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9月下旬の菜園です! [菜園便り]

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手前ネット掛けているのはニンニク
左側はダイコン、カブ
向側はキャベツ、ハクサイ、ブロッコリー、カリフラワーのタネを播いた畝です

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位置を変え撮影
手前はダイコン、カブ
左向側ネットを掛けている畝にはニンジンのタネを播いています

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手前ネットを掛けている畝にはコマツナ、シュンギク、ミスナ、サニーレタスのタネを播いています
向側は干しネギです
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蟄虫戸を閉ざす [日刊☆こよみのページ]

□蟄虫戸を閉ざす
 気が付けば、昨日から七十二候の一つ、「蟄虫戸を閉ざす」の時節となっていました(しまった、うっかりした)。蟄虫戸を閉ざすといえば、七十二候にはこれと対となる言葉があります。

  蟄虫戸を啓く

 こう書いてもピンと来ないかも知れませんが、「啓蟄」と書けばいかがでしょう? そう、二十四節気の啓蟄です。「蟄虫戸を啓く」は二十四節気の啓蟄の初候にあたり、今年は 3/6がその日でした。「蟄虫戸を閉ざす」となった昨日は9/28。虫たちが 3/6に起き出して戸を開け、今日戸を閉ざして眠りにつくとすると虫たちの活動期間は 207日(戸を啓いた日と閉じた日、それぞれを含む)。残りの 158日は、土の中でお休み。 5ヶ月以上の冬休み。今年は、余裕がなくて蟄虫戸を閉ざすの直前に夏休みをとっていた私。私の夏休みが終わったばかりの時に虫たちは冬休みか。うらやましい。もっとも、七十二候の「蟄虫戸を啓く」という言葉も「蟄虫戸を閉ざす」という言葉も、生まれたのは中国の内陸部。日本よりも大分平均気温の低い場所ですから、 5ヶ月以上もの長い休みをとるのは、きっとその中国内陸部の寒い場所で暮らす虫たちでしょう。二十四節気や七十二候が生まれた中国内陸部に位置する太原市の気温と、東京付近の気温を比較してみると

   3/05頃 太原市: 1~ 2℃  東京: 7~ 8℃
   9/28頃 太原市:13~14℃  東京:21~ 22℃

 6~8℃あまりも気温がちがいます。もし太原市の9/28頃の気温と同じくらいの気温の時期を考えると、東京では11月も中頃。この頃ならば間もなく木枯らしが吹くような時期。働き者の日本の虫だって、冬休みに入りたい頃にちがいありません。そんな寒い季節まではまだ一月半あまり。それまでは日本の虫たちは、もう少し働き続けてもらうことになりそう。そういえば、昨日の朝も、秋の虫が啼いていましたから、少なくとも私の近所の虫たちは、まだまだ「冬休み」ではないようです。働き者の日本の虫たちが「蟄虫戸を閉ざす」のは、まだまだ先のことのようです。日本は南北に長い国土。東京より暖かいところも寒いところもあります。皆さんお住まいの地域の虫さん達は、いつ頃から「冬休み」に入るのでしょうね?(「2019/09/29 号 (No.4747) 」の抜粋文)
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【彼岸花】(ひがんばな) [日刊☆こよみのページ]

【彼岸花】(ひがんばな)
 ヒガンバナ科の多年草。田のあぜ・墓地など人家近くに自生。秋の彼岸頃、30センチメートル内外の一茎を出し、頂端に赤色の花を多数開く。花被は 6片で外側に反り、雌しべ・雄しべは長く突出。冬の初め頃から線状の葉を出し、翌年の春枯れる。有毒植物だが、鱗茎は石蒜(せきさん)といい薬用・糊料とする。カミソリバナ。シビトバナ。トウロウバナ。マンジュシャゲ。捨子花。天蓋花。秋の季語。 《広辞苑・第六版》

◇ある日ニョッキリ
 ある日、田んぼのあぜ道や庭の隅にニョキニョキッと黄緑の柄が伸びてきて、伸びてきたと思ったらその二三日後には柄の先端に真っ赤な花を咲かせている彼岸花。近頃は、東京都内でも道路脇の街路樹の根元から、ある日ニョッキリ、現れるのを目にすることもある。芽が出て葉を膨らませ、その葉にたっぷり陽を浴びてから花を咲かせるというのが普通の植物。物事には順序というものがあるだろうと、彼岸花にはそんな説教をしてやりたくなる。それほど彼岸花は風変わりなおかしな花だ。もちろん説教したって彼岸花が花の咲き方を変えるはずはありません。その生き方について彼岸花は節を曲げることはないようです。

