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【郁子・野木瓜】(むべ) [日刊☆こよみのページ]

【郁子・野木瓜】(むべ)
 アケビ科の常緑蔓性低木。暖地に自生。5~7枚の厚い小葉から成る掌状複葉。5月頃、白色で淡紅紫色を帯びる花を開き、佳香がある。暗紫色のアケビに似た果実を結ぶが開裂しない。甘く食用。茎・根などは利尿剤。トキワアケビ。うべ。秋の季語。「郁子の花」は春の季語。〈倭名類聚鈔17〉《広辞苑・第六版》

 秋になると赤紫の楕円形の実が生ります。実は近縁のアケビ(通草)とよく似ていますが、アケビよりやや小ぶり。ただしアケビの実にも小さなものもありますから大きさだけでは区別が難しいのですがアケビとの大きな違いは、実が熟しても口を開かないこと。アケビと違って口の堅いムベです。晩秋には葉を落としてしまうアケビと違って、ムベは常緑。また、芽生えた頃には三葉の葉をつけるのに、その生長に従って葉の数が五葉、七葉と変化することから「七五三」の縁起のよい植物ということで、庭に植えられることもあります。冬にも葉を落とさないことからトキワアケビもと呼ばれます。野生では関東以南の、比較的海に近い場所に好んで自生します。私の生まれ故郷は東北でしたから、アケビはなじみの秋の果実でしたが、ムベの方は関西の海辺の街で暮らすようになってからです。現在、私の自宅は紀伊半島の南端部にほど近い和歌山県の那智勝浦町にあり海岸まで徒歩10分の距離。裏山までの距離はといえば徒歩2分。こんな立地ですので、徒歩2分の距離の裏山の縁辺部にも野生のムベの蔓があり、毎年秋になると、赤紫の実をなる姿を目にします。今年の実りの具合はと見に行けば、雑木の枝葉と蔓の葉の間に熟す前の青い実が5つ、6つ、ぶら下がっているのが見えました。熟すまでにはあと半月程でしょうか。ムベの実の色の変化と共に、秋が深まって行くのでしょう。

                          (「2023/10/05 号 (No.6214) 」の抜粋文)
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【零余子】(むかご) [日刊☆こよみのページ]

【零余子】(むかご)
 珠芽(しゅが)と同義。また、特にヤマノイモの葉のつけ根に生ずる珠芽を指す。ぬかご。秋の季語。 《広辞苑・第六版》

 畑であればナガイモ、山であれば自然薯(じねんじょ)などの葉腋(ようえき)につく大豆くらいの大きさの実のようなもののことです。大きさについては小豆ほどの小さなものから小鳥の卵ほどのものまで様々。大きな零余子を見つけるとなんだかうれしくなります。私の家の周りには里山が沢山残っていますのでそこに足を踏み入れると野生のイモの蔓が見つかり、零余子がついているのを見かけることもよくあります。零余子はジャガイモをぐんと小型にしたような風貌、色合いで地中に出来るイモ同様、すり潰すと粘り気があります。煮ても焼いても食べることが出来るあたりも、地中の芋と同じ。沢山採れたら、炊き込んで零余子飯などにしてみるのもよいでしょう。零余子の「零」は数字のゼロを表すのに使われるように、わずかな残りとか端といった小さな量を表す文字ですが、また雨のしずくという意味や、こぼれ落ちるという意味もあります。沢山の養分を地下のイモに蓄えたその残りが地上の蔓の葉腋に養分のしずくとなって結実したものが零余子と言えるのでしょうか。晴れた秋の日、山を歩いて木に巻き付いた細い蔓を見かけたら、近寄ってよく見てみてみましょう。案外見過ごしていたイモの養分のしずく、零余子が隠れているかも知れません。

                          (「2023/09/22 号 (No.6201) 」の抜粋文)
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【八月の風でそば荒れる】 [日刊☆こよみのページ]

【八月の風でそば荒れる】
 (「蕎麦(そば)」は粒が落ちやすく、八月に風が吹くとひとたまりもないということに、「側(そば)」をかけて)側にいるものが迷惑する、はた迷惑であるという意のしゃれ。

