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【秋果】(しゅうか) [日刊☆こよみのページ]

【秋果】(しゅうか)
 秋に熟する果物。 《広辞苑・第六版》

 秋が深まり、そこここの枝で色づいた柿の実が深い空の色を背景にして見られるようになってきました。秋に実るという点では栗も蜜柑も秋果なのでしょうけれど、秋果といわれて最初に思い浮かぶものは私の場合はこの柿です。色づいてきたとはいっても、柿色と呼ばれるようなやや赤みの強いオレンジ色にはまだ間があります。まだ熟すところまではいっていないようです。私の場合、熟して柔らかくなり始めた柿よりまだ堅くて甘みは少し足りないくらいの柿が好きなので、今が食べ頃というところでしょう。果物は古くは「菓子」と呼ばれました。現在でも頭に「水」をつけて水菓子といえば、果物を指す言葉になりますが、本来は菓子すなわち果物だったのです。だとすると果物の多くが熟するこの秋は、「お菓子の旬」と言えそうです。旬の食べ物は美味しい。お菓子の旬、美味しい秋果を沢山食べて、実りの秋を実感してみようじゃありませんか。(「2020/10/24 号 (No.5138) 」の抜粋文)
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【霜の声】(しもの こえ) [日刊☆こよみのページ]

【霜の声】(しもの こえ)
 霜のおりた時のしんしんとした感じ。冬の季語。
 田舎之句合「金蔵(かねぐら)のおのれとうなる也霜の声」(其角) 《広辞苑・第六版》

 あるはずもない音、声が聞こえたように思えることがあります。霜は空気中の水蒸気が凍りつき、細かな氷の粒となったもの。氷点下まで冷やされた水蒸気が地表や地表に近い草の葉に触れて結晶化した氷が霜の正体です。気温が 2℃程度まで下がる風の無い夜には、地表付近の温度は氷点下となることがあり、霜が生まれます。霜の元となる水蒸気を多く含んだ空気は上空から供給されるため、屋根で覆われたところには霜が見られません。こうした現象から

  霜はふるもの、おりるもの

 と考えられるようになったのでしょう。空気中の水蒸気が凍りつく音など聞こえるはずもありませんが、寒気につつまれた夜の静寂の中から聞こえるはずのない音が聞こえる。「霜の声」は、冬の夜のそんな気配が耳に達した音なのでしょう。本日は二十四節気の霜降の節入り日。霜の声を耳にする日が近づいています。(「2020/10/23 号 (No.5137) 」の抜粋文)
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【葛の裏風】(くずの うらかぜ) [日刊☆こよみのページ]

【葛の裏風】(くずの うらかぜ)
 クズの白い葉裏を返して吹く風。赤染衛門集「かへりもぞする葛の裏風」《広辞苑・第六版》

 葛は新しく造成された土地や、河川敷の土手を覆い、線路の砂利の間からでも芽を出して伸び出す、生命力の旺盛な植物です。葛の葉は、表は緑色ですが、その裏は銀白色。風が吹くと大きな葛の葉が裏返り、白い道となって風の跡を示します。葛の葉を裏返させるこんな風を「葛の裏風」と呼びます。また、葛が風によって葉の裏を見せるさまを「裏見(うらみ)」と言います。和歌などではこの「裏見」を「恨み」にかけて

  秋風の ふき裏がえすくずの葉の うらみてもなほ うらめしきかな (古今和歌集 平貞文)

 こんな風に詠んだ歌が数多くあります。戯れに葉を裏返しておきながら、行き過ぎて再び戻ってこない風を、葛の葉はどのように思っているのでしょうね。最後に「葛の葉」という言葉にまつわる伝説を一つ。平安時代の陰陽師として知られる安倍晴明(あべのせいめい)の母親は「葛の葉狐」と呼ばれた狐だったというものです。清明の父、安倍保名(あべのやすな)が信太の森を訪れたとき、狩人に追われる一匹の狐を救うことになりました。この時、保名は狩人との諍いで怪我をしてしまうのですが、「葛の葉」という名の女人が現れ、怪我をした保名を介抱してくれました。そうこうするうちに保名と葛の葉の間に恋が芽生え、そして一人の子供が生まれました。それが後の安倍晴明です。親子は数年の間、平穏な日々を送るのですが、ある秋の日に咲き始めた菊の美しさに気をとられた葛の葉は、ついうっかりと狐の尻尾を出してしまって人ではないことを知られてしまいます。正体を知られた葛の葉は

   恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

 の一首を残して保名、清明親子の前から去って、信太の森に帰っていったと云うのが伝説のあらましです。安倍晴明は天文道と陰陽道の両道に達した人物で、鎌倉時代から明治の初めまで日本の作暦を担う役所である陰陽寮の総括者となった土御門家の祖とされる人物。そう考えると、葛の葉と暦とは幾分かの関わりがあると云えそうです。日刊☆こよみのページで採り上げても良さそうですね(無理かな)。秋の一日、葛の葉を裏返す風を眺めながら、葛の葉にまつわるあれやこれやに思いを馳せてみるのはいかがでしょう。そんなときに、そういえば暦のページになんか書いてあったななんて思い出していただけたら嬉しいな。(「2020/10/21 号 (No.5135) 」の抜粋文)
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秋土用の入り [日刊☆こよみのページ]

□秋土用の入り
 本日は土用(秋)の入りです。土用は四季それぞれの間に挿入された期間で、つまり年 4回有ります。夏だけの土用じゃないんです。今回の土用は、秋と冬の間の土用と云うことになります。暦の話では時々耳にする「土用」ですがそれがどんなものなのかちょっと見てみましょう。

◇土用はどうして生まれた?
 土用の生まれは遠く古代中国の戦国時代に遡ります。戦国時代はBC 403年に晋が韓・魏・趙の 3つの国に分裂した年に始まりその国々が秦によって統一されるまでの約 200年のことです。今からざっと2400年前と云うことになります。この時代には五行説(ごぎょうせつ)が発達しました。この五行説とは万物は

  木・火・土・金・水

 の 5つの気の消長によって生まれるという科学的な仮説です(といっても、勿論2400年前のものですが)。この仮説は一種の元素論と言うことが出来ます。自然界に存在する物を 5つの元素によって成り立つものだと考えたわけで、そう云う意味ではなかなか良い考えだったのですが、この考えを、運命や王朝の治乱勃興にまで拡大解釈するようになって道を誤ってしまいました。そして現在は、科学の世界ではなく、占いの世界に生き残っています。様々な物に五行説を敷延して行く中で季節にも五行が当てはめられました。五行説は一種の元素論と言っても、それは大変素朴なもので普段我々が目にする「木・火・土・金・水」の性質でそれぞれを説明したものです。例えば季節への割り振りもこんな具合。

  春 ・・・ 木が芽吹く季節 ・・・ 木
  夏 ・・・ 熱暑の季節 ・・・ 火
  秋 ・・・ 金属のようにひんやりする季節 ・・・ 金
  冬 ・・・ 雪や氷の季節 ・・・ 水

 わかりやすいといえば実にわかりやすい。こう言われれば四季に「木・火・金・水」の四行を割り当てた古代の人々の判断も理解出来ますね。でも待って下さい、割り振られたのは四行であって五行には一つ足りない。何が足りないかというと「土」。五行説提唱者にしてみると、我々のよく見知った季節が「四季」だというのは、ちょっと困るわけです。ですから何とか理由を付けて四季の中に 5つの期間を作る工夫をします。そうして生まれたのが土用です。

◇土用の仕組み
 仮に一年の日数を 5分割すると

  365日 ÷ 5 = 73日

 となります。この日数を春夏秋冬に一つずつ割り当て残った最後の73日(五行の「土」の分)を更に 4分割します。すると一つの期間は18~19日。この期間を四季の終わりの期間に挿入することで何とか、五行全てを四季に押し込むことが出来ました。

◇土用と禁忌
 現在でも建物の基礎工事や、水道工事、農作業などを土用の期間に行うことを忌む風潮があります。これは土用の期間は土公神(どくじん)という土を司る神様が支配する期間なので、土を掘り返したりするとこの土公神様が怒って祟ると云うわけです。水道工事に関しては、土用の期間は土公神が「井戸に宿る」とされたことから井戸を掘ったり、浚ったりすることは特に忌まれたことでしたので、井戸が水道と代わって現代に残った迷信というわけです。しかしよく考えれば、それなら夏には火を、冬には水を使っちゃいけないのかと云うことになりますが、そんな禁忌はありません。迷信の迷信たる御都合主義と言わざるを得ません。さて本日から始まる秋の土用は11/6の節分までの18日間。この期間が過ぎるといよいよ季節は冬となります。土用の期間とその間の「間日」については、

  土用と土用の間日、丑の日計算 http://koyomi8.com/sub/doyou.htm

 をご覧ください。ついでに、「暦と天文の雑学」の一つ、

  土用のはなし http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0420.htm

 もよろしくお願いします。

                     (「2020/10/20 号 (No.5134) 」の抜粋文)
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【木通】(あけび) [日刊☆こよみのページ]

