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田の実の節供と八朔 [日刊☆こよみのページ]

□田の実の節供と八朔
 本日は旧暦 8/1。八朔(はっさく)とも呼ばれる日です。八朔は、二百十日、二百二十日と並ぶ悪天候の厄日で、三大悪日などとも呼ばれる日。今年(2023年)の日付で見ると

  9/01 二百十日
  9/11 二百二十日
  9/15 八朔

 という具合にいい按配に並んでいます。今年の八朔は三大悪日の最後を飾る(?)ことになりました(去年は先頭を切っていましたけれどね)。新暦の8月末~9月といえば台風シーズンですからその間にきれいに収まったこの三日が三大悪日と呼ばれるのは、なるほどと納得出来る感じですね。さて、八朔の時期の嵐が特に恐れられた理由としてこの時期が稲作における収穫の直前の時期にあたるからと考えられます。一年かけた収穫の直前で嵐によって、田の実りが台無しになる恐怖は相当なものだと想像出来ます。何とかこの時期に嵐が来ず、無事に収穫が得られることを、それこそ神仏にたのみたいような日だったと思います。この思いからか、八朔の日には別の呼び名が出来ました。それが今回のタイトル、田の実の節供です。

◇田の実の節供
 「たのみの節供」は「田の実の節供」とも「頼みの節供」とも書きます。元々八朔の日には農家の人たちが田の神に供え物をして豊作を祈る行事でした。そのうちに、収穫したばかりの早稲の稲穂を知人や主家など、世話になることの多い人に送って豊作を祈願する祝いの日となりました。田の神に豊作を祈ることから「田の実」であり、いつも世話になる人々を通して「神頼み」する日であったわけです。かつてはこの時期は稲の穂が出始める時期だったため、この時期に大きな嵐が来ないことを必死で頼み込んだのでしょう。

※明治以降急速に進んだ品種改良で、現代の稲は早稲種が主流となり、初穂の時期は早まる傾向にありますので「田の実の節供」以前に収穫が終わっている処もあると思います。

◇頼みの節供
 元々は農民の「田の実の節供」でありましたが、日頃お世話になっている人に贈り物をして感謝する日(「これからもよろしくお頼みします」という意味で)ともなりました。「田の実」から「頼み」となると、農民だけの行事である必要はなくなります。こうして「頼みの節供」は町家の間でも流行するようになりました。町家では、頼みの節供にはそれぞれに贈り物をして祝賀する日と捉えられるようになりました。この習慣は武家社会にもやがて浸透して行き、武士の間でもこの日に贈答が行われるようになりました。ただしこちらは「八朔の祝い」などと呼んだようです。

◇徳川の時代の八朔の日
 「八朔の祝い」が武家の間にも広がったのにはもう一つ理由があります。それは、徳川家康が始めて江戸城に入った記念の日が「八月朔日」、つまり八朔の日だったと言うことです。徳川幕府においてはこの日は目出度い記念日。諸大名や直参旗本たちはこの日は、白帷子の正装で江戸城に登城し、将軍家に祝詞を述べる日となっていました。やがて、この武家の白装束の登城の様子を模すように有名な遊郭であった吉原でも、遊女たちが白無垢の装束に身を包んで花魁道中を行うようになりました。町人たちはこの日、なじみの遊女にこの白無垢や、純白の絹布団など、豪華な贈り物を競い合って行うようになり、この豪華さの競争が江戸の町の話題をさらう年中行事となったそうです。はじめは田の収穫を祈る行事から花魁道中まで、一つの行事でも時代と共に人と共に随分変化するものです。さてさて現代の田の実の節供、八朔の日はどんな日になっているのでしょうか?さて、今年の田の実の節供は良い天気。全国の天気予報などを見ても、三大悪日から予想されるような嵐の兆候は見当たりません。きっと本日は、重さを増した稲の穂が秋の陽の下で揺れる景色が楽しめる一日となりそうです。


                          (「2023/09/15 号 (No.6194) 」の抜粋文)
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