 「八月の風でそば迷惑」「八月の風でそば堪(たま)らぬ」ともいう。 《成語林・初版》

 ここでいうところの八月は、もちろん旧暦の八月のこと。大雑把に言ってしまうと、新暦の9~10月頃のことです。今年(2023)でいえば新暦9/15~10/14が旧暦の八月の期間です。作物としてのソバを見ると、その収穫の時期は6~8月頃と、9~11月頃(いずれも新暦の暦月による)のものがあり夏ソバと秋ソバのように分けて呼びます。本日採り上げた諺の指すソバは、その収穫時期から考えて秋ソバで、
ソバとしてはこちらが主流です。旧暦の八月は秋ソバの収穫の時期である一方、二百十日・二百二十日・八朔と天候の荒れるとされる日が続く時期でもあります。農家にとっては心配な月だったことでしょう。本日採り上げた諺は、ソバを育てる人たちの切実な心配から生まれたものなのでしょうね。でもソバを育てていない私からすると「ソバ」を「側」にかけて生まれたと思われる「八月の風でそば迷惑」「八月の風でそば堪らぬ」の方が機になっています。なんか面白い言葉。いつか使ってみたいななんて思ってしまいます(どうやって使ったらいいかな?)。今年の旧暦の八月はやや遅い時期にやってきましたから、もしかしたらもうソバの収穫は済んでいるかもしれません。さて、今年のソバの出来映えは?私たちがそれを知るのは、丸いソバの粒が細長い蕎麦に姿を変えて現れてから。今から1~2ヶ月後のことですね。

                          (「2023/09/16 号 (No.6195) 」の抜粋文)
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田の実の節供と八朔 [日刊☆こよみのページ]

□田の実の節供と八朔
 本日は旧暦 8/1。八朔(はっさく)とも呼ばれる日です。八朔は、二百十日、二百二十日と並ぶ悪天候の厄日で、三大悪日などとも呼ばれる日。今年(2023年)の日付で見ると

  9/01 二百十日
  9/11 二百二十日
  9/15 八朔

 という具合にいい按配に並んでいます。今年の八朔は三大悪日の最後を飾る(?)ことになりました(去年は先頭を切っていましたけれどね)。新暦の8月末~9月といえば台風シーズンですからその間にきれいに収まったこの三日が三大悪日と呼ばれるのは、なるほどと納得出来る感じですね。さて、八朔の時期の嵐が特に恐れられた理由としてこの時期が稲作における収穫の直前の時期にあたるからと考えられます。一年かけた収穫の直前で嵐によって、田の実りが台無しになる恐怖は相当なものだと想像出来ます。何とかこの時期に嵐が来ず、無事に収穫が得られることを、それこそ神仏にたのみたいような日だったと思います。この思いからか、八朔の日には別の呼び名が出来ました。それが今回のタイトル、田の実の節供です。

◇田の実の節供
 「たのみの節供」は「田の実の節供」とも「頼みの節供」とも書きます。元々八朔の日には農家の人たちが田の神に供え物をして豊作を祈る行事でした。そのうちに、収穫したばかりの早稲の稲穂を知人や主家など、世話になることの多い人に送って豊作を祈願する祝いの日となりました。田の神に豊作を祈ることから「田の実」であり、いつも世話になる人々を通して「神頼み」する日であったわけです。かつてはこの時期は稲の穂が出始める時期だったため、この時期に大きな嵐が来ないことを必死で頼み込んだのでしょう。

※明治以降急速に進んだ品種改良で、現代の稲は早稲種が主流となり、初穂の時期は早まる傾向にありますので「田の実の節供」以前に収穫が終わっている処もあると思います。

◇頼みの節供
 元々は農民の「田の実の節供」でありましたが、日頃お世話になっている人に贈り物をして感謝する日(「これからもよろしくお頼みします」という意味で)ともなりました。「田の実」から「頼み」となると、農民だけの行事である必要はなくなります。こうして「頼みの節供」は町家の間でも流行するようになりました。町家では、頼みの節供にはそれぞれに贈り物をして祝賀する日と捉えられるようになりました。この習慣は武家社会にもやがて浸透して行き、武士の間でもこの日に贈答が行われるようになりました。ただしこちらは「八朔の祝い」などと呼んだようです。

◇徳川の時代の八朔の日
 「八朔の祝い」が武家の間にも広がったのにはもう一つ理由があります。それは、徳川家康が始めて江戸城に入った記念の日が「八月朔日」、つまり八朔の日だったと言うことです。徳川幕府においてはこの日は目出度い記念日。諸大名や直参旗本たちはこの日は、白帷子の正装で江戸城に登城し、将軍家に祝詞を述べる日となっていました。やがて、この武家の白装束の登城の様子を模すように有名な遊郭であった吉原でも、遊女たちが白無垢の装束に身を包んで花魁道中を行うようになりました。町人たちはこの日、なじみの遊女にこの白無垢や、純白の絹布団など、豪華な贈り物を競い合って行うようになり、この豪華さの競争が江戸の町の話題をさらう年中行事となったそうです。はじめは田の収穫を祈る行事から花魁道中まで、一つの行事でも時代と共に人と共に随分変化するものです。さてさて現代の田の実の節供、八朔の日はどんな日になっているのでしょうか?さて、今年の田の実の節供は良い天気。全国の天気予報などを見ても、三大悪日から予想されるような嵐の兆候は見当たりません。きっと本日は、重さを増した稲の穂が秋の陽の下で揺れる景色が楽しめる一日となりそうです。


