく八十八夜  野にも山にも若葉が茂る  あれに見えるは茶摘じゃないか
  あかねだすきに菅(すげ)の笠

  日和つづきの今日此頃を  心のどかに摘みつつ歌う  摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
  摘まにゃ日本の茶にならぬ

 実際には茶摘みの風景など見たこともないのに、子供の頃からこの歌を唱っていたためか、八十八夜と聞くと姉さんかぶり(きっと「菅の笠」が想像出来なかったから)の茶摘み娘がお茶の葉を摘む姿が目に浮かびます。しかもバックは青空を背景とした富士山。きっとTVドラマの水戸黄門のエンディングか何かで見た映像でしょうね。

◇八十八夜とは
 この八十八夜は暦の上では「雑節(ざっせつ)」と呼ばれるものの一つです。日本では長らく中国から伝わった太陰太陽暦が、そして明治以後は西洋から輸入され太陽暦が使われてきましたから、暦に書き込まれる様々な情報の多くは、舶来ものなのですが、雑節は国産品です(「半夏生」のような、微妙なものもありますけれど)。八十八夜に関しても、日本独特の記述で中国などの暦には見られません。八十八夜は、昔は稲作の始まりの時期の目安であり、また最後の霜降りの時期の目安でもありました(もっとも遅霜の話は関東以西ではの話。甲信越、東北や北海道などでは、まだまだですね)。どちらの意味においても農業の上では重要な節目となる日ですから、これを忘れないようにと暦に取り入れられたもの、暦の暦日と実際の季節とを結びつけるための季節点(季節の目印)の一つです。ちなみに、この八十八夜の「八十八」は組み合わせると「米」という文字になります。また、「八」は末広がりの目出度い文字ということもあって、稲作りの始まりの時期の目印として八十七夜でも八十九夜でも九十夜でもなく、八十八夜にあたる日が選ばれたようです。

◇八十八夜は太陽暦?
 八十八夜は、立春の日から数えて88日目。今年の立春は 2/4ですから、八十八夜は本日、 5/2です。このメールマガジンの読者の方には既に常識だと思いますが、この八十八夜の計算の基点となる「立春」は太陽の位置で決まります(太陽の中心の黄経が 315°となる日)。基点となる立春が太陽の位置で決まり、あとは一定の日数(87日)だけ離れた日が、八十八夜になりますから、八十八夜も太陽の位置で決まってしまいます。大体太陽の視黄経が41°あたりになります。新暦では、 5/1か 5/2あたりが毎年八十八夜になります。新暦では毎年ほとんど同じ日付になってしまうため、立春からの日数をわざわざ数えなくとも、 5月にはいるとすぐに八十八夜。わざわざ数えるまでもなくなったために特記する必要もなくなり、暦の上での八十八夜の存在感は薄らいでしまったようです。

◇夏も近づく八十八夜
  5月に入って早々に「夏も近づく」といわれると、ちょっと気が早すぎるような気がしてしまいます。「茶摘」を唱っていた小学生(の低学年)の頃もこの点は何か引っかかっていました。小学生の感覚からすると、夏は夏休みがある7~8月でしたから 5月じゃないよなと感じていました(ま、といいながら「夜も眠れないほど深く悩んだ」わけじゃないですけどね)。大人になった今は、茶摘の歌詞の「夏も近づく」とは、暦の上の夏の始まりである立夏の日を意識したものだとわかりますから、小学生の頃の私の浅い悩みは解消いたしました。ああ、安眠できます。解決する前も、よく寝てましたけれどね。立夏は八十八夜の基準となる立春と同じく太陽の位置で決まっています。よって、八十八夜と立夏の関係も新暦(太陽暦)では大体いつも同じ。八十八夜の大体3~4日後(今年は5/5ですから 3日後)あたりが立夏です。夏も近づく八十八夜。まさにそのとおりですね。

◇八十八夜と茶摘み
 茶は、中国の西南部が原産地だとされています。もともとは「薬」として輸入され、平安時代には宮中ですでにお茶が飲まれていたそうです。もちろん当時は薬効のある飲み物として。(暦とは無関係ですが、紅茶も緑茶も基本的には同じお茶の木の葉。そこからの製法、発酵の度合いの違いだそうです)現在のような喫茶の習慣が定着したのは鎌倉時代から。僧の栄西が中国から抹茶を持ち帰り、これを飲むことが寺院を中心に広がり、やがて武士などにも広がっていったものです。ただこの辺まではまだ「お茶を飲む」のにも手間がかかっていましたから、それこそ「日常茶飯事」というくらい手軽にお茶を楽しめるようになったのは、江戸時代の初め頃に煎茶の製法が確立されたからとか。特に八十八夜の頃に摘まれたお茶の葉で入れたお茶は甘く上等であるといわれたことから、この日に茶摘みを行うという行事も生まれたようです。また、この日に摘まれた新茶は贈答品としても喜ばれました。ただし先に書いたとおりお茶は鹿児島から新潟までと広い範囲で栽培されていますから、どこでも彼処でも八十八夜のお茶がよいわけでは有りません。それぞれの地域にあった「旬のお茶」を楽しむのが一番です。とはいってもどの地域でも、あと一月もすれば、新茶が出回るようになるでしょうから、美味しい新茶をいただく場面を想像しつつ、本日の暦のこぼれ話を終えることにします。(『2018/05/02 号 (No.4232) 』の抜粋文)

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