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啓蟄と驚蟄 [日刊☆こよみのページ]

□啓蟄と驚蟄
 今日、3/6 は二十四節気の啓蟄の節入日です。度々話に登場する二十四節気ですが、これが太陰太陽暦であった旧暦の暦日と季節とを結びつけるために古代中国で考案されたもので、暦の伝来と共に日本にも伝わり、現在まで使われてきました。さて、上に書いた経緯のとおり生まれは中国で、それが輸入されたものですので、二十四節気は日本にも中国にも有ります。中国の二十四節気を並べてみると、

  立春、雨水、驚蟄、春分、清明、穀雨、・・・

 と日本と同じ順に同じ言葉が並びます。ただ一つをのぞいては。さて、中国と日本の二十四節気のうちただ一つ異なる言葉は上述した 6つの中にあるのですが、どれがその異なった言葉か判りますか?その違った言葉とは、「驚蟄(きょうちつ)」。本日のタイトルが「啓蟄と驚蟄」ですから、これに気が付けば答えは簡単ですね(テストの答えを事前に黒板に書いてる見たい)。既に書いたとおり、日本の二十四節気は中国から伝わったもので他の二十三は同じ漢字が使われています。ではなぜ啓蟄だけ日本と中国で言葉が違っているのでしょうか?

◇本当は「啓蟄」
 本家の中国が「驚蟄」ですから、こちらが本来の漢字のように誤解する方もいるのですが、さにあらず。日本の「啓蟄」が本来の字で、中国の「驚蟄」は、日本に暦が伝来した後で変化した言葉なのです。啓蟄は、古代中国の周王朝時代に成立した『礼記』の月令にある「蟄虫始振」から生まれた古い言葉なのですが、この言葉が漢王朝の時代に「驚蟄」に直されました。この変更には中国の「諱(いみな)」の慣習が関わっています。諱とは、貴人や目上の人、死者などをその本名を呼ぶことを避けるという慣習なのです。王や皇帝といった場合はその王朝が続く間は、この文字を使うことを避けるのが通例でした(中には、その影響を考えて避諱を免ずる詔を下す君主もいました)。啓蟄の「啓」は漢王朝の六代皇帝、景帝の諱でしたので、この文字が使えなくなりこれと意味の似ている「驚」という字で置き換えられるようになりました。漢王朝が滅んでからは、「啓」を避ける必要はなくなり、暦の上の文字も再び啓蟄に戻ります。そしてこの「啓蟄」に戻っていた時代の暦が日本に輸入され、日本では「啓蟄」の文字が使われるようになりました。本家中国ではどうなったかというと、一度は啓蟄に復したのですが、使い慣れた「驚蟄」の方がよいということで、再度「驚蟄」に戻されました。日本には、もちろんこの「驚蟄」と書かれた中国の暦も輸入されてきたのですが、日本においては中国の王朝の諱を避ける必要もありませんし「驚蟄」を使い慣れたということもないわけでしたので、変更されることなく啓蟄が使われ続けました。結果的には、日本の二十四節気の方が、二十四節気本来の文字を今に伝える結果になっています。二十四節気にまつわるちょっとだけ不思議な話でした。(「2019/03/06 号 (No.4540) 」の抜粋文)

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