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花水木の100年 [日刊☆こよみのページ]

□花水木の100年
 週末は用事で東京におりました。流石に4月も下旬ですので東京も暖かく、桜の花はほとんど残っておらず、ほとんどの桜は葉桜と化しておりました。そんな葉桜の目立つ東京で、桜花に替わって目に付いたのが花水木(はなみずき)の花。沢山の花をつけた花水木の木は、遠くから見るとまるで雪を頂いたように見えていました。花水木の花は桜の散った後の晩春の日本を彩る花の一つ。花の一つ一つは桜の花よりずっと大きく、四枚の花弁(正しくは花弁ではなくて苞葉(ほうよう)と呼ばれる)をもっています。花色は、白色または薄紅色。一昔(二昔?)前に流行った一青窈の「ハナミズキ」の歌詞では「薄紅色」となっている花水木の花の色ですが、今回私が眺めていたのは薄紅色ではなく白い花の花水木の花でした。青い空を背景として咲く花水木の花を見上げるようになると、季節は春から夏へと替わってゆくように感じます。今ではすっかり日本に溶け込んでいる花水木ですが、実はこの花はアメリカ生まれ。「アメリカヤマボウシ」という名前も持つ北米原産の植物です。この、アメリカヤマボウシが日本にやってきたのは1915年、大正 4年のことでした。この花は、日米親善の記念として東京市(当時。市長は尾崎行雄)から贈られ、今では米国の首都、ワシントンD.C.の「ポトマック河畔の桜」として知られるようになった桜の苗木の返礼として、米国から日本に届けられたものです。これだけだとよい話ですけれど、この時日本に贈られた花水木の原木は、そのほとんどが太平洋戦争中に伐採されてしまい、ほとんど残っていないとのこと。親善有効の証として贈られた花水木も、それから30年もしないうちに随分と酷い扱いを受けることになってしまいました。とは言いながら、最初に届けられた木々が切り倒される頃には、花水木はもう日本各地に拡がっていて、今も春の終わりの頃となれば白や薄紅色の花を咲かせています。こうして見ると、日本の晩春を彩る花水木の花ですが、その渡来は1915年ですから、日本での歴史はわずか100年とちょっとということに気づきます。今は日本の風景にすっかり溶け込んでいる花水木の花が100年とちょっと前まで日本にはなかったなんて、何か不思議な気がします。たった百年かと思ってしまいますが、その100年の間に、花水木が見てきた日本や、日本人はどんなふうに変ってきたのでしょうか?花水木に尋ねても、答えてはくれないでしょうね。

                           「2024/04/22 号 (No.6414) 」の抜粋文)
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