【木通】(あけび)
 (「開け実」の意)アケビ科の蔓性落葉低木。通草とも書く。地に生え、葉は5小葉の複葉。4月頃淡紅紫色の花をつける。果実は淡紫色で長さ約10センチメートル、秋、熟して縦に割れる。果肉は厚く白色半透明で多数の黒色の種子を含み甘く美味。つるで椅子・かごなどを作り、茎の木部は漢方生薬の木通(もくつう)で、利尿剤・消炎剤などとする。これに似て 3小葉から成る葉を持つミツバアケビがある。アケビカズラ。ヤマヒメ。秋の季語。 《広辞苑・第六版》

 秋が深まり、そろそろ木々の葉がその色を変えるころに雑木林に足を踏み入れると、葉の色を変え始めた木々の幹や枝にからみついたアケビの蔓にぶら下がったぱっくりと口を開けた紫色の実を見つけることがあります。小学生の頃は、この時期になると家の周辺の雑木林に入って、アケビ採りするのが楽しくて仕方がありませんでした。雑木林などいくらでもあった福島の田舎でのことです。ある年などは、一日かけてあっちの山、こっちの山へと足をのばして、背負籠一杯のアケビを採ってきたこともありました。アケビ採りに夢中になって、漆の葉にかぶれて、家に帰ってから熱を出したことも今では懐かしい思い出です。あの子供時代から何十年か経った今、八百屋さんの店頭できれいに並べられたアケビの実など見ると、ああもうそんな季節かと熱を出したあの日のことを思い出します。もっとも、背負籠一杯のアケビを採っていた頃には、八百屋さんの店頭にアケビが並ぶ光景を見ている未来のことなど、想像もつきませんでしたけれど。種一杯で食べにくい山の実でしたが、あのさっぱりとしたアケビの甘みは、秋の思い出の味。でも、アケビを八百屋さんで買ってくることには、なんだか抵抗があって今年はまだあの秋の思い出の味を味わっていません。アケビはやはり、自分で探して採って食べたいな。(「2020/10/09 号 (No.5123) 」の抜粋文)
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寒露の頃 [日刊☆こよみのページ]

□寒露の頃
 寒露は二十四節気の一つ、九月節ですので節切りの暦ではこの日から九月となります(今年の場合旧暦はまだ八月二十二日ですが)。寒露は現在の求め方では、太陽の中心が黄道座標という天体の位置を表す座標(主に太陽系内の天体の位置を表すのに使われます)で経度 195度となる瞬間を含む日を節入りの日としており、今年はその日が今日、2020/10/8でした。江戸時代に出版された暦便覧という本では寒露(かんろ)を

  陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也

 と説明しています。このころになると秋もその深さを増して、朝夕は草の上に冷たい露を結ぶようになります。夏草に結ぶ露ならば、露に濡れても暑さを凌ぐ一助ともなって心地よいものですが、寒露の頃の露に触れると、その冷たさに思わず身震いしてしまいます。

◇金生水(きんしょうすい)
 五行説では秋は金気、つまり金属の性質を持った季節とされています。金属は、触れば堅くて冷たいものです。金属のこの「堅い」という性質から、秋は堅い木の実(栗やどんぐり、椎の実など)、穀物の実(稲や大豆)が実る季節なのだと古代の人々は考えました。また、ひんやり冷たい金属の表面には露がつきやすいことから、金属は水を生み出す性質があるとも考えられました。ですから五行説では金気は水気を生むもの、「金生水(金、水を生ず)」と説明されることになりました。こう考えると、金気の季節である「秋」の二十四節気の中に「露」のつく言葉、白露と寒露の二つが含まれる理由もわかります。秋は実りをもたらすとともに、大気を冷やしてせっせと水を生み出す季節なのですね。

◇秋も終盤
 寒露は暦の上の秋の始まりである立秋から数えて60日目頃。一年を四季に分割すれば、一つの季節の長さはおよそ90日ほどですから秋も終盤に入ると云うことが出来そうです。このころになると菊の花が咲き始め、秋の野のにも様々な花を見ることが出来ます。山の木々の葉はそろそろ紅葉の準備に入るころですし、足下の草露は冷たいですけれど、目には楽しい時期といえそうです。さて、寒露を過ぎ、更に寒さが増して行けば、やがて冬がやってきます。冬は五行説では水気の季節。金気の秋が草の上に露を結ぶことを繰り返すと、やがて水気の冬が来る。古代の人々はこうして四季が交替して行くと考えたのでしょう。とっても単純な考えですけれど単純だからこそ、妙に納得出来るものがありますね。(「2020/10/08 号 (No.5122) 」の抜粋文)
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