                          (「2023/09/15 号 (No.6194) 」の抜粋文)
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白露の季節 [日刊☆こよみのページ]

□白露の季節
 「陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也」これは江戸時代に出版された暦の解説書、「暦便覧(著者 太玄斎)」にある「白露」の説明です。二十四節気の「白露」の期間9/8~9/22(2023年)。今年も陰気が凝って露となる季節となりました。現在の白露の節入り日は黄道座標という座標で示した太陽の中心の黄経が 165度になる瞬間を含む日とされています。明確な定義ではありますが、暦便覧の説明などを読んだ後では、少々味気ない気がします。ちなみに、白露という言葉の解説に引いた暦便覧が書かれた天明七年(1787)当時の二十四節気の計算方式は冬至と次の冬至の間隔を日数で24等分する恒気法という計算方式をとっていましたので、この方式で計算すると白露の期間は 9/6~9/21となります。現在の太陽の黄経で分ける方式とは、時期が微妙に異なっていました。ま、2日程度の差ですけれど。

◇秋は露の季節?
 今回採り上げたのは白露ですが、二十四節気にはもう一つ露がつくものがあります。それは「寒露」。白露から一月ほど後、今年(2023年)は 10/08から寒露の季節に入ります。白露と寒露、暦の上では秋は露の季節ということになりそうです。暦の上では露の季節。では実際の天気では?「季節の366日 話題事典」(倉嶋厚 著)によれば、1934年4月から1年間、日本(福岡)において露の量を観測した例があるそうで、その結果は

  春 2.84mm , 夏 2.30mm , 秋 3.52mm , 冬 2.20mm (総計 10.86mm)

 となっているそうです。残念ながらこの本には、春夏秋冬を何処で区切っているかといった記述がありませんし、観測自体1箇所1年分しか無いので暦の白露、寒露との正確な比較は出来ませんが、どうやら実際の気候からしても秋は「露の季節」らしいことはわかります。ちなみに秋の季節の暦の上にある二つの「露」のうち、秋の終わりに近い寒露は寒い季節の露なので寒露(二十四節気では、その次は「霜降」。露が霜に変わります)。では、白露はなぜ白い露? 確かに草の葉に付く露を白露(しらつゆ)とも呼びますから、そのまま白露でもおかしくありませんが、暦として考えると、おそらくこの「白」という色は秋という季節を表す色の「白」なのでしょうね。さてさて、日刊☆こよみのページの読者の方には、朝早く散歩をなさっている方、農作業等をなさっている方など、随分いらっしゃるようです。そうした方の実感では、秋は露の季節なのでしょうか?皆さんの「実感」も教えて頂きたいですね。

                          (「2023/09/14 号 (No.6193) 」の抜粋文)
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女郎花のことなど [日刊☆こよみのページ]

□女郎花のことなど
 本日は生まれ故郷の福島県郡山市からの日刊☆こよみのページです。東北地方に属する福島県は、流石に現在住んでいる紀伊半島の先っぽに比べると秋の訪れが早いようです。そんな秋の雰囲気を感じながら歩いていると今を盛りと咲いている女郎花を見かけました。女郎花といえば、秋の七種(七草)の一つに数えられる花。暦のこぼれ話としては苦しいですが、まったく無関係とも言えないだろうと、本日はやや無理やり「女郎花」についての雑話を書くことにしました。さてさて、本日取り上げた女郎花、秋の七種の一つではありますが、飛び抜けて美しい花というわけではありません。また華やかな花でもありません。一本だけポツンと花瓶に活けて絵になるかと考えると、それもまた微妙な感じです(この辺は主観の問題ですけど)。でもこんな、地味ともいえる花が秋の草花を代表する秋の七種に選ばれていることはうれしいですね。さてこの黄色の素敵な花はその名前は「女郎花」。

  「女郎花、さて何て読むでしょうか?」

 そんな風にクイズにされるくらい、読みにくい名前です。どうしてこの文字で「おみなえし」なんて読めるのでしょう。それに「おみなえし」ってどんな意味だろうなんて疑問に思ったことはありませんか?クイズに出されるくらいと書いたついでにもう一つ書けば、この女郎花には近縁種に白い花をつける植物があります。名前は「男郎花」。さてこちらは何て読むでしょうか? 答えは「おとこえし」。女郎花に男郎花。そろいもそろって不思議な名前ですね。何でだろうと思ったものですが、湯浅浩史の植物ごよみという本に見事な謎解きが書かれていました。湯浅氏の謎解きは女郎花の方言名から始まります。女郎花の方言名には

