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夏も近づく八十八夜 [日刊☆こよみのページ]


 明日は八十八夜。
 八十八夜といえば、小学唱歌の「茶摘(ちゃつみ)」の歌が思い出されます。

  夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘じゃないか
  あかねだすきに菅(すげ)の笠

  日和つづきの今日此頃を 心のどかに摘みつつ歌う 摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
  摘まにゃ日本の茶にならぬ

 実際には茶摘みの風景など見たこともないのに、子供の頃からこの歌を唱っていたためか、八十八夜と聞くとつい、姉さんかぶり(きっと「菅の笠」が想像出来なかったからでしょう)の茶摘み娘がお茶の葉を摘む姿が目に浮かびます。しかも、バックは青空を背景とした富士山。きっとTVドラマの水戸黄門のエンディングか何かで見た映像でしょう。

◇八十八夜とは
 この八十八夜は暦の上では「雑節(ざっせつ)」と呼ばれるものの一つです。日本では長らく中国から伝わった太陰太陽暦が、そして明治以後は西洋から輸入され太陽暦が使われてきましたから、暦に書き込まれる様々な情報の多くは、舶来ものなのですが、雑節は国産品です(「半夏生」のような、微妙なものもありますけれど)。八十八夜に関しても、日本独特の記述で中国などの暦には見られません。八十八夜は、昔は稲作の始まりの時期の目安であり、また最後の霜降りの時期の目安でもありました(関東以西では。甲信越、東北や北海道などでは、まだまだですね)。どちらの意味においても農業の上では重要な節目となる日ですから、これを忘れないようにと暦に取り入れられたもの、暦の示す月日と実際の季節とを結びつけるための季節点(季節の目印)の一つです。ちなみに、この八十八夜の「八十八」は組み合わせると「米」という文字になります。また、「八」は末広がりの目出度い文字ということもあって、稲作りの始まりの時期の目印として八十七夜でも八十九夜でも九十夜でもなく、八十八夜にあたる日が選ばれたようです。

◇八十八夜は太陽暦?
 八十八夜は、立春の日から数えて88日目。今年の立春は 2/4ですから、八十八夜は本日、 5/2です。このメールマガジンの読者の方には既に常識だと思いますが、この八十八夜の計算の基点となる「立春」は太陽の位置で決まります(太陽の中心の黄経が 315°となる日)。基点となる立春が太陽の位置で決まり、あとは一定の日数(87日)だけ離れた日が、八十八夜になりますから、八十八夜も太陽の位置で決まってしまいます。大体太陽の視黄経が41°あたりになります。新暦では、 5/1か 5/2あたりが毎年八十八夜になります。新暦では毎年ほとんど同じ日付になってしまうため、立春からの日数をわざわざ数えなくとも、 5月に入ると、その日かその翌日が八十八夜。わざわざ数えるまでもなくなったために特記する必要もなくなり、暦の上での八十八夜の存在感は薄らいでしまったようです。

◇夏も近づく八十八夜
  5月に入って早々に「夏も近づく」といわれると、ちょっと気が早すぎるような気がしてしまいます。「茶摘」を唱っていた小学生(の低学年)の頃もこの点は何か引っかかっていました。小学生の感覚からすると、夏は夏休みがある7~8月でしたから 5月じゃないよなと感じていました(ま、といいながら「夜も眠れないほど深く悩んだ」わけじゃないですけどね)。大人になった今は、茶摘の歌詞の「夏も近づく」とは、暦の上の夏の始まりである立夏の日を意識したものだとわかりますから、小学生の頃の私の浅い悩みは解消いたしました。ああ、安眠できます。立夏は八十八夜の基準となる立春と同じく太陽の位置で決まっています。よって、八十八夜と立夏の関係も新暦(太陽暦)では大体いつも同じ。八十八夜の大体3~4日後(今年は5/6ですから 4日後)あたりが立夏です。夏も近づく八十八夜。まさにそのとおりですね。

◇八十八夜と茶摘み
 茶は、中国の西南部が原産地だとされています。もともとは「薬」として輸入され、平安時代には宮中ですでにお茶が飲まれていたそうです。もちろん当時は薬効のある飲み物として。(暦とは無関係ですが、紅茶も緑茶も基本的には同じお茶の木の葉。そこからの製法、発酵の度合いの違いだそうです)現在のような喫茶の習慣が定着したのは鎌倉時代から。僧の栄西が中国から抹茶を持ち帰り、これを飲むことが寺院を中心に広がり、やがて武士などにも広がっていったものです。ただこの辺まではまだ「お茶を飲む」のにも手間がかかっていましたから、それこそ「日常茶飯事」というくらい手軽にお茶を楽しめるようになったのは、江戸時代の初め頃に煎茶の製法が確立されたからとか。特に八十八夜の頃に摘まれたお茶の葉で入れたお茶は甘く上等であるといわれたことから、この日に茶摘みを行うという行事も生まれたようです。また、この日に摘まれた新茶は贈答品としても喜ばれました。ただし先に書いたとおりお茶は鹿児島から新潟までと広い範囲で栽培されていますから、どこでも彼処でも八十八夜のお茶がよいわけでは有りません。それぞれの地域にあった「旬のお茶」を楽しむのが一番です。とはいってもどの地域でも、あと一月もすれば、新茶が出回るようになるでしょうから、美味しい新茶をいただく場面を想像しつつ、本日の暦のこぼれ話を終えることにします。(「2019/05/02 号 (No.4597)」の抜粋文)
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