◇海を渡ってきた彼岸花
 彼岸花はその名の通り、秋のお彼岸の頃に咲く花で東北地方の中部から九州に至る広い地域でその花を見ることが出来ます。これほど広い地域に生息する彼岸花ですが、日本に元から自生していた植物ではありません。ただし、いつ頃日本にやって来たかは判りません。日本渡来の事実が記録に残るようになった時代以前に既に日本に渡ってきていた有史前帰化植物です(原産は中国)。どのような経緯で日本にやって来たのか、正確なところは分かりませんが、今でも彼岸花が人里とその近辺に多く、山林や草原などで見かけることがないことを考えると、どうやら人とともに海を渡って来て、人とともにに拡がった植物のようです。

◇天上に咲く紅い花
 彼岸花には沢山の異称(その数900以上とも)がありますが、中でも一番有名なものは曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ではないでしょうか。曼珠沙華とはサンスクリット語で「天上に咲く紅い花」を意味するのだそうです。法華経が説かれるときに瑞祥として天から降る四種類の華(四華)の一つともされています。

◇不吉な名前も
 彼岸花の異称には不吉なものも沢山あります。死人花・地獄花・幽霊花・厄病花・捨子花などがそれです。こうした不吉な名前が付いたのは、この花が墓地に多く見られること、球根にも柄にも葉にも花にも、アルカロイド系の猛毒を持つこと、飢饉の際の非常食であったことなどと関係があるようです。墓地で多く見られる理由は、この植物が有毒植物であることから、土葬が一般的だった時代には、埋葬した遺体を野犬などが掘り起こして食い荒らすことを防ぐため、彼岸花を墓地に植えたためだと考えられます。

◇最後まで風変わりな植物
 花の咲かせ方が風変わりな彼岸花ですが、その花の形も風変わり。誰かがデザインしたんじゃないか? 天然自然にあの形になったとは思えないほど、不思議な、そして見事な形です。花が終わると、次は実が出来て種が出来る、普通の植物ならこうですが彼岸花には種は出来ません。彼岸花は花が咲いても種が出来ない徒花(あだばな)なのです。彼岸花が種も作らず花を終えてしまった後に起こることは、今まで一度も登場しなかった葉っぱが姿を現し伸び出すこと。葉っぱが出る時期には花が終わってしまっているので、彼岸花の花は葉を見ず、葉は花を見ずということになります。彼岸花は最後まで風変わりな植物です。今年も秋の彼岸となりました。彼岸花はその名の通り、この時期に花を咲かせます。皆さんの身の回りでも、ある日突然「ニョッキリ」と彼岸花の茎が伸び出てある日突然、あの見事な花を咲かせるのではないでしょうか。(「2019/09/21 号 (No.4739)」の抜粋文)
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白露の季節 [日刊☆こよみのページ]

■白露の季節

 「陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也」

 これは江戸時代に出版された暦の解説書、「暦便覧(著者 太玄斎)」にある「白露」の説明です。二十四節気の「白露」の期間9/8~9/22(2019年)。今年も陰気が凝って露となる季節となりました。現在の白露の節入り日は黄道座標という座標で示した太陽の中心の黄経が165度になる瞬間を含む日とされています。明確な定義ではありますが、暦便覧の説明などを読んだ後では、少々味気ない気がしますね。

◇秋は露の季節?
 本日は二十四節気の白露ですが、二十四節気にはもう一つ露がつくものがあります。それは「寒露」。白露から一月ほど後、今年(2019年)のは 10/08が寒露に当たります。白露と寒露、暦の上では秋は露の季節ということになりそうです。暦の上では露の季節、では実際の天気では?「季節の366日 話題事典」(倉嶋厚 著)によれば、1934年4月から1年間、日本(福岡)において露の量を観測した例があるそうで、その結果は

  春 2.84mm , 夏 2.30mm , 秋 3.52mm , 冬 2.20mm (総計 10.86mm)