  粟花(あわばな)、粟穂(あわぼ)、粟盛り(あわもり)、女飯(おんなめし)

 粟が付く名は女郎花の黄色く小さな粒々のある花から粟を蒸し上げた姿を想像したものでしょう。ここまでは直ぐ解る話ですが、最後の「女飯」は?ここで登場するのが先程紹介した女郎花の近縁種の話。女郎花が「女飯」なら、男郎花は「男飯」。湯浅氏の謎解きはここから。女郎花の黄色い花は粟飯を盛った姿、ならば白い男郎花はというと、白米を盛った姿。粟も米もいずれも五穀の一つですが粟は米より低く評価されていました。それで、米の飯を「男飯」、それより評価の低い粟の飯を「女飯」と呼んだのだというのです(今だったら「男女差別だ」と問題になりそう・・・)。なるほど、それで

   女飯(おんなめし) → 女郎花(おみなえし)

 うむ、それなら女飯と粟花や粟盛りという名前との関連も納得いきます。思わず、膝を叩いてしまう説でした。もちろん数多の説のひとつですがうなずいてしまいますね。ちなみに、黄色の花の女郎花と、白色の花の男郎花は交配可能な近縁種。なので、女郎花と男郎花の両方があるような場所には、両者のハーフともいえる自然雑種の姿を見ることもあります。この女郎花と男郎花の間に生まれた植物の名前は

 男女郎花 (おとこおみなえし)

 嘘みたいな本当の名前です。わかりやすいといえばわかりやすいのですが、なかなかストレートなお名前。名前考えるのが面倒だったのかな?女郎花が粟飯で、男郎花が白米の飯なら、男女郎花は雑穀飯? 健康志向の昨今には人気が出るかもしれませんね。女郎花は栽培される花というイメージで、私自身は野原で野生の女郎花というものを見たことがありません。この記事の冒頭に登場した女郎花も人様の家の庭に咲いているものでした。大分過ごしやすい季節になりましたし、暇を見つけて黄色や白色や、混ざったものが無いか、探しに出かけてみようかな。

                          (「2023/09/10 号 (No.6189) 」の抜粋文)
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【禾】(〔音〕カ〈クヮ(漢)〉〔訓〕のぎ) [日刊☆こよみのページ]

【禾】(〔音〕カ〈クヮ(漢)〉〔訓〕のぎ)
 [意味]
  1.稲。穀類の総称。「禾本科」
  2.稲などの穂先についている毛。のぎ。のげ。
 [解字]
  解字穂先のたれた植物を描いた象形文字。

 【のぎ】(芒)
  1.イネ科の植物の花の外殻(穎(えい))にある針のような突起。のげ。〈新撰字鏡7〉
  2.(「禾」とも書く)金箔・銀箔を細長く切った切箔(きりはく)の一種。
   砂子などとともに絵画や装丁の飾りに用いる。野毛(のげ)。 《広辞苑・第六版》

 「禾」については漢字の偏の一つ「ノギ偏」としてはよく知られていますがこの文字単体ではあまり一般的な文字とは云えません。このあまり一般的でない文字を採り上げたのは、9/3~9/7(2011年)が、七十二候の四十二番目、処暑の末候にあたる「禾実る」だからです。さて、「禾実る」書いてどんな風に読むかですが、Web こよみのページでは「こくもの すなわちみのる」と紹介しています。「のぎ みのる」でもよいかなと思ったりもするのですが、「のぎ」だと最初に書いたとおり「なんのこと?」と意味が通じない可能性が高そうです。あまりなじみの無い「禾」ですが、稲の穂に見えるあのとげとげが禾です。今頃は多くの地方でこの「禾」をつけた稲穂が頭を垂れ、稲刈りを待つ時期に当たります。もしどこかで、そうした稲穂を目にする機会があったら、「これが禾か」とノギの姿を確認してください。

                          (「2023/09/07 号 (No.6186) 」の抜粋文)
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【夏草】(なつくさ) [日刊☆こよみのページ]

【夏草】(なつくさ)
 夏に生い繁る草。夏の季語。万葉集10「夏草の刈り払へども生ひしくごとし」。奥の細道「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」。《広辞苑・第七版》

