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いつも月夜に米の飯】(いつもつきよに こめのめし) [日刊☆こよみのページ]

いつも月夜に米の飯】(いつもつきよに こめのめし)
 明るい月夜が毎晩つづき、真っ白な米の飯いつも食べられたら申し分ないということ。「月夜に米の飯」ともいう。[用法]世の中はそんなに甘くないというニュアンスをもって使われることが多い。[類語]いつも月夜に常(つね)九月。 《成語林・初版》

 昔の人の素朴な理想の暮らしを語ったことわざと言えるでしょう。類語として「いつも月夜に常九月」が挙げられていますが、「九月」は収穫の月の意味もあったでしょうから、「米の飯」に繋がるものがあると思いますが、更に気候の面も、暑くも寒くもない九月(旧暦の。大体新暦の十月ごろと思えば良い)は過ごしやすい月だという意味もあったと思います。旧暦九月の月夜と言えば、中秋の名月に並ぶ月見の月とされる「後の月」と呼ばれる九月十三夜の月があります。きっと、稲刈りも無事に終わり、炊きあがった米の飯(または、この新米の米粉で作った団子)を供えて、後の月見を楽しむなんて言うのが、このことわざのいう理想の暮らしに近いのでしょうね。現在は、月夜でなくても明るい夜を作り出してくれる電灯があり、当たり前に米の飯が食べられる。そのうえ、いつでも快適な室温に保ってくれるエアコン普及して、九月でなくても一年中過ごしやすい暮らし。本日採り上げたことわざを作った人達が考えた「理想の暮らし」を多くの人が手に入れています。「昔の方が良かった」とか「住みにくい世の中になった」とか、そんな言葉を耳にすることがありますが、そんな文句を言う前に、少しは文句を言っている私たちの今の暮らしは、昔の人達が夢見た「理想の生活」だということを思い出したほうがよさそうです。こうした暮らしが当たり前に出来るよう、努力を積み重ねてくれたにご先祖様達への感謝も、忘れないようにしたい、そんなことを考えさせてくれた本日の「いつも月夜に米の飯」でした。(「2022/10/02 号 (No.5846) 」の抜粋文)

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