 となっているそうです。残念ながらこの本には、春夏秋冬を何処で区切っているかといった記述がありませんし、観測自体1箇所1年分しか無いので暦の白露、寒露との正確な比較は出来ませんが、どうやら実際の気候からしても秋は「露の季節」らしいことはわかります。ちなみに秋の季節の暦の上にある二つの「露」のうち、秋の終わりに近い寒露は寒い季節の露なので寒露(二十四節気では、その次は「霜降」。露が霜に変わります)。では、白露はなぜ白い露? 確かに草の葉に付く露を白露(しらつゆ)とも呼びますから、そのまま白露でもおかしくありませんが、暦として考えると、おそらくこの「白」という色は秋という季節を表す色の「白」なのでしょうね。さてさて、日刊☆こよみのページの読者の方には、朝早く散歩をなさっている方、農作業等をなさっている方など、随分いらっしゃるようです。そうした方の実感では、秋は露の季節なのでしょうか?出来ましたら皆さんの「実感」も教えて頂きたいものです(どの地域かもあわせてよろしく)。(「2019/09/10 号 (No.4728) 」の抜粋文)

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【天高く馬肥ゆる秋】 [日刊☆こよみのページ]

【天高く馬肥ゆる秋】
 秋は空が澄み渡って高く晴れ、馬は肥えてたくましくなるという意で、秋の好時節をいう。
 →秋高く馬肥ゆ(「秋」成句) 《広辞苑・第六版》

 秋の高い空とさわやかな風を感じさせてくれそうな言葉です。現在では身の回りに馬がいるとおっしゃる方はかなり少ないと思いますので本当に馬が肥えて来るかどうか確かめるのは難しそうですが、秋に肥えるのは馬ばかりではありません。秋は実りのときでもありますから、野にも山にも畑にも美味しいものが沢山。動物は、餌の少ない冬を乗り越えるためにせっせと栄養を身体に溜め込む時期ですから、秋は肥える季節で間違いなさそうです。こんな、「動物」だった頃の記憶が身体に刻みつけられているためか、人間もまた、「天高く人も肥ゆる秋」となりがちです。馬が肥える様子は確かめにくい昨今ですが、人が肥えるかどうかは、体重計の数値に如実に現れ、容易に確かめられます。ついつい、美味しくて・・・注意しましょう。

◇本来の意味は
 さてこの言葉、現在では上に見たように好時節を表す言葉になっていますがその生まれたばかりの時代は今とはだいぶ意味の違った言葉でした。この言葉は中国生まれ。
 
  秋至れば馬肥え、弓勁(つよ)く、即(すなわ)ち塞(さい)に入る 《漢書・匈奴伝》

 辺りが、その出典だと考えられます。中国の万里の長城以北に住む騎馬民族匈奴は、秋になると秋の収穫物を狙って長城を越えて中国領域に侵入し略奪をはたらくため、中国としては、秋は国境の警備を増強し、匈奴侵入に備えなければいけない季節でした。漢書に見られる言葉は、秋には夏草をたっぷり食べて匈奴の馬は肥え、力がみなぎっており、匈奴自身も体力が充実し、国境付近の村や町の略奪を始める時だといっています。だからそれに対する備えをしっかりとしておかなければいけないという警句なのでした。「天高く馬肥ゆ」の肥える馬は自分たちの馬ではなく、敵の馬が肥えるという意味で使われていたのでした。

◇警句として
 今は秋だからといってすぐに攻め込んでくる敵はいませんが、美味しいもの攻撃(?)によって体重計の数値はじりじりと危険領域に向かう時期ではあります。この言葉、備える敵は変わりましたが、「警句」としては今もなお有効な言葉であるようです。(「2019/09/07 号 (No.4725)」の抜粋文)

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【暑さ寒さも彼岸まで】 [日刊☆こよみのページ]

【暑さ寒さも彼岸まで】
 春秋の彼岸を境として、寒暑それぞれ衰えて、よい気候になる。 《広辞苑・第六版》

 9月に入り、彼岸が近づいてくると確かに「暑いね」という日が減ってきたと実感出来るようになります。もちろん、ある日を境としてぴたりと寒い日、暑い日が終わるというわけではありませんが、この「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は、寒暑の季節の境のよい指標となっているようです。さて、およそではありますが、春秋の彼岸辺りで寒い季節、暑い季節が終わると考えると、寒いと暑いの間の快適な気温の範囲がなんとなくわかりそうです。では快適な気温とは?東京の過去の気温の平均値をとってみると、

  春の彼岸の時期は摂氏 8℃
  秋彼岸の平均気温は23℃

 その差はおよそ15度ほどが快適な気温ということでしょうか?もちろんこの「快適な気温」というのは個人差も大きいでしょうし、そもそも今回平均値を得るために採用した地点、東京と離れた場所ではその数値自体も違うと思いますが、「まあ、妥当なところ」ではないでしょうか?本日の天気予報では、東京の最高気温は25℃とか。ほぼ一日中、「快適な気温」の一日になりそうです。(「2019/09/04 号 (No.4722) 」の抜粋文)

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