 ついさっきまで雨が降っていたのに、雲が去るとたちまち強烈な陽射し。雨で濡れた地面からは湯気が立ち昇るほど。私たちにしてみると強い雨も陽射しも辟易してしまう厄介なものですが、草たちにとってはどちらも歓迎すべきもののようです。たっぷりの雨とたっぷりの陽射しを得て、夏草が生い茂っています。一月ほど前に草刈りした場所も、あっという間に成長する夏草に覆われてしまって、足を踏み入れることに躊躇するような有様。草にとって夏は「この世の春」のようです。もしこの瞬間に人間が消えてしまったらどうなるだろう私は時折、こんなことを考えることがあります。街は、ビルは、道路は、トンネルはどうなってしまうのだろうかと。

  夏草や兵どもが夢の跡

 と芭蕉は詠んでいますが、わずか一月で伸びる夏草の勢いを目にした後では人がいなくなって数年、数十年が経過してしまったら、夏草の間に人の夢の跡をたどることは難しいかもしれません。夏草が「この世の春」を謳歌している間は、草の勢いに負けないように草刈の頻度を高める必要がありそうです。ああ、大変だ。

                          (「2023/08/26 号 (No.6174) 」の抜粋文)
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【白雨】(はくう) [日刊☆こよみのページ]

【白雨】(はくう)
 ゆうだち。にわかあめ。夏の季語 《広辞苑・第七版》

 夏の夕方、急に降り出す激しい雨、夕立の呼び名の一つです。激しく降る大粒の雨が地面を打ち、跳ね返る飛沫によって風景が白く霞むことから白雨という呼び名が生まれたのでしょう。夏の暑い日の午後、まぶしく光る夏雲が見えていた風景が翳って涼しい風が吹き込んでくると、それは夕立がやってくる前触。程なくして雷を伴った激しい雨が降り出します。少し前まで太陽によって熱く熱せられ、カラカラに乾いていたアスファルトの道路も、一瞬にして黒いアスファルト本来の色に戻り、次に雨の飛沫とも湯気ともしれない靄によって白く霞みます。「白雨」です。白雨と呼ばれるほどの雨の勢いは大変なものですから、こんな時に外にいたら大変。傘をさししても足下は濡れてしまうでしょうから、早く建物の中に逃げ込みましょう。そしてひとしきり、辺りの風景を白く変えた白雨が止めば、その後には何度か気温が下がって涼しい夏の夕暮れとなります。今日もまた、暑い一日になりそうですが、午後の天気予報は雨。涼しい夕暮れを引き連れた白雨が降るのかな?

                          (「2023/08/03 号 (No.6151) 」の抜粋文)
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【含羞草】(おじぎそう) [日刊☆こよみのページ]

【含羞草】(おじぎそう)
 マメ科の小低木で、園芸上は一年草。ブラジル原産。日本には天保年間に渡来。茎は直立。高さ約30センチメートル。細毛ととげをもつ。葉に触れると閉じて葉柄を垂れ、暫くして開く。また温度・光・電気などの刺激にも敏感に反応する。夏、葉腋に花柄を出し、淡紅色の小花を球状に付ける。花後に莢さやを生ずる。知羞草。ネムリグサ。ミモザ。夏の季語。 《広辞苑 第六版》

 その葉に触ると葉を閉じ、続けて葉柄もうなだれる。この様子がまるでお辞儀をしているようだということで「おじぎそう」というながついたのでしょう。ただ、読みは「おじぎそう」ながらその文字は「御辞儀草」ではなくて「含羞草」。含羞草のお辞儀は、お辞儀はお辞儀でも、見事なお辞儀というより、幼い子が初めてお辞儀したように、お辞儀の途中ではずかしがってお母さんの陰に隠れてしまったようなお辞儀。はずかしそうなお辞儀をするこの草の名に「御辞儀草」ではなくて「含羞草」の文字を選んだ先人は偉い。この草は日が暮れると早々に葉を閉じて眠りにつきます。このため付いた別名が「眠草」。宵の口から眠りについてしまうあたりも、幼い子供の風情です。さてさて、触れるとお辞儀をするその葉の動きばかりに目がいきがちなこの草ですが、夏の頃から秋の初めにかけて枝先に咲く花もお忘れなく。美しいというより、可愛らしいという表現がぴったりの薄紫色の球形の小花が枝の先に一つずつ咲きます。この花を付けるときだけは、含羞草もなんだかちょっと誇らしげ。買ってもらった新しい鞠を、「見て、見て」と差し出しているようです。そろそろ含羞草が花を付ける頃。きっとどこかの庭に「見て見て」っと、嬉しそうに鞠を差し出している含羞草があると思います。

                          (「2023/07/29 号 (No.6146) 」の抜